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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(三)

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154 罠

 内なる葛藤やら恥ずかしさで、死にそうになりながら、白く塗られた扉を押し開ける。取手は金。


 カチャッ……と軽い音をたてて室内を覗くと、まず、あたたかな朽ち葉に似た茜色の絨毯が目に入った。

 次いで、壁際にオーク材の文机と椅子。簡易のソファーセット。天蓋のない寝台に、ぴん、と張られた真っ白なシーツ。足元に畳まれたキルト模様の寝具。(ふかふかとした黄土色。羽毛入りのようだ)

 寝台横には(まば)らに本が入った、妙に存在感のある書棚。白い木枠の硝子戸の向こうには小さな露台。カーテンはレース素材とクリーム色の厚手のものが、重ねてきちんと結わえられている。


「可愛い……」


 思わず呟いた。

 然り気なくテーブルに飾られた大理石の置物はお澄ましして座る白猫。そばの花器は薄い薔薇色で、生けられた花の香りが芳しい。鈴なりの百合(ユリ)ような形だった。


 ――確かに女性向き。

 小じんまりとした、良い客室だ。


 ぱたん、と後ろ手に閉めて、鍵を掛けた。右手に、雰囲気のよく似た扉がもう一つある。


(続きの間……?)

 そっと開けると、狭いながらも清潔感のある浴室だった。

 こちらの浴槽も豪勢な大理石。既に湯気がたちこめ、もこもこの泡。袖をめくって腕を入れると、熱めの湯がたっぷり張られている。


 …………もう少し冷めたら、入れそう。


 ちら、と周囲を探す。

 おあつらえ向きに夜着ではない着替えも用意されており、本当に短期間で「自分」を熟知されてしまったのだな――と、笑んでしまった。


 ゼノサーラではないが、これは『湯浴みする』の一択だろう。

 懐中時計を確認。十五時半。


(夕食前の打ち合わせは、十七時から殿下がたのお部屋。……よし、大丈夫)


 手早く衣装の帯をほどいた。





 





 ……――ところまでは、良かったのだが。




   *   *   *




 学んでしまった。

 あり得ないとき、あり得ない人物が現れると驚くよりも先に『なぜ』と『やっぱりか』が、せめぎあってしまう。


 本当に、なぜなのか。


 ため息をこぼしたエウルナリアは諦観(ていかん)を込めて、地を這うように低く呟いた。


「……どうして、貴方がいらっしゃるんです?」


「俺の城だからな」


 相手は悪びれず、しれっと視線を逸らしもしない。

 状況としてはよろしくない。心底、最初の選択を悔いている。――なぜ、準備万端の浴室に疑いを持てなかったのか。


 そもそも、城の女官がたの大半が、ぽっと出の自分を王妃に望んでいるとヨシュアから聞いた。

 信じがたいことではあるが、わざわざ名指しで部屋に案内された時点で“意図”を感じるべきだったのに。


 浴室の扉に寄りかかって腕を組み、しげしげと観察中らしいディレイの横っ面を(はた)こうにも、全裸で浴槽に収まった状態では何もできない。泡風呂なのがせめてもの救いだ。


 落ち着け、落ち着け――と言い聞かせ、しばし瞑目。

 暑い。のぼせそうだが、ぐっと堪えた。


 ひらいた青い目が少し潤んでいるのは気づかないまま、エウルナリアは極力感情を抑えて述べた。


「いえ、そうではなく。申し上げたいことは色々ありますが。……鍵、掛かってませんでした?」


生憎(あいにく)、正面からは入っていない。この部屋は仕掛けがあってな。なんと、手前の部屋から入れる。

 あやしい本棚が寝台横にあったろう。調べなかったのか? 迂闊(うかつ)だったな」


一々(いちいち)、調べるはずがないでしょう……! あの、もういいですから出てってもらえます?」


「断る」


 ――――ぷちん。


 しゃあしゃあと言ってのける国王陛下に、さしものエウルナリアも派手に切れた。


「ディレイっっ!!!」


「あぁ、やはりいいな。尊称がないのは」


「……」


 おかしい。会話が通じない。叫んだことで頭に血がのぼってしまったのか、くらりと来た。思わず左手を浴槽にかけ、伏せて(もた)れてしまう。


 む、とディレイが眉をひそめた。


「長湯は過ぎるときついぞ。出られんのなら、手を貸すが」


 言いながらも既に近寄る気配を感じ、大慌てで(おもて)を上げた。

 我ながらぐったりしている。渾身の力を振り絞って「平気です」と伝えた。

 すい、と右腕を動かし、側にあった湯上がりの掛け湯が入った桶と手桶一式を指差す。もう自棄(やけ)だった。


「……(それ)。こちらまで運んでくださったら、とりあえず()()()()()()出ていってもらえます? もっと、しゃんとした私にお話があるんでしょう? お願いですから、ソファーでお待ちください」



 しどけなく頬を浴槽の(へり)に預ける、薔薇色の肌の少女の――命令じみた嘆願。

 ディレイは破顔し、くつくつと声を殺しながら「わかった」とだけ答えた。実に颯爽と近づき、言われた通りに桶を浴槽横に置く。



「!」


 くい、と顎をもたげられた。軽く掠めるような口づけ。手も唇も、あっという間に離れた。


「~~~ッ、…………??!」

「あんまり遅いようなら、本格的に迎えに来てやる。俺は、()()()()()()()()お前でも、いっこうに構わない」


 上機嫌な微笑み。

 本当に実行に移しかねない宣言を残し、王は出ていった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ! ディレイは、エルゥちゃんが入浴中だとは、知らなかったんですね! だから、女官さんたちの「罠」と。 納得いきました!(ポンっ でも、唇はしっかり奪っていくあたり、やっぱりディレイです…
[良い点] こ、こ、これは~~~!!!!! も、、も、もう…美味し過ぎる展開ですねっ(絶叫!! でも、ディレイが「わかって」いながら、浴室に入って、何もせずに出て行く、というのがちょっと拍子抜けという…
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