161 黒か、灰色か※
薄れてゆく意識の向こう側。
大柄な男の肩に担ぎ上げられながら、エウルナリアは必死に耳を澄ませた。
(だめ……、寝ちゃだめ……!)
瞼はとっくに落ちている。ガザックに突きつけられた小瓶の液体は、嗅いだことのない匂いだった。結果、瞬く間に凄まじい眠気に襲われている。
このまま眠るわけにはいかない。寝てしまったあとももちろん恐ろしいが、せめてもう少し何か。
あとで、状況を打開できるような情報を。
エウルナリアは、遠ざかる現つの気配に糸を巡らせるよう、なるべく緩やかに注意を払った。男の手がどこに触れているのかなど、この際どうでもいい。
ギィィイ……、ガコンッ
重々しい音を立てて何かが填まる。「やべぇな」「ぎりぎりだった」など、ひそひそと交わされる会話。
カシャンカシャン……と、鎧と剣の鞘がぶつかり、擦れる音が聞こえた。
騎士達だ。迎えに来てくれていた。
なのに!
(音が遠い。閉められた……かくし、扉……?)
心の呟きも芒洋として表情筋も動かせない。限界だった。
それでも、全身全霊で叫びたかった。荷袋よろしく頭から振り落とされたとしても精一杯。今、このときこそ。
紗幕の掛かる心の深奥、火で炙られたような焦りが内側からざりざりと胸元をかきむしる。
ここに。
ここにいるの。お願い、助けて――――と。
* * *
「……ううぅっ……」
夢の余韻も何もない、意識の急浮上。
みずからの呻き声ではっきりと覚醒したエウルナリアは、体を起こそうとして愕然とした。
腕を自由に動かせない。後ろ手にきつく縛られている。
落ち着くために、吐息を一つ。
頭をもたげ、周囲に視線を巡らせても真っ暗で何も見えなかった。
どこかの部屋だろうか?
石畳の感触から察するに、まだあの地下のどこかのような気はするが。
(隠し扉……ってことは、当然よからぬ秘密の通路よね。あの騎士様がた、仕掛けには気づいていなかった。じゃあ、ここは)
――すでに、旧神殿跡地の敷地外である可能性が高い。
あれからどれほど時間が経ってしまったのか。数時間か一晩か。それすら不明だった。
とはいえ、衣服に乱れはないようだし、体に痛みや違和感の類いはない。そのことに秒で安堵しつつ、自分と同じように、強制的に目の前で眠らされた従者の少年を思う。
気づくと、不安はそのまま声になっていた。
「レイン……どうしよう。違うところに閉じ込められちゃったのかしら……」
「いますよ、ここに」
「えっ!? うそ、どこ。何処に?」
「此処です」
「……」
何というか。
怒りすぎて感情の起伏を忘れ、一周回ったあとのような声だった。
それを頼りに腹筋を使い、「んんんっ……!」と、気合いで身を起こす。ドレスは動きにくいことこの上なかったが、辛うじて立ち上がった。
カツン、カツン……
小さな踵の音が微かに響く。
なおもゆっくり歩を進めると「――ストップ、エルゥ様。それ以上は僕が踏まれます」と、声がかかった。足元だ。
「わ、ごめん!」
驚いて謝り、その場で瞬時にしゃがみ込む。
じぃ……っと視線を凝らすと、たしかに頭部と肩、背中の稜線がわかった。腰より下は、暗闇のなか沈んで遠い。
レインだ。うつ伏せに寝転がされている。
エウルナリアは思わず項垂れた。
「大丈夫……、じゃないよね。ごめんなさい」
「? なぜ謝るんです?? 捕まったのはエルゥ様のせいじゃないでしょう。それを言い出したら、貴女をお守り出来なかった僕はどうすれば良いんです。このままじゃ、正気を手放したアルム様を筆頭に、終始責められての公開処刑ですよ。骨も残りません」
滔々と、ごく冷静に捲し立てる従者に、やや引き気味となる主。
エウルナリアは口許を引き吊らせつつ、なんとか父のフォローをできないか試みた。
「えぇと……いくらお父様でも、そこまでは」
「いいえ、やります。絶対にやられます。エルゥ様はご存じないんですよ。お父君のご気性の真の恐ろしさを」
「……左様ですか……」
何となく丁寧語になったところで、互いにふっつりと言葉が途切れた。
はっきり言って、それどころではない。二人とも痛いほどわかっている。
「捕まりましたね」
「だね……」
「ガザックさんは『黒』でしょうか」
「わかんない。『灰色』かも」
「なぜ?」
間髪入れずに問われ、自信なさげに首を傾げる。数度瞬き、懸命に記憶から根拠を探した。
「あの時のガザックさん、『最後まで聞け』と言ってたわ。それに、あの方とってもディレイのことが好きなのよ」
「…………いや。まぁ、確かにそうは言ってましたが。
後者はどうしてわかるんです? そんな、他人視点での曖昧なこと。『好き』だから裏切らないなんて保証はどこにもないんですよ?」
「レイン、世知辛い」
「激辛で結構です。僕は、貴女のぶんも世の中を疑ってかかろうと七年前から決めています」
「ひどい言い種ね」
「あのう…………これは、お二人の痴話喧嘩という解釈で宜しいですか?」
((!!!))
主従は、ハッと目をみひらき、同時に固まった。
今まさに当人について話し合っていたとは流石に言いにくい。ましてやガザックときたら、地味に足音を消すのが巧すぎる。本人曰く妻子と公職持ちのくせに、妙に諜報職っぽいのだ。
「え、あああ、あの」
エウルナリアがまごつく間に、かれは火打を用い、ボゥ! と、壁に掛けてあった木片に火を灯していった。
パチッ……、と火のはぜる音。
ようやく周囲が照らされる。それは厳密には通路側のもので、こちらは壁を隔てた小部屋だった。扉のない、大人が出入りできる縦長の穴を開けた窖のような石室で、材質は旧神殿の地下と同じ。
囚われた自分達以外は何もない。がらんとしている。
明かりを背に、ガザックが主従を見下ろした。
「えーと……今更ですがね。ご説明、要ります?」
「是非」
眩しさとしずかな怒りを込め、眉宇をひそめる。
今度はエウルナリアが問う番だった。




