162 蝙蝠と戦神
「まず、最初にお伝えしますが」
ガザックは扉のない出入り口に寄り掛かり、二人を見下ろしたまま語り始めた。逆光のせいか表情がわかりづらい。声も平淡だ。
あからさまに距離をとられている。
互いに害することも、助けることも叶わぬ距離はまるで、今のかれとの関係性をそのまま表すようで。
(やっぱり……『黒』なのかな)
はっきりとした落胆の予感。抑えようのない不安で、胸下がちくちくする。
エウルナリアは気落ちを悟られぬよう、できるだけ眦をきつくした。
ガザックは、さも困ったように苦笑する。
「私は、ディレイ様を好ましく思っていますよ。ですが、現在はあの方の意思と関係なく動いている」
「つまり、独断で浚ったんですか」
「はい」
――――確定だった。
くらり、と目の前が遠くなる。
軽く天を仰ぐ主の隙を埋めるべく、レインは凍えた声で間に入った。
「あの男達は、どうしました。見張りを任されるほど信頼関係が?」
未だに薬効が残っているのか、うつ伏せで倒れたままだ。たまにだが、苦しげな息をもらしている。
それでも喋りながら身をひねり、辛うじて横向きになった。
言葉の棘に気づかぬわけもなかろうに、ガザックはおどけた仕草でひょい、と肩をすくめて見せる。
「おかげさまで。それぞれ出掛けてるね。でかいのは貧民窟の、非合法の娼館経営者の総元締めのところ。猫背の奴は逃亡中の前神官長のところに」
「……娼、館……? って、待て。それは――まさか、エルゥ様の身柄を!!?」
並べられたうち、前者の勢力にレインの耳は過剰反応した。ガザックはけろりとしている。
「えぇ、由々しいことにね。我が国では慣習として、娘が奉納金がわりとなることが多かった。……と、もうご存知ですね?。そういう経路が国中、すっかり確立されてるんです。
この部屋にしてもそう。彼女らを秘密裏に運び出すために造られた中継点の一つですよ。なかには搬出途中で手込めにされるうつくしい娘や、収集家を自称する貴族に横流しされる少女もいたとか」
「! ばかな。最低な、ことを……っ!!」
ぎり、と砂を噛むように、苦さに引きずられた掠れ声。灰色の瞳は嫌悪で歪められ、今また主を対象に繰り返されかねない蛮行の例えに、蔑みが炎となって全身から立ち上るようだった。
――――が。
「……ここが、隠し通路の途中なのはわかっていました。他国で浚われる、というのが危険に直結しているのは熟知しています。職業柄。
ですが……一体、どうしたいんです? 私達を怒らせたい? 怖がらせたいの?
私が訊きたいのは『理由』です、ガザックさん。仮にも長くディレイの片腕をつとめたはずの貴方が、なぜこんなこと……本当に『裏切り』なんですか??」
激昂するレインとは対照的に、エウルナリアは冷水そのものの言葉をこんこんと浴びせかけた。
静けさを湛えた深青の瞳は、通路からの明かりを受けて不思議な色合いを帯びていた。ウィズルにはない、夕映えにかがやく湖のように。
ガザックは束の間それに見惚れてしまい――数拍遅れで、ハッと気づく。いかにも決まり悪そうに頭を掻きつつ、嘆息した。
「裏切り云々は置いておいて……お二方の、命だけは助けて差し上げたいと願っていますよ。このままじゃ、特に貴女はひどい扱いを受けることになる」
「?! どういうことです。僕ならいざ知らず、なぜエルゥ様が、命を……っ」
心底不可解、と青ざめた顔に貼り付かせ、従者の少年が問う。ガザックは事もなしに答えた。
「逆恨みですよ。連中、陛下があんまり強くて害せないからと、想いものである貴女で鬱憤を晴らそうとしてるんです」
* * *
その時。
探査の第一陣だった騎士二人組からの報告と王の勅命を受け、それぞれが忙しく動き始めた旧神殿跡地では。
「おい、連れ去ったのってガザックのおっさん本人じゃねぇの?」
周囲のウィズル騎士にもれ聞こえぬよう、王に小声でひそひそと耳打ちするグランの姿があった。
ゼノサーラと外交官はすでに発った。アルユシッドも、とうにいない。しぜん、グランはディレイ付きの小姓よろしく側に控えている。地下に潜る隊を編成している、その待ち時間だった。
気が急くあまり、口調の乱れを直す気もないらしい赤髪の青年に、ディレイは無表情で答えた。
「だろうな」
「だろうな、て。あんた」
呆気なく認められ、思わず脱力する。それは。
「……やばいんじゃねぇの? こっちの内実、筒抜けじゃん。案外こないだの襲撃だって」
「かも知れん」
(あ)
グランは瞠目した。ここに来て、ディレイが初めて考える素振りを見せている。
若干苦悩の形をとる眉。瞑目し、顎に指を添え、ふぅ、とため息をつきさえした。
「ガザックは、先代将軍だった養父どのの代から仕えていた男だ。腕っぷしよりは、間諜としての能力のほうが高い。先の内乱でもコウモリよろしくあっちの陣営、こっちの派閥と忙しかった。そのくせ、最終的には俺の利に叶うよう動いていたからな……だが」
まぶたが上がる。茶褐色の瞳がひらく。
つめたい光を宿す王者の視線に、ぎらりと物騒な感情が閃いた。
「! ……っ……」
グランは、つい、その無駄なく整った横顔に呑まれる。何と言うことはない。戦神と化しそうなディレイの気迫に間接的に当てられた。とばっちりだ。
「もしも、エウルナリアに何かあれば。どこに居ようと見つけ出して必ず殺す。絡んだ勢力はどいつもこいつも、全員根こそぎ絶やしてやる。なんとしても、だ」
――ごくり。
青年は、自分が唾を嚥下した喉の音をやたらと大きく感じた。
およそ、周囲の空気が一段と冷えて透明度を増したような感覚。まとう気配を、極北に聳えるという千年氷の如く澄ませ、ディレイは真逆の禍言をさらりと吐いた。




