154 罠
内なる葛藤やら恥ずかしさで、死にそうになりながら、白く塗られた扉を押し開ける。取手は金。
カチャッ……と軽い音をたてて室内を覗くと、まず、あたたかな朽ち葉に似た茜色の絨毯が目に入った。
次いで、壁際にオーク材の文机と椅子。簡易のソファーセット。天蓋のない寝台に、ぴん、と張られた真っ白なシーツ。足元に畳まれたキルト模様の寝具。(ふかふかとした黄土色。羽毛入りのようだ)
寝台横には疎らに本が入った、妙に存在感のある書棚。白い木枠の硝子戸の向こうには小さな露台。カーテンはレース素材とクリーム色の厚手のものが、重ねてきちんと結わえられている。
「可愛い……」
思わず呟いた。
然り気なくテーブルに飾られた大理石の置物はお澄ましして座る白猫。そばの花器は薄い薔薇色で、生けられた花の香りが芳しい。鈴なりの百合ような形だった。
――確かに女性向き。
小じんまりとした、良い客室だ。
ぱたん、と後ろ手に閉めて、鍵を掛けた。右手に、雰囲気のよく似た扉がもう一つある。
(続きの間……?)
そっと開けると、狭いながらも清潔感のある浴室だった。
こちらの浴槽も豪勢な大理石。既に湯気がたちこめ、もこもこの泡。袖をめくって腕を入れると、熱めの湯がたっぷり張られている。
…………もう少し冷めたら、入れそう。
ちら、と周囲を探す。
おあつらえ向きに夜着ではない着替えも用意されており、本当に短期間で「自分」を熟知されてしまったのだな――と、笑んでしまった。
ゼノサーラではないが、これは『湯浴みする』の一択だろう。
懐中時計を確認。十五時半。
(夕食前の打ち合わせは、十七時から殿下がたのお部屋。……よし、大丈夫)
手早く衣装の帯をほどいた。
……――ところまでは、良かったのだが。
* * *
学んでしまった。
あり得ないとき、あり得ない人物が現れると驚くよりも先に『なぜ』と『やっぱりか』が、せめぎあってしまう。
本当に、なぜなのか。
ため息をこぼしたエウルナリアは諦観を込めて、地を這うように低く呟いた。
「……どうして、貴方がいらっしゃるんです?」
「俺の城だからな」
相手は悪びれず、しれっと視線を逸らしもしない。
状況としてはよろしくない。心底、最初の選択を悔いている。――なぜ、準備万端の浴室に疑いを持てなかったのか。
そもそも、城の女官がたの大半が、ぽっと出の自分を王妃に望んでいるとヨシュアから聞いた。
信じがたいことではあるが、わざわざ名指しで部屋に案内された時点で“意図”を感じるべきだったのに。
浴室の扉に寄りかかって腕を組み、しげしげと観察中らしいディレイの横っ面を叩こうにも、全裸で浴槽に収まった状態では何もできない。泡風呂なのがせめてもの救いだ。
落ち着け、落ち着け――と言い聞かせ、しばし瞑目。
暑い。のぼせそうだが、ぐっと堪えた。
ひらいた青い目が少し潤んでいるのは気づかないまま、エウルナリアは極力感情を抑えて述べた。
「いえ、そうではなく。申し上げたいことは色々ありますが。……鍵、掛かってませんでした?」
「生憎、正面からは入っていない。この部屋は仕掛けがあってな。なんと、手前の部屋から入れる。
あやしい本棚が寝台横にあったろう。調べなかったのか? 迂闊だったな」
「一々、調べるはずがないでしょう……! あの、もういいですから出てってもらえます?」
「断る」
――――ぷちん。
しゃあしゃあと言ってのける国王陛下に、さしものエウルナリアも派手に切れた。
「ディレイっっ!!!」
「あぁ、やはりいいな。尊称がないのは」
「……」
おかしい。会話が通じない。叫んだことで頭に血がのぼってしまったのか、くらりと来た。思わず左手を浴槽にかけ、伏せて凭れてしまう。
む、とディレイが眉をひそめた。
「長湯は過ぎるときついぞ。出られんのなら、手を貸すが」
言いながらも既に近寄る気配を感じ、大慌てで面を上げた。
我ながらぐったりしている。渾身の力を振り絞って「平気です」と伝えた。
すい、と右腕を動かし、側にあった湯上がりの掛け湯が入った桶と手桶一式を指差す。もう自棄だった。
「……桶。こちらまで運んでくださったら、とりあえずその扉からは出ていってもらえます? もっと、しゃんとした私にお話があるんでしょう? お願いですから、ソファーでお待ちください」
しどけなく頬を浴槽の縁に預ける、薔薇色の肌の少女の――命令じみた嘆願。
ディレイは破顔し、くつくつと声を殺しながら「わかった」とだけ答えた。実に颯爽と近づき、言われた通りに桶を浴槽横に置く。
「!」
くい、と顎をもたげられた。軽く掠めるような口づけ。手も唇も、あっという間に離れた。
「~~~ッ、…………??!」
「あんまり遅いようなら、本格的に迎えに来てやる。俺は、しゃんとしてないお前でも、いっこうに構わない」
上機嫌な微笑み。
本当に実行に移しかねない宣言を残し、王は出ていった。




