167 鞘すべる、鋼の音
「おい。どういうこった、ガザックさんよ」
「どう……? あぁ。彼女は正真正銘レガートの歌姫だよ。身分に偽りはない」
「そうじゃねぇっ! しらばっくれんな。この女が、近々妃になるって聞いたから首領は危ねぇ橋を渡ったんだ。計画も何もかもおじゃんじゃねぇか!! 『国王が腑抜けて、ずた襤褸になるような扱いしてやる』って、すっげぇ気合い入ってたのに」
「……」
「…………」
それは嫌だな、詳細は聞きたくない……と、主従は目配せを送り合った。
ガザックは、そんな二人の気配に目ざとく気づき、つかつかと小部屋を横切る。
「まぁ、そんなことより」と呟くと、おもむろにエウルナリアを繋ぐ縄を手に取り、壁から外し始めた。
「おい」
もはや、行動が読めなさすぎるためか。片目の口から、やや力の抜けた呼び声が漏れる。
急ぎ足で近づき、後ろからガザックの肩に手をかけるが、口髭の元・ディレイの副官どのは動じなかった。淡々と視線を流す。
「ほら、そっちの少年も壁から外してくださいよ。私だって陛下のところには、もう帰るに帰れませんし。まだ時間は稼げると思いますが」
ちら、と手元の縄を伝い、黒髪の令嬢を眺める。
すると、ふと、まなざしが彼女の瞳ではない、飾りを失った右耳に吸い寄せられた。
(! しまった。気づかれた……?)
エウルナリアの心臓が、大きく跳ねた。
――どうしよう。偶然でも現場に手がかりを残せたかも、という希望を悟られたくなかった。かれらには是非、このまま油断していてほしい。
負けじと睨み返すと、なぜか、ふっと微笑まれた。
「ガザック、さん……?」
「いえ。何も。何もありませんよエウルナリア様」
何だかんだ言いつつ、属する組織の命令には服従を貫くらしい大男がレインの元へと向かう。無造作に縄を壁から外すと、ぐいっと乱暴に引っ張った。
「っく……!」
転びそうになるのを、寸でで堪えたレインが凍えた視線を片目に向ける。傍らで、赤鷲が耳障りな笑い声を上げた。
「綺麗な顔だねぇ、兄ちゃん。俺はさ、男色の気はないけどすげぇ高値がつくだろうよ。良かったな」
「……」
むっつりと押し黙る少年に面白味が失せたのか、猫背の小男は興醒めしたようにそっぽを向いた。
「あー……じゃ、俺が先導で松明係か?」
「それが妥当でしょう。元より、この道はあなたしか知らない」
「そういや、そうだな。……チッ、面倒くせぇ。男はともかく、女はここで味見したって」
「だめだろ」
「駄目です」
「追い付かれますよ」
「!!!!」
約一名の意向は言葉になっていなかったが、ほほ満場一致の声に促され、赤鷲は仕方なく通路へと進み出る。持参した真新しい松明に火を点し、用済みとなった壁の灯火にはフッと息をかけて、順に消して回った。
辺りは、再び心もとない暗闇。ただ先をゆく赤鷲の、朽ち葉のような色合いの頭が妙に浮かび上がる。
「じゃ、行きましょうか。すみませんねエウルナリア様。私なんかの無粋なエスコートで」
「本当だわ」
あえて、ゼノサーラのようにツン、と盛大に顔を逸らすと、クククッ……と忍び笑いが後ろから漏れた。片目だ。
「いいねぇ。美人は気位が高いくらいでちょうどいいや。なぁ、ガザックさんよ、こっちの坊主と交代しようぜ。おんなじ美人でも、連れ歩くなら断然女がいい」
ガザックの制止も聞かず、近寄る片目。
エウルナリアはあっという間に横抱きにされてしまい、精一杯に反抗した。密着だけは勘弁、と括られた両手で筋肉しかなさそうな胸板を必死に押し返す。
が、当然叶わない。
「おいおい……、なんで俺はだめで、お前はいいんだよ」
「だってよ、お前の女好きはおれ以上だろ。王妃候補ってのがガセだったとしても、こんな上玉渡せるかよ。おれらをまいて、自分だけが知ってるような小部屋に連れ込まれちゃ困る」
「! いやぁっ!!」
薄暗がりでもはっきりわかるほどの接近。
ぐっと顔を寄せられた、次に取られるのだろう行動を察知して、エウルナリアはもがく。嫌悪に肌が粟立ち、目を固く、ぎゅっと瞑った。
(冗談、じゃない……! こんなひとに!)
――と、その時。
シュリン……とつめたい、鞘走る鋼の音が聞こえた。




