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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 西国の地下迷宮

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172 待つ身、案ずる妹

「俺だって、キスしたことないのに……」


「うんうん」


「ひどくねぇ? 兄殿下!! 顔が良くて文武両道、皇族で、司祭で! しかも選り取りみどりなところを、()()()()エルゥ!! どんだけ惚れてんだよ?!」


「どんだけ、かしらねぇ……はい。お代わり、いる?」


「あ、どうも」


 サク、サクッとナイフが入る。ウィラーク城の南棟にある来賓用の客室では、ゼノサーラが手ずからミートパイを切り分け、グランに振る舞っていた。



 もうすぐ、午後四時半。

 城に着いたのはもっと前だったが、やれレインが安静に休めるよう個室と寝台を整えるためだの、エウルナリアが身体を清める間の扉番だの、北棟の薬室に仮滞在していたサングリードの治療師に処方せんを渡して助手を務めたりだのと、働き過ぎた。


 到着後、青ざめた顔で出迎えてくれた皇女と交わした『あとで報告に来る』の約束に従い、先ほど(ようや)くこちらの部屋を訪れたところだ。

 『はい』と目の前に出された、ほかほかと湯気のたつ軽食を勧められるまで、自分が昼食を抜いていたことにも気がつかなかった。



 パイを切り分けられている間に、水で薄めた葡萄酒とクッキーもいただく。

 固めの食感に粒々の雑穀、干し葡萄(レーズン)も混じっていて、何となく癖になる。美味い。

 腹もくちくなり、いい感じに口も軽くなったところで、グランは地下に降りてからの全てを語り終えていた。――つまり、アルユシッドによる、エウルナリアへの突然の口づけまで。


(帰りの馬車ん中で、滅茶苦茶気まずかったんだからな……? 覚えてろよムッツリ殿下め。まぁ、レインを助けてくれたのも殿下(あのひと)なんだけどさ。くっそ、報われねぇなぁ……)


 内心で罵倒し、愚痴り、盛大に悄気(しょげ)ているものの、表情はそこまで暗くない。むしろ。

 赤髪の青年の隠された胸底(むなそこ)(すく)いとるように、皇女はぽつり、と呟いた。


「でも……レインもエルゥも、生きて帰ってくれて良かったわ」


 ――そう、それ。



 その一言に尽きるよな……と、しみじみ頷き、グランは三切れめのミートパイに手を伸ばした。大きくかじりついて遠慮なく頬張る。おかげで、迂闊(うかつ)に返事をせずに済んだ。


 『無事に』とまでは言えなくとも、今回は二人の機転と幸運、ディレイ王の采配と行動によって『最悪』を回避できたのだ。

 場合によってはレインは事切れ、忌まわしい出来事の真っ最中だったとしてもおかしくなかった。薄汚い実行犯らと遭遇した身としては、もはや湿っぽいことなど一切言いたくない。


 ――もくもく、もぐもぐもぐ。


 グランの惚れぼれする食べっぷりを、じぃ……っと眺めていたゼノサーラは、ふと、口をひらいた。


「兄さま達、大丈夫かしら……」


「大丈夫だろ」


 ごくん。

 すかさず嚥下(えんか)したグランが事も無げに答える。即答だった。


 秋の日没は早い。窓の外は徐々に夕暮れに近づきつつあった。

 とはいえ、まだ辛うじてオレンジ色に染まらぬ窓越しの山の()に、ひっそりと濃紺の視線をうつして。


「兄殿下はあぁ見えて剣の腕も確かだし、周りは忠実な部下でもあるサングリードの猛者ばっかり。返り討ちだろ、もし、向こうに先見の明があって、旧神殿跡地を襲ったとしても」


「そうなの?」


「そうだろ」


 けろり、と言い放つ青年に、皇女はあらためて目をしばたいた。

 なるほど、自分が旅程を共にした東方のサングリードのキャラバンと、似たようなものか――……と。

 考えに耽り始めたゼノサーラと、すっかり食べ終えて頬杖をついたグランの耳に。


 コンコン、と扉を(おとな)う音が、しずかに飛び込んだ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] グランの憤りぶりが…!! ユシッドさまってどんだけなんですか~(すみません、そのあたりをまだ私よく掴んでおりません) 今話のサーラがおとなしめなのが、今回の事態の重さを物語っている気がしま…
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