177 楽の音、本音※
ざわ、ざわと風に乗り、雑多な祭りのような喧騒が聞こえる。
すでに宵闇の降りつつある黄昏時。
ディレイのあとに続いて歩いていたエウルナリアは、ふと回廊の端に寄り、眼下を覗き見た。
たくさんの篝火に照らされ、行き交う城の住人や兵達。表情までは伺えないが、両手に皿を持った恰幅のよいご婦人が快活に指示を飛ばしたり、前掛けを付けた男性が野外で肉料理に取りかかったりなど、たいそう賑わっている。
椅子はないが、長卓はあるだけ出揃ったらしい。点在する特大の皿には山盛りのご馳走。豪快な湯気がほかほかと立ち、美味しそうな匂いがここまで届く。
集められた兵達も料理を運んだり樽を運んだり、一部すでに飲み始めたりとさまざまだ。
――乾杯!
――我らが英邁なる陛下に乾杯!!
――うるわしい姫君にも乾杯! 拝みたい!
カシャンッ
カカンッ
コンッ!
木製の酒杯を打ち合わせるほろ酔いの集団は、三度目の唱和のあと、どっと笑い崩れた。「無理だろー」「何しろ陛下の恋人だぜ? そうそう見られないってぇ」「ご無事で良かったよなぁ」……等々、完璧に出来上がっている。十名ほどの若者達だった。
――――かれらは、おそらくここが二軒目なのではないか。それが実に楽しそうで、エウルナリアはつい、くすっと笑んでしまった。
風に煽られ、黒髪が顔の前にふわりと広がる。
それを左手で耳にかけながら、ひんやりとした石の手摺に身を寄せる。
(あの人達、寒くはないのかしら……お酒があるから大丈夫なのかな)
着々と進む小宴の様子は見応えがあり、自然と口の端が上がってしまう。それとなくディレイが戻って、側に立ったことには気付いていたが、エウルナリアはしばらくそのままで居た。
――――
どこからか届く、響く楽の音。
ちょっぴり調子っ外れで音程のずれた笛や竪琴にもしのごの言わず、やんややんやと囃す今夜の労い人達。
その温かさには、心癒されるものがあった。
* * *
ウィラーク城は、場所によっては石の砦じみた堅牢さが漂う。
今、二人が佇むのもそんな場所で、南と東の棟を結ぶ通路のちょうど半分から中央棟へと伸びた、吹きさらしの連絡通路のさ中にあった。
この通路に限って言えば衛兵の姿はない。ほとんどが階下に呼ばれたのか。
コツ、と重たげな足取りで踵が鳴った。
右側でとうとう王が肘を付く。左手で少女の(風で)乱れた髪を直してやりながら、苦笑混じりに呟いた。
「……好き放題言ってるな。立ち入りたいか?」
「いえ、まさか。楽しそうですけど。私が行ってはあの方達、かえって寛げないでしょう?」
「そうだな」
さら……と武骨な指が髪を櫛けずり、ついでに毛先を弄ぶように絡めとる。
見上げると、ごく自然な仕草でそれに口許を寄せられていた。
「あの」
「ん?」
何となく居たたまれない。不覚にもどぎまぎしてしまう。悔し紛れに睨んでみたが、あまり効果はないようだった。
(うーん。……むしろ、嬉しそう?)
立場上、絶対、中庭の人びとに気づかれるべきではない。エウルナリアは声を抑えて、慎重に言い募る。
「そういう、ことをなさるから皆が誤解するのでは……?」
「誤解」
ディレイは伏せていた睫毛を上げ、にやりと笑んだ。
頬杖をついていた右腕を伸ばすと、遠慮なくエウルナリアの腰に回して抱き寄せる。
「ちょっ…………? ディレイっ!」
「『口説かない』とは言ってないし、『無理強い』はしていない。誓いの通りだ。言ったろう?」
「!! や」
そのまま、手繰られた髪の房ごと背も閉じ込められてしまう。腕を差し入れる隙もなく、胸が苦しい。息が出来なくなるほどの抱擁やそれとない愛撫に、色んな意味で目が眩む。立っているのも難しいほど。
抗議、しようとしたのだが。
指先で耳朶に触れられ、ぞくりと背が波打つ。低く、声を流し込まれた。
「――――本当は気が気じゃなかった。奴らを全滅させたのは、腸が煮えくり返って収まらなかったからだ。もちろん細心の注意で包囲したさ。どいつもこいつも、誰一人として逃がす気はなかったからな」
「ディ、レ……っ」
「名を、呼んでくれ。エウルナリア。……せめてお前だけは」
「!」
どうにか絞り出したのに、そんな風に言われてはかえって呼べない。
狂おしいほどのまなざしに晒されて、結んだ視線を逸らせなかった。
「――……」
瞬間、切なげに表情が歪む。
口づけだけは思い止まってくれた。
代わりにもう一度深く。余すことなく記憶に刻み込むように。
胸がつらくなるまで、抱き締められた。




