163 手繰りよせる糸は、ここに
「まずは灯りだ。各隊、手分けしてランタンを置いて行け。痕跡を見つけた者はすぐ、合図の笛を」
「はっ!」
円形劇場の管理事務所である館の一階、奥まった場所には階段があった。うっすらとした階下の暗がりに続き、さほど大きくはない。ごく普通の、どこにでもある地下室への入り口に見える。
先発隊の足音や話し声が反響し、遠ざかっていった。
――他国ながら、おそろしく規律正しい騎士たちだ。鎧や長靴の擦れる音以外、浮わついた騒々しさなど一切ない。ものものしい空気はピリピリと肌を刺すように伝わった。
「行くぞ」
「はい」
まるで、王の従者のように連れだって歩く。
声をかけられたグランは、きゅ、と表情を改めた。
(頼む。無事でいろ、エルゥ。レイン)
――異国の古き地下迷宮。
その全貌は実のところ、グランの予想を遥かに上回った。
『え? なに、地下ってここだけじゃねぇの?』
隊の編成が終わるまでの間、いくつかの注意事項を言い渡された。その一つが「決して離れるな」だ。
グランは首を傾げた。
方向感覚なら悪くない。支給された携帯ランタンもある。真っ暗闇でも明かりさえあれば……と、自身については軽く考えていた。
見たところ、正規の騎士と兵が合わせて五十人はいる。独りぼっちになるほうが難しそうなのに。
『あぁ。ウィラークは地下のほうが広い。潜伏先としても厄介だ。元々、先住の民が築いたらしい地下街がえんえんと広がっていてな』
『嘘だろ』
『嘘じゃない。うまいこと水脈だけは避けて掘られている。だから、地上の水場には影響がない。一説によると、大昔の涸れた水路あとだとか。下水道の痕跡だとか言われているが』
『へぇぇえ……』
ばさり、と広げられた地図を再び仕舞いつつ、ディレイは淡々と述べる。
『定かじゃない。今はどうでもいい』
『……って、いいのかよ?!
あ。じゃあ、さっきの地図はフェイクだな? どっかに抜け道があるってことか』
『飲み込みは早いな。いいことだ、“赤毛”』
『俺はグラン。“グラン・シルク”だ。赤毛じゃない。……まぁ、やたらと赤いのは認めるけどさ』
ぶつぶつ。伸びてきた前髪を指でひと摘まみ。ふて腐れても楽観は許されず、一刻を争う事態であることに変わりはなかった。
なので。
(やっと、探せる!)
目の前を揺れる、王の白いマント。括られた砂色の長髪を眼下におさめ、グランは階段を下った。
* * *
いっぽう。
逃がしてはくれないの? との問いははぐらかされ、主従は再び何もない部屋に取り残された。
空腹を感じない、ということはさほど時間が経っていないということ。
自力で逃げる……? 無理。互いの縄をほどこうにも、二人とも離れた場所にくくりつけられてしまった。
後ろ手ではつらい、との訴えは聞き届けられたので、両手は今、胸の前。
しかし相変わらず虜囚そのものだ。堂々巡りの考えだけが、ぐるぐると浮かんでは沈む。
「エルゥ様」
「ん?」
「ずいぶんと落ち着いておいでですが……妙案でも?」
部屋が明るくなり、主のとりあえずの無事を確認できたことで、冷静さを取り戻したレインがひそひそと話しかける。エウルナリアは微妙な顔になった。
「ない、ね。でも……ガザックさんは、せめて命だけは取られないようにと言ってたわ。それを信じてる。生きてさえいれば絶対、助けは来るわ」
「! 『命だけ』助かったって、死ぬよりつらいことは、いくらでもあるんですよ……?!」
歪められる涼やかな美貌。この世の終わりのような声。
レインにとっては、エウルナリアがすべて。それを如実に語る表情とまなざしだった。
「うん……」と、思わず、力なく頷く。
わかっている。
歴代の楽士伯家の人間が務めのさなかで命を落としたり、ほかの何かを犠牲に強いられることは多々あった、と父から口頭で学んだ。東から帰って、一夜明けてのことだった。
(お父様は、はっきりと言われなかったけど……歌長だったおばあ様は、オルトリハスで落命の際、たぶん)
そっと、唇を噛む。
当時の草原の王は他国の者を人間とも思わぬ過激派、風の部族の出身だった。にも拘わらず、九つ年上の祖母に懸想していたのだという。祖父ともども捕らえられ、偽りの宴の席で何があったかなど。
(最悪の想定なんか、どれだけだって出来る)
エウルナリアは眉間を険しくし、ぶんぶんと頭を振った。
「……エルゥ様?」
「ごめんレイン。貴方を巻き込みたくはなかったんだけど」
「やめてください縁起でもない。この上、エルゥ様だけが拐かされたとあっては、僕は一昼夜で髪が抜け落ちます」
「それは……、ひどいね」
「でしょう?」
だめだ。
ふいに『抜け落ちた』姿を想像してしまい、申し訳ないことに笑いが込み上げてしまった。――――その容姿で、なんてこと。まったく、なんて荒療治!
ふふふ、クスクスと笑い声をこぼす主に、レインが痛いような、いとおしむような光を浮かべる。
すると。
「ん……?」
灰色の瞳が、なにか違和感を見つけたようにきらめいた。エウルナリアも気づく。「どうしたの?」と訊くと、無言で自身の耳を指差した。引き結ばれた口許。明らかにあえて、喋っていない。
(耳? わたしの? おかしいな、怪我なんて……)
つられて、垂らした髪をよけて触る。
はっ、とした。
「……」
エウルナリアもまた、無言で視線をあげる。大好きな従者へと返す。ほんの少しの希望を、ちかりと乗せて。
歌のあとまでは、ささやかな真珠と水晶の耳飾りを付けていた。
細かな水晶が雫のように、樹脂の糸でいくつも連なっていた。きらきらと音を奏でていたので、よく覚えている。
それが今は、片方なかった。
――――金具だけ残し、飾りの部分のみ取れてしまったようだった。




