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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 西国の地下迷宮

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169 名を呼ぶ声

「――聞こえたか? エリオット」


「は」


 耳が拾ったのは断続的に響く金属音――剣戟(けんげき)。馴染みのある音だった。前方やや左手。手にした灯りをかざすも、今は一本道。分岐はない。


貧民窟(スラム)に向けて方角は南東……隠し扉を背に二時方向。ほぼ真っ直ぐ進んできた。アルユシッドに任せたサングリード仮本部が奇襲を受けたわけでもない。ならば)


 今も、かすかに聞こえる。

 音の出所(でところ)を探るために、ディレイはあえて足を止めた。付き従っていた騎士らもそれに倣う。


 エリオット、と呼ばれた灰髪(アッシュへア)の騎士は、ごく冷静に答えた。


「乱闘ではありませんね。手練れ同士の死闘でもない。むしろ、実力差の明確な一対一かと」


「あぁ。向こうの仲間割れならば、いいが。そうとばかりも言えん。――走るぞ。極力音は立てるな」


「は」


 目線でのみの一礼を受け、前方へ一歩、二歩。前傾、やがて加速し、上体の振動を最小限に抑えて駆け出した。


 あたりは変わらず真っ暗だが、ほのかに松脂(マツヤニ)の匂いがする。薪を燃やしたような、焦げた匂いも。


 近いはず。追い付けるはずだ。


 音から察せられる僅かな変化も聞き漏らさぬよう、ひた走る。後ろは見ない。

 背後を任せているのは、ともに育った昔の直属の部下達だ。何も言わずとも、分岐のたびに目印の簡易ランタンを置いていたことは知っている。


(……こっちは、付いて()れているか)

 ちら、と右に視線を流すと、異国(レガート)の赤髪の騎士が斜め後ろを並走していた。

 体力的な意味でも、機転という意味でも問題はなさそうだ。


 道は間違いない。無駄な分岐だらけだった区画はとうに抜けており、幅の広い通路がえんえんと続いている。

 すると。



  ――カァァン……


  ガラ、ガラァン…………




(!)

 ひときわ派手な反響音。どちらかの剣が落ちたと、苦もなく知れた。

 これで猶予がなくなってしまった。一秒でも早く、と念じていたのに。


「……嘘だろ、分かれ道……?」


 順路とみられた広めの通路は唐突に終わりを告げ、円形に整えられた中継地点らしき場所に躍り出る。

 後続の一人が苦々しく呻き、全員の足が止まった。


 分岐路。

 しかも、四つ。



 剣の反響はおさまり、辺りはシン……と静まり返った。

 あと一寸(ちょっと)。もう少し打ち合いが続いていれば、苦もなく選べたのに。


 四つの入り口を睨み据える主君に、エリオットは進言した。


「……我々も分かれましょう。陛下はそちらの少年とあと一名をお選びください。残りは二名ずつ。知らせの笛を四通り決めれば問題ありません。我々の誰が見つけたとしても、必ずや、お救いします。――剣にかけて」


「……」


 ディレイはひそかに苦渋の表情を浮かべた。

 確かに理に(かな)っている。不可はない。最善手とは呼べぬまでも仕方なしと、頷くべきだった。


 しかし。






 ――――ァァ、ァアアアアアアアァァァ…………







「「「!!!!」」」


 全員が凍りつき、立ち尽くした。

 伝説の鳴き女(パンシー)さながらに聞くものの胸を裂く、尾を引く声。にも拘らず海の魔女(セイレーン)じみた牽引力がある。()まない。続いている。


 おかげで出所は知れた。

 魂を奪われている場合ではない。もちろん恍惚とする場面でも。一同は、まとう空気をがらりと変える。



「陛下、今のは」

「流石、と言うべきだろうな。『一番左』だ。目印は要らん。全員来い! 全速力!」

「はっ!」

「はい!!」



 騎士達の(いら)えに、当然のように赤髪の少年の返事が混ざった。滑るように駆け出した王を先頭に、総員抜剣。鞘走る音が九名分かさなり、続く。


 ――――落ちた剣。徐々に近づく、彼女の声。

 そこから弾き出される予想は、そう多くない。おそらく。


(行けばわかる。対応はその時に)


 要らぬことは早急に頭から追い出した。

 今、この時。せねばならないことを。





 (けぶ)る、松明の匂いが濃くなってゆく。

 曲がり角を左に折れた先、揺れる火影(ほかげ)が見えた。




   *   *   *




(頼む。間に合え……!)

 血を吐くほどの焦りに顔を歪めたグランは、王の背を飾るマント越しに、ようやく追い付いた。

 刮目。一瞬で事態を把握する。



 ――――――


 エウルナリアがいた。

 座り込み、狂おしく嘆き続ける彼女を抱き締めて、背から血を流すレインも。すぐそばに大中小の男が三名。



(!!)

 カァッと、血が昇った。同時に頭の(うち)が真っ白に染まる。

 不吉な言葉も何もかもすっ飛ばし、腹から声が(ほとばし)り出た。――――なにを、何を悠長に寝てるんだあいつは?! と、怒りすら込めて。


「……エルゥッ……、レインは! あとは任せろ! だから泣くな。しっかりしろ!!!」





 びくん、と少女の肩が跳ねた。


 求めた姿。現れてくれた、待ち望んだ助け手の面々に、エウルナリアの驚異的な叫びがぴたりと止まる。ゆるゆると、細い首を巡らせて。


「グラン。…………ディレ、イ……っ!」


 喉から絞り出される、名を呼ぶ声。

 濡れた青い瞳が焦点を結び、幼馴染みと王をくっきりととらえて、映した。





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― 新着の感想 ―
[良い点] >――――ァァ、ァアアアアアアアァァァ………… この表現が良いですね。 何故と言えないですが、悲痛に叫ぶエルゥの悲哀が込められてその絶叫が伝わってきました。 果たして、間に合ったんでし…
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