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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 西国の地下迷宮

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158/244

158 疑惑

「おつかれさまでした、エルゥ様」


「うん」


 拍手は止み、代わりに客席に漂うのは静かな高揚の名残。ざわめきを背に受けながら、エウルナリアは来た道を戻り始めた。


 通常の舞台であれば、袖の部分に相当する。

 遠目には縦に細い隙間に見えたが、こうして立つと大人が五人は横に並べるだろう。そこにレインが控えている。


 温もりのある灰色のまなざし。涼やかな(おも)ざし。一途に、幼い頃からずっと側にいてくれた。例えようもなく得がたいひとだ。


 従者、幼馴染み、乳兄弟――色々と呼び名はあるが。こういう時、なんと言って良いかわからない。かれの顔を見ると、無条件にホッとしてしまう。


 エウルナリアは困り眉で口角をあげると、急激に肩の力が抜けるのを感じた。

 歌試し(リハーサル)の前は、あれほどみなぎっていた「気」がどんどん霧散してゆく。


 先ほどまでとは打って代わり、がらりと様変わりする少女に、レインは堪らず、くつりと笑んだ。小首を傾げる。


「緊張しました?」


「あんまり。だけど、歌い終わったら気が抜けちゃった」


「そのようですね。貴女らしいです。でも、とっても良かったですよ。当日もあの歌で?」


「ん……、変えるとすれば最初だけ。ちょっと考えが湧いたんだけど……」


 ――と。

 話しつつ階段を下る。後ろに視線を流したエウルナリアにつられ、レインも肩越しに振り返る。二人は、まぶしい白の円形劇場をあらためて仰ぎ見た。


 ドームのなか、舞台そのものは頭上から光を浴びる仕組みになっている。

 天井の中央部分は透明で、複雑な屈折率。きらきらと光が遊び、ただの硝子(ガラス)とは思えない。透かした()がプリズムを帯びているので、材質がクリスタルなのか――旧神殿が蓄えた富の一部、あるいはとっておきの寄進物だったのか。細工・質ともにすばらしいものだった。

 あれを風雨にさらす豪快さが凄い……、と思う。(普段は保護幕などを掛けているのかもしれないが)

 太陽の高い時刻であれば、特段何もせずとも天然の照明を確保できる。大変よくできた仕組みだった。

 ふわ、と大好きな少年を見上げて微笑む。右手はすでに預けてある。


「行こっかレイン。皆、待ってるわ」


「はい」



 身を滑らせて一転、主従は暗がりの階段を降りきった。





 カッ、カッ……と二人分の踵が床を打つ。

 ほどなく、本格的な地下通路に出る直前の小部屋に到着した。待機していたガザックが「おつかれさまでした」と、声をかける。

 いつになく口数が少ない。歌に関しても何も言われなかった。


(? ……聴こえなかったか、言うに及ばないか。まだまだね、私も。もっと修練しないと)


 確かに、エコーを気にしすぎて声量を無意識に抑えてしまった。

 これも要課題。客席で聴いていた皇子達にあとで判断を仰ごう……と、瞬時に切り替える。


「いえ、こちらこそ。お待たせして申し訳ありません」


 ディレイ王の慇懃な側近男性に、エウルナリアはそつなく淑女の会釈で応えた。



 合流。三名となり、木の扉を開ける。




   *   *   *




 往路、地下を(とお)って舞台まで付き添ってくれたのはレインとガザックだけだった。グランも同行を申し出たが、叶わなかった。


 『宜しければ、警護を兼ねて私がお供しますよ。地下はちょっとした迷路ですし、道に不慣れな方は適さない』――――と、爽やかに両断されたのだ。

 赤髪の青年は渋々引き下がっていた。


(ガザックさんって一見ひとが良さそうなのに、ディレイが居ないと妙に押しがつよいんだよね。……まだ、掴めないな。ヨシュアさんよりも)


 気のつよい従者なら、ほかにも心当たりがある。ほんのり苦笑が浮んだ。



 先頭を、松明(たいまつ)を掲げたガザックが。三歩離れてレインにエスコートされたエウルナリアが。乾いた石畳を踏みしめて薄暗い地下道を進む。

 まっすぐ。次は右。

 まっすぐ。次は…………


「んん?」


 かつん、と鳴る小さなヒールの音。

 迷うように足を止めたエウルナリアは、ふと戸惑いを浮かべてレインとガザックを交互に見比べた。


「どうかなさいましたか? エウルナリア様」


 訝しんだガザックが声をかける。

 エウルナリアはとっさに答えられなかった。レインも無言だ。


 ジジジィッ……と、松脂(まつやに)を焦がす音。木と布が燃える独特の匂い。煙。松明の先端で揺れるオレンジ色の灯火は暗闇のなか、光源としては弱く、純粋な熱源として際立った。

 火、そのもの。


 斜め前から照らされた、見慣れたほうの顔に自分と同じ違和感を見つけて、エウルナリアはちょっとだけ勇気を奮う。

 おそるおそる、先頭のガザックに問いかけた。


「あの……ガザックさん。道、違いません? 来たときはここ、曲がりませんでした。この分岐のあとは十七歩まっすぐ。それから左でした。右じゃありません」


「なんと。……驚いた」


 ぴったりと寄りそう主従に、そっくり同じ表情が浮かぶ。

 疑惑。

 アルユシッド皇子達が到着する前日、(ディレイ)は何と言っていた?


 ――()()()()()()()()裏切りととれるほどの独断でもないが――と。その言葉の意味を、焦る頭で考える。


(本当に? でも、裏切りだとしたら、なぜ?)


 膠着する空気をものともせず、初めて見るような顔で、口髭の自称・文官どのは優しげに告げた。



「……しょうがない。麗しく、賢すぎるのも仇ですね」




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