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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 西国の地下迷宮

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170/244

170 蝙蝠の見る夢※

 まずい。

 ()られる。終わった、捕まる――!


 一瞬で自らの失態を悟った男達の転身は早かった。

 想像を絶する少女の身を絞る声に呑まれ、視線を外せなかった。注意を、迫る複数の足音に向けられなかったのは特に致命的だった。


 背を向け、標的となる松明を放り投げて一目散に(きびす)を返す赤鷲(あかわし)。追う片目(かため)

 その背を。



「射ろ。外すな」

「は」



 一片の躊躇もない指示、応える声。すでに矢をつがえ、放つ用意をしていたのではないか。

 それほどの間断のなさで弓を引く音が響く。


 ――矢羽の、風を切る音よりも肩を。足を貫く矢じりによる熱と痛みが速かった。

 

()()()、姫と負傷者を連れて先に戻れ。エリオット、すみやかに客人らをアルユシッド殿の元まで届けよ」

「! わかっ、……はい!!」

「御意」



 いち早く、刺さりどころが悪かったらしい赤鷲が転倒する。わめき、騒いでいるが片目は一目散にその場から離れた。

 早く。はやく、もっと遠くへ。何とか逃げおおせないか、闇と小路にまぎれて、と視線をさ迷わせるも、手近なところに分岐は一つもない。一本道だった。「捕縛せよ。殺すな」など、その声は荒ぶるところなど何もないのに、一々(いちいち)耳に入る。


 カチカチカチ……と、勘に障る震えに似た音がごく近くから聞こえた。


 違う。歯の根が合っていない――俺の。



「!!!!」

不様(ぶざま)だな」


 風圧が、体の横を走り抜けた。後方に落としてきた松明のわずかな光源を受け、砂色の長く流れる尾が、白いマントとともに(ひるがえ)る。

 髪だ。英雄王の――……!


 気づくのと、下から繰り出された銀光が喉元に迫るのは同時だった。

 片目が、たった一つしかない目を限界までひらいた瞬間。



「お待ちを!! 陛下! ()()()()()()()()()()()()()()……!」




 ――――ピタリ


(!!!!)


 信じられぬ反射力。神業じみた制御で、剣の軌道が何らぶれることなく静止した。

 もはや、逃げることはおろか、動くことすら叶わない。少しでも身じろぎすれば、刃は容易く喉に触れるだろう。それほどの肉薄した距離だった。


 カチ、カチカチカチカチ…………


 思い出したように歯が鳴り始める。

 ぴり、と、おかげで薄皮一枚切られた。やばい、これ以上は。


 見たくもないのに、目の前の偉丈夫――組織にとっては目障りこの上ない、王となった男から目を逸らせなかった。つめたい、炎のような視線で射抜かれているので。

 背を滝のような汗が流れる。

 それが矢傷のせいなのか。今、このとき全身に浴びせられる威圧のせいなのか。それすらどうでもいい。片目は形振(なりふ)り構わず嘆願した。


「たっ……頼む。殺さないでくれ。話せることは何でも吐く。アッ、アジトへの案内だってできる。だから……!!」

 

「…………セネル、これも捕縛」

「はっ」



 いっそう、蔑んだような茶褐色の切れ長の瞳が、すい、と逸れて片目の後ろを流し見た。


「ガザック。褒めはせんぞ」

「――御意に」


 白髪がうっすらと混ざる黒髪。短く整えられた口髭。いかにも人の好さそうな中年の男性が、きびきびと片膝をついた。


 つかつか、とディレイが歩み寄る。


 抜き身の白刃が閃き、切っ先は顔を伏せるガザックの顎の下へ。刃ではなく、剣の腹――平たい面でもたげられた。かつての主従が、視線を結ぶ。


「どの(つら)下げて、一体何度、俺を利用すれば気が済むんだ。この阿呆が」


 思い切り、チッ、と舌打たれた。その面影に、幼い頃のかれを見る。ガザックはしゃあしゃあと微笑んだ。


「何度でも。……何度だって、『有効活用』いたしますよ。貴方は逸材だ。運もある。生き延び、うつくしい生き餌まで引き寄せて。長年我らを苦しめた禍根の端まで易々と捕らえられた。あとは間をおかず、粛々と包囲網を敷けばいい。あと、少しです。先代の悲願まで」


 みるみる間に、ディレイの顔が曇る。

 不愉快だと罵ればいいのか。よくもまぁ、と呆れればいいのか。


 はーーー……と、長く長く陰鬱なため息をこぼす。ぐしゃり、と空いた左手で額の後れ毛をかき上げ、剣を鞘に戻した。

 やり場のない怒りに暴走しそうな拳をだらん、と下げて、一旦腰に当てる。


「……今回は、いくらなんでも独断が過ぎた。レガート皇室の目もある。犠牲も出た。…………復職は叶うと思うなよ。左遷だ左遷。東ウィズルあたりに大人しく引っ込め。いい加減隠居しろ、妻子が泣くぞ。それとも、養父(おやじ)殿に化けて出てほしいのか」


「左遷は、寂しいですが喜んで。()()()()()()()()()()()、折りにふれて。前将軍閣下については……御免被ります。ふふ、祟られては敵わない」


「……」


 む、と口の端を下げたディレイは今度こそ、どうしようもないまなざしで目の前の男を見つめた。「立て。左遷の前にもう一働きだ」と、跪く(すね)の辺りを蹴りつける。結構な力を込めてやった。


 (いた)た……と、わりと、本気で痛がりつつ立ち上がるガザックの胸ぐらを掴み、すたすたと側で待機していた騎士らの元へと向かう。全員、訳知り顔だった。


 すぅ、とディレイは息を吸う。すらすらと、淀みなく命令を下した。


「捕虜を連れて、全員即地上へ。戻り次第治療。同時に尋問。地上(うえ)の逃げ道を押さえた上で、地下(した)から一気に叩くぞ。地上部隊、地下部隊両方を選別せよ。こいつは――」


 ぽいっ、と手放す。ガザックはたたらを踏み、捕虜の側へと()()()()()()


「『裏切り者』だ。レガートにはそう伝える。形式上、裁判だの調書だのでどのみち拘留は必要だろう。奥方は慣れっこだろうが、しばらくは罪人として扱うぞ。……バカが。覚悟しとけ」



 勝手に動き、勝手に『先代のために』と平気な顔で王を。自身すら省みず嘘八百並べられる男を。


 ディレイは束の間、腹の底から哀れみ――――可能な限り、すばやく心を切り替えた。




 地上に逃したエウルナリアを守るために。

 根こそぎ倒すべき、地下の敵へ。









お疲れさまでした。ようやく……ようやく、異世界恋愛に戻れそうな気がします(泣)


ほんと、シリアスですみません!





~7/31追記~

ちなみに、ガザックのいう「ディレイが幼い頃」にはちょっと足りませんが、少年期はこんな感じでした。


挿絵(By みてみん)

(※十七歳のディレイのイメージ)


今年3月に描いていたようです。

ふと思い出したので、こちらに貼らせていただきますね(こっそり)


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― 新着の感想 ―
[良い点] あらあ…! こういう展開だったんですね! やられました!! 汐の音さん、一枚上手! 香月から座布団五枚!笑 R展開も結果的に上手く避けましたね。 負傷したレインだけが気の毒な気が^^;
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