175 王の帰城(中)
先触れの騎士となったグランに、丸テーブルの側の椅子で寛いでもらいながら、侍女らの助けを借りて茶をふるまう。
――香り高い、質の良い紅茶だった。
ウィズルは、あまり豊かではない印象をずっと抱えていたが、訪れてみればウィラークのように森や緑があり、物資が豊富で水源が確保されている都市もいくつかあった。
『大多数の貧民と、ごく一部の富裕層』という図式は、相変わらず拭い難いが。
(……問題は、やっぱり水よね。ひび割れて涸れるほどの地域にも村があって、人々が暮らしてる。砂漠のジールならば、良い知恵があるかしら。それか、河川の少ないオルトリハス東部)
黙々と考えに耽る少女に、グランは青い花模様の茶器をひょい、と掲げ、呆れたように話しかけた。
「エルゥ、ここ。眉間にしわ寄りそうだぜ? ま~た何か、難しいこと考えてるだろ」
上目遣いに、とん、と自らの眉間を叩いて見せる。
エウルナリアは心外そうに目を丸くした。
「『また』……、ってことはないわ。難しいことじゃない。どうしたらこの国がもっと豊かになるか、考えてただけ」
「それ、充分難問だし……」
「もっともだな」
(!)
ざっ、と部屋の空気が動いた。居住まいを正し、壁際に移る女官達。グランも茶器を卓上に戻して起立した。
「ディレ……、陛下。お戻りなさいませ。ようこそお越しくださいました」
思わず口をついて出た名に、エウルナリアは慌てて尊称で言い直す。
ぎょっとした女官や侍女らの視線が一斉に突き刺さったが、綺麗さっぱり無視した。
部屋の中央に立ち、完璧なる淑女の礼で出迎える少女と、傍らで騎士の礼をとる少年。
ディレイは、わずかだが目を細めた。
……微笑に見えなくもない。
ひらひらと、手のひらを下に向けてぞんざいな仕草で振っている。
「別に、言い直さずとも良い。これくらい、非公式の場なら、かえって気が休まるほどだ」
「左様ですか」
片方の侍女が、明らかにプルプルとしつつ頬を赤らめている。口。口が、緩んでいるのはどういうことですか。
もう片方の侍女は一見したところ表情に変わりはなく、眼鏡の女官はどことなくほくほくしていた。
あぁ、また、噂千里を駆けてしまう――
諦めのため息をこぼしたエウルナリアは、苦笑いでディレイに席をすすめた。
「お掛けになります? しばらく、お時間はいただけるのでしょうか」
「時間はたっぷりある。元々今日は、夜までレガートの接待を予定していた。それが丸ごと賊の討伐に代わり、釣りが出るほど手早く済んだんだ。何なら」
ふ、と視線を流される。
「部屋を違えて、いくらでも?」
「……おそれ多いことですわ、陛下。二人きりで、という意味ならばもちろん、ご遠慮申し上げます」
「つまらんな」
令嬢のすかさずの返答も折り込み済みのように、ディレイは部屋の奥へと足を向けた。寝台の枕元に備えてあった椅子に腰掛ける。
ギィッ
木製の肘置きが軽く軋んだ。伏せるレインと合わせて見ると、体躯の差は歴然としている。
さっきまで、女性治療師やエウルナリアが座っていた場所だ。身に余るように感じていた深い赤の布張りの椅子が、今はちょうどよい大きさに見えた。
「従者の具合は? エウルナリア」
「! おかげさまで。悪くはありません。サングリードの治療師様は、処置が早かったことを安堵しておいででした。痛みはあるようですが」
唐突に振られ、反射で答える。
「そうか」と一言。ディレイは瞳から緊張の名残を解き、心持ち表情を和らげた。
「よく、持ちこたえた。お前の主が無事なのは、お前の機転や尽力によるところが大きい。――礼を言う。レイン・ダーニク」
「…………こちらこそ。我が主を迅速に助けていただき、お礼申し上げます。ディレイ王」
(言った!)
(名前、とうとう……!!)
(つうか、なんで律儀に家名まで覚えてんだよ、おっさん!?)
レガートの三名がそれぞれ、内心での驚きをこっそりと処理した頃――わずか五秒あまりのことだったが。
さも長居した、と言わんばかりに国王は立ち上がった。振り向き、控えていた女官達や随従の騎士に声をかける。
「茶はいい。レガートの皇女殿下のところでたらふく馳走になった。セネル、お前も休め。明日の会議まで務めはない。今夜は、公式の宴をひらくほどでもないが――」
ちらり、とエウルナリアを見る。
「?」
小首を傾げる美姫に、ディレイは口の端を上げ、緩く頭を振った。
「……食堂と中庭を解放する。長卓を出し、ありったけの膳を並べろ。明かりを灯せ。酒樽も好きなだけ開けていい。俺は顔を出さんが、下々の兵まで来れるものは招き、大いに労うといい。食堂には通達と、特別手当てを」
「!! はっ」
「畏まりました、直ちに」
どことなく喜びに輝く、かれらの顔。去り行く背を見送り、ディレイは備え付けのソファーにどかっと腰を降ろした。天を仰ぎ、両腕を背凭れに預けて深く嘆息する。
「ふー…………」
「お見事な『人払い』でしたね、ディレイ。お疲れさまです。……本当に、お茶はよろしいのですか? 新しく淹れ直しますし、私もご相伴に預かりますが」
すでにポットを構えたエウルナリアが、にこにこと問う。
(…………)
これは断れない流れだな、と、ディレイは目を閉じた。
「お前の茶なら、飲もうか……まぁ掛けろ。積もる話になる。
言っておくが、ゼノサーラ殿に話した内容とは異なるぞ。全員、それだけは胸に留め置け」




