176 王の帰城(後)
公的には、ディレイの副官でもあった古参文官ガザックの裏切り。動機はこれから調査だという。
「今はどちらに……? 申請すれば、会えますか」
コト、と新しい茶を淹れたエウルナリアは、囁くように問いかけた。一口めを含んだ王は、目線だけで問い返す。
“――――会ってどうする”
うろんなまなざしは雄弁で、少女は対面の席で縮こまった。
「いえ、いいです。……それでは処遇は? 本当に裏切ったのですか? 実は貴方の密命を帯びていた、などではなく」
ぎろり、と今度こそ青年の目が据わる。
声音はしずかに低められた。
「見くびるな。例え目的のためでも、むざむざお前を危険にさらしてまで最短路を得たりはしない。全て奴の独断だ」
「そうですか……」
「……」
「…………」
エウルナリアは一見気落ちして肩を落としているものの、恐れる様子は微塵もない。
いったい、この小さな体のどこに、これだけの覇気が備わっていたのか。――――機嫌一つで体感温度まで変えてしまうディレイに対し、動じぬ姫君の会話に、グランもレインも口を挟めずにいた。
すると。
カチャン、と受け皿に茶器を戻し、ディレイはがらりと表情を変える。
「……と、言うのが公式の見解で、ゼノサーラ殿に伝えた内容だ」
「! では、やはり?」
身を乗り出して食いぎみの少女に、青年王の口許が緩む。そこからは淡々と答えていった。
曰く、ガザック氏は養い親だった前将軍の、忠実なる諜報担当官だったこと。
前将軍を唯一無二の主と仰ぐあまり、かれを不当な死に追いやった先王の滅びこそが、第一の悲願だったこと。
併せて、ディレイを筆頭とする養い子を我が子のように慈しみつつ、かれらを食い物にしていた地下組織を一掃できない歯がゆさに、当時の王命ゆえに耐えていた老将軍をつぶさに見てきたこと。
――つまり、二つの悲願のために。
ガザックはその立ち位置の独自性ゆえ、内乱時はディレイの副官に収まって以降も無断であちこちの陣営に与することがあった――……とまで聞かされて、グランは思わず声をあげた。
「それ、正真正銘、厄介な奴じゃん!」
「まぁな。だからこそ即以後は、極力側付きとして公務にも同行させたんだ。あいつは、見張っていないとすぐ独断で何かをしでかす」
「それでも。おそらくは『今回も』してやられた。……そうですね? ディレイ王」
熱が高くなってきたせいか、いつもより荒い息の下、レインが呟いた。
長居はできんな、と独り言ちたディレイが続けて語る。
「流石に……一言も言い返せん。結果としては、水面下で立ち回っていた奴を『またか』と、気楽に構え、泳がせていた感は否めない。おまけに確かに、奴の思惑通りとなった。長くウィズルに巣食っていた組織の総元締めと配下の連中は皆殺しにしたし」
「えっ」
さぁあ……と、エウルナリアの顔が青ざめる。ディレイは肩をすくめた。
「一々、丁寧に捕縛するとでも思ったか? 殺すさ。面倒くさい。便宜上生かしてある、お前を拐った男どもも他の罪人同様、厳重な見張りをつけての鉱山送りだ。一生な」
「…………貴方の国です。貴方の、思うようになさったら宜しいかと」
こわばった白い頬に、複雑な光を浮かべる青い瞳。
令嬢が、心に浮かんだ『なにか』を懸命に飲み込んでいるのは明白だった。
それを、苛烈なる将軍だった頃の顔を色濃く残し、王が嘲笑う。蔑みまではいかないが皮肉げで、見方によっては自嘲のようにも映った。
「目は口以上に正直だがな。まぁいい。こと、内政に関しては妃となってから口出ししてもらおうか」
「!」
「おっさん、まだ諦めてなかったのかよ!?」
穏やかではない様相に、レインとグランの間に緊張が走る。が、少女はさらりと否定した。
「大丈夫よグラン。この方、こうは仰っても、もう無理強いなさらないわ」
「根拠は? 貴女が命を救ったという以外に言質は取りました? 一筆、きちんと書かせたんですか」
「レインったら」
負傷してもなお抜け目ない少年に、エウルナリアの視線が緩む。それをふと、寝台から対面の席へと流した。
孤高の王に。
「……『王となるものに、二言無し。欺くことは大義あってこそ』。貴方は王です。何をどう嘯かれても、心根では民を慈しんでらっしゃるわ。ただ、敵対したものには呵責ない、将軍だったころの気質を変えられないだけ。生来なのかも知れませんが」
「ほう?」
面白そうに、青年が肘置きにもたれ、頬杖をついた。長い脚を組み替え、愉しげに少女を見つめる。
はらはらと、赤髪の騎士と、寝台から動けない従者の少年が見守るなか。
にこり、と大輪の花のようにエウルナリアはほほえんだ。全くの気負いなく。
「妃とはなれませんが、友でありたいと願っています。言ったでしょう? 王として立つ貴方を、支えたい気持ちはあるんです。この想いが一方通行だったとしたら、とても悲しいんですけど」
「…………全力でたらしこんで来るな。お前らの姫ときたら」
一転、渋面となった青年に、グランも口の端を引きつらせた。ちょっとだけ同情する。
「あー……、うん。厄介さでは、そっちのガザック氏とどっちが上かな」
「姫だろう」
にべもなく即答のディレイに、む、と柳眉を険しくしたエウルナリアが睨み付ける。ただし著しく迫力に欠けた。
「失礼ね」
「事実だ」
それだけ言うと、王は席を立った。丸テーブルを回り込み、スッと少女に左手を差し出す。
「すまんが、働き通しで腹が減った。……茶の相伴もいいが、夕食をともにどうだ? 一応、アルユシッド殿にも声はかけてある」
「あ、じゃあ俺も」
腰を浮かせて後に続こうとしたグランを、ディレイは止めた。意味ありげに寝台のレインと交互に視線を交わし、重大なことを述べる。
「俺は、別に構わないんだが――レイン殿の立ち位置は、この城では微妙だぞ? 何せ、軒並みエウルナリアを妃にと望んでいるからな。上は重臣、下は使用人まで。本人らは無自覚なんだろうが、公然といちゃいちゃする主従なんぞ、いっそ間男のほうを毒殺してしまえ、と走る馬鹿がいてもおかしくない」
「……まおとこ、って」
訊き返そうとしたエウルナリアは、強引に手をとられて立たされた。
返事を待つことなく扉に向かうディレイ――と、連れ去られそうな主の少女。二つの背に、苦虫を噛んだ面持ちのレインが全力で声を張り上げる。
「間男は! 貴方のほうですし、僕はむざむざ殺されません!! グラン、サーラ様のところにひとっ走りして、護身の解毒薬の持ち合わせはないか尋ねてもらえます? 分けてもらえないか、交渉を」
「お前って、本当にいい性格してるよな……」
まなざしと口だけは強気な親友を、心底残念そうに眺め入る。
半笑いで腰に手をあて、重心を片足に乗せたグランは瞬時に判断した。ここは。
「おっさ……じゃない、ディレイ王! いいでしょう。我が姫は一時、貴方に預ける。ただし夕食を終えたらお返し願いたい。アルユシッド皇子殿下もいらっしゃるなら安心ですが」
「選任騎士殿のお許し、いたみいる。……では従者殿の警護は任せよう。あとで何か、口にできそうな食事を運ばせる」
振り返りざま、肩越しにそれだけ告げる。気のせいか、機嫌は悪くなさそうだった。
キィ、と扉が鳴り、王は姫を伴って出ていった。




