156 旧神殿跡地
薄青い空を巡る、低い軌道。
天頂に昇りきる前の陽光が幾筋もの高架の影をリズミカルに落とすなか、二台の馬車と護衛の騎馬隊は粛々と街路を駆けた。
今日は、国王と賓客による城下の視察の日だ。ウィラークの都路はあちこちに複数の兵が配備され、ぴしりとした空気を醸している。
やがて到着。
取り決めがあったわけではないが最初にレイン。それからエウルナリア。次いでグランが降り立ち、続くゼノサーラに手を貸した。
――その気になれば、たった一人で馬や駱駝を乗り降りできる姫なのだが。
つん、と振る舞う親友は愛らしい銀細工の皇女そのもの。
エウルナリアはレインに右手を預けたまま、くすりと笑んだ。ゼノサーラはそれを目ざとく見咎める。
「……何? エルゥ」
「なにも。サーラ様」
少女達のやり取りに、レインは知らんぷり。
グランはにやりと片頬を緩めたが何も言わない。――その判断は、大いに正しい。
「ここなの? 『旧神殿跡地』。名前からしてもっと廃墟だと思ってたわ。意外に小綺麗なのね」
「サーラ、言葉を慎んで。……すまない、ディレイ殿」
「構わんさ。いくら関心がなかったとは言え、もっと気の利いた名でも考えておくべきだった。攻め落としたあとで」
「!」
――まさか、聞かれているとは思わなかった皇女は、兄皇子から叱られてぎくりと目を剥いた。
背後から低い声を響かせるこの国の王に、あわてて淑女の礼をとる。
「大変な失礼を。陛下」
「いいや、貴女の言うことはもっともだ。我らは元々軍人。風流ごとには殊更疎い。何なら……」
ちら、と視線を流す。
青色の瞳を向ける少女がそこにいた。
「お前が決めてくれてもいい、エウルナリア。他国の故事には明るいのだろう? 察するに」
「否定はしませんが」
ぱち、と瞬いたあと、可憐な声が唇から漏れる。
しぜん、一同は彼女の次の言葉を待った。
――内容もさることながら、無条件に聴きたくなる声なので。
ふわり、とエウルナリアが独特の透明感のある笑みを浮かべる。
「そうですね……滞在中、よい名が思いつけば。是非、ご提案申し上げます」
「楽しみにしていよう」
目許にうっすらと笑みを湛え、王が踵を返した。靡く背のマントを全員の視線が追う。
「来い。案内しよう。元は、先の王族もろとも滅ぼした旧神殿の奴らの根城……『だった』場所だ。迷信めいた行事だの、大がかりな集会のために建てられたものらしい」
* * *
白っぽい石の塀に囲まれた敷地は公園のようでもあった。周囲を飾る緑の木々。ところどころ植えられた、低い秋薔薇の植え込み。足元はあらゆる石材を無作為に嵌め込み、色合いの異なる流麗なモザイク模様をなしている。
――――美術的な鑑賞価値もあって、広い。故国の国立大劇場と、その周囲区画はゆうに越えるだろう。見晴らしもいい。
ぴたり、と前をゆく王の足が止まった。
「あれだな。……あそこで、ふさわしい歌を披露してほしい。ウィズルの建国祭は二日間。その始まりを告げる式典だ。
ちなみに、それを合図に国中、ありったけの花を刈り取って市場に放出する。懐に余裕のある者は大量に買い取り、思い思いに空へと放り投げたり、親しい者に贈ったり。未婚の娘はそれで身を飾る。ゆえに『建国の花祭り』とも呼ぶな。地方では、実質的な集団見合いを兼ねるらしい」
「なるほど」
『あそこ』と、簡単に言い表された建造物はすぐにわかった。
それは、ほぼ地下にあった。
演者や話し手が語るための場所は平らに均された円形で、擂り鉢状に段をなした観客席がぐるりと取り囲んでいる。全方位から「観られる」仕組みだ。
外側は等間隔に並び立つ白亜の支柱。
屋根は同素材で組まれたドーム型。壁はない。音の反響は――――さて、どうなのだろう?
(天井まではそこそこ高いかな。法話のための場所なら、声は届けやすいはずなんだけど)
支柱まで差し掛かったとき、エウルナリアは胸の前で手を組み、きょろ、と視線を彷徨わせた。
ここを「旧」神殿にせしめた張本人は、ふと顔を綻ばせる。
「……歌ってみるか?」
「いいんですか? 私、それなりに声は大きいですよ?」
「知っている」
「あ、そうか。春の大陸会議で聴いておいででしたね。そう言えば」
「「………………」」
なんとなく。
ちがう毛色の『知っている』に聞こえなくもなかったが、幼馴染み組はあえて黙り込んだ。
正確には口を挟めない。
とても親しげではあるが、仮にも公式行事の途中なのだ。
そんな周囲の思惑はいっさい排除するかの勢い。エウルナリアが内心傾ける歌への情熱は、しずかだが揺るぎない。
わくわくと期待に満ちたまなざしを向けられ、王の側仕えらしいウィズル騎士は困ったように微笑んだ。
「……広場の四方に見張りと護衛の部隊を立たせてあります。立ち入り禁止にしてありますし、一般の民家は遠い。聞かれることはないかと」
「だ、そうだ」
近寄る国王。眼前に大きな手が差しのべられた。
少女は反射で手を重ねつつ、首を傾げる。
「あの……?」
舞台となる場所はすぐ目の前にある。
衣装の裾さばきは難しくなるが、客席を直接降りて行けば辿り着けるのでは、と。
無言の訴えを感じてか、ディレイは目線と顎先を使い、一角を見るよう促した。
(?)
よくよく眺めると、客席を縦一列に割るよう、隙間の奥に黒い空間がある。
はっ、と閃いた。
「客席を通らない、正規の通路があるんですね。どちらに? 地下ですか?」
――まぁ、そうだなと呟くディレイに伴われ、一行はその場を離れた。足を向けた先にはこじんまりとした建物がある。
白亜の二階建てで、おそらく円形ドームと同じ材質。そのためか、「旧」と名の付くわりにはきちんと神殿じみて見えた。
ディレイは事も無げに告げた。
「あれが、現在はここの管理事務所でもある壊さなかった建物の一つだ。あの地下から正規の通路が伸びている。奏者……お前達にとっては『控えの間』になるだろう」
奏者。
お前達、と一括りにされた。
――つまり、他の楽士もともに奏でて良いのだろうか? と考えを馳せる。
(ちょっと、練ってみようか)
す、と音楽家のまなざしになったエウルナリアは、真剣そのものの横顔で沈考した。
口許に自由なほうの指を添えつつ。
若き、歌長の姫として。




