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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 西国の地下迷宮

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160/244

160 暗転

 ――来た道を。

 劇場まで戻るよりは、記憶する往路を遡るほうが早いと一瞬で判断した。


「エルゥさま、こっちへ……!」


 主の細い手を握り、すばやく先の十字路まで戻る。光源を持つのはガザックのみ。真っ暗な地下道を走るのは危ういが、あのディレイのことだ。迎えの人員を寄越していてもおかしくはない。迷ったとしても、それまで捕まりさえしなければ()()()()。勝てる。落ち着け。


 極力早足で逃げつつ、パチン、とマントの留め金を外した。

 案の定、すぐに追いつかれそうになったので視界を塞ぐよう、盛大にガザックに向けて放り投げる。


「待ちなさい! 話は最後まで――レイン君。危ないから……って、わぷっ!?」


「危ないのは貴方です!! 裏切り者のくせに!」


「いや、そうだけどそうじゃなくて……」


 どんどん暗闇が深くなるのを、あえて真っ暗な道へと進む。左手でエウルナリアの手を。右手は壁に付けて。

(あった。ここから十七。次を左。道なりにしなるカーブの……確か三叉路。そこは真ん中。あとは)


「直進十七、左に二十六。真ん中二十二に右九よ」

「いたみいります」


 こんな時でも花を閉じ込めた鈴のように、(こわ)ばった声が凜と響く。即答したレインは彼女の指を、きゅ、と改めて握った。すぐさま同じだけ握り返される。いとしい感触。


 ――何としても、無事に。


 追いかけっこは皮肉にも、(ガザック)が近づくたび通路の陰影が見てとれて逃げやすくなった。

 もう少し……と、闇雲に主を転ばせないよう気遣いつつ、時おり空いた手で壁を叩き、道筋を確認しながら走る。

 頭に描いた地図では、そろそろ三叉路。カーブの曲線を誤り、壁に向かって突進せぬよう最低限の注意を払った。その時だった。


「!?」


 ()()()()()()()()()に、()()()()()()

 手が、無情にも宙を泳ぐ。バランスを崩す。やばい!!


「ぐっ……」


 堪えようとした上半身は、何か――誰かに勢いよくぶつかり、呆気なく受け止められた。

(誰)

 ディレイ王付きの騎士じゃない。

 血の気が下がり、焦りと混乱が瞬く間に沸点に到達する。「ん~? おいおい、話が違うじゃねぇか、男か?」などと、妙にのんびりした下衆な呟きまで聞こえて。

 レインは躊躇せず叫んだ。


「エルゥ様! どこでもいい、逃げて! 走って!!」

「!…………やっ……!??」


 痛む胸をねじ伏せ、主の手を離した。しかし彼女もまた、同時に何者かに羽交い締めにされてしまっている。

 ――うそだろ、新手。何人?


 容赦のない絶望に、軽く心がズタズタにされかけた頃、ガザックが。かれの持つ光源がゆらりとエウルナリアの背後に迫った。

 新手の人数と風貌はほぼ明らかになったが、この場においては何の救いにもならない。残酷なだけだ。


 松明(たいまつ)の炎に浮かび上がる輪郭。相手のその姿に、レインは思わず息を飲んだ。

(……でかい)


 見知らぬ大男だ。太っているわけではない。いかにも荒事を生業としていそうな、良く言えば傭兵。ありのままを述べれば山賊の(した)()と呼ぶべき典型のような野卑さ。

 口を塞がれたエウルナリアのもがく声と、抵抗を試みる気配が伝わる。が、そいつは嬉しげににやにやとしていた。


「残念だったなぁ赤鷲(あかわし)。当たりはこっちだ。すげぇ上玉」


「!!!!」


 ――――誰の、どこを、触っているのか。

 にわかに血が逆流した。カッ、と怒りで目が眩む。考えるより前に、口から罵り声が(ほとばし)った。


「死ねよ糞野郎、放せ!! その方は」

「まったく、言わんこっちゃない……おいお前ら、手荒に扱うな。そのまま二人の顔を押さえてろ」


「「???!」」


 大儀そうではあるが、さほど息を乱していないガザックが近寄って来た。一体何のつもりなのか。

 主同様、がっちりと後ろから固定されているレインは無造作に顎を掴まれ、更に虫酸(むしず)が走る。

 信じられない。こんな目に、この方(エルゥ)を。


「あぁ、目で射殺されそうだ……まったく。損な役回りだよ。はい、ちょっと寝てて」






 ――――――何かを嗅がされた。


 それが。

 不覚にも、レインが意識を失う直前の記憶だった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 前回同様、緊迫感が半端ないですね! 地下を逃げ回っている様子が手に取るように伝わってきます。 ガザックの思惑は? 気になるところです。 「反逆」…なんでしょうか? 続きを楽しみにしています…
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