153 牙は笑みに。小刀は花の下に(後)
それから。
時間をかけることなく、二国間会談は終了した。エウルナリアが水を向けた、“これ以上は各国も交えて協議すれば良いのでは”という案がすんなり通ったせいもある。
日程の調節。事前の打診や通達内容の仔細に開催国の選定。――決めるべき事柄は増えに増えたが、前進の証でもあった。
双方、休憩を兼ねた話し合いや業務のために夕刻までは解散。夜は王・皇族のみの会食を経て休息。翌日は随伴も連れだって城下の視察へ。来るウィズル建国祭の式典で歌を披露する運びとなる、旧神殿跡地へと向かう。ほか、公式行事が目白押しだ。
カッ、コッ……と、いくつもの足音が連なる、シャンデリアのきらきらしい広々とした通路。すれ違う召し使いや官僚らは、一行に気がつくと恭しく脇に逸れて道を譲り、会釈する。
そんななか控えめに、やや疲れを滲ませたアルユシッドが背後に声を掛けた。
「おつかれ、エルゥ。流石と言うべきか……成長したね。あのディレイ殿に全く引けを取らないなんて。驚いたよ」
「……お褒めに預かり光栄です……と、申し上げるべきでしょうか。殿下?」
如才なく答えつつ、ほろり、と苦く笑んでしまう。
何しろ、あのひとと出会ってからというもの、時間が濃密すぎた。思い出すだけで顔から火が噴き出そうになる場面に至っては、もはや何度あったことか。
(だめだめ、忘れる。……はい、忘れた!!)
ふるふると首を横に振り、つとめて顔の表面温度を下げるべく努力していると「僭越ですが」と、右隣のレインから口を挟まれた。
先導の女官のあとを、並んで歩くのは銀の兄妹。その片割れ――長身の兄が目線のみ流し、「ん?」と訊き返す。
レイン達と合流した一行は合わせて六名。現在は国賓として、用意された部屋へと案内されている。
移動中は城内の耳目もあるため、うかつな振る舞いはできない。
それでも気品高く、かつ自然体を感じさせるのが白銀の第二皇子の凄いところだな……と、思考が脇に逸れかけたとき。
ちょうど階段へと差し掛かり、人気が薄れた。
進路を変えた女官について段を上りつつ、レインが再び口をひらく。
「この半年間、我が主は労苦のし通しでした。いっときは歌声まで奪われて……、受けた仕打ちの数々を思えば、もっとあの方にはきつく当たっても良いほどです」
「レイン」
相手の城で、言い過ぎだと暗に嗜めるも効果はなかった。渋い表情のまま、さらりと灰色の視線を流される。
「貴女は優しすぎます」
「そう?」
「そうですよ。今、この場で採決をとってもいい」
「そんなに!?」
「……俺は『優しい』に一票」
「わたしは『優しくない』に一票」
「では、私は『優しい』にしようか」
「!! ええぇっ、殿下がたまで???」
おろおろと左隣のグランや、突如参戦を表明した兄妹に反論を試みたが、エウルナリアの劣勢は明らかだった。
なお、最後尾の外交官は不参加を貫いている。(片手で口許を覆い隠し、肩は小刻みに震えていたが)かれは、とうとうこの一件に関与しなかった。
よって、進行役の少年が涼やかに言い渡す。
「ほら。『優しい』」
「そんな、勝ち誇って言うことじゃないと思うわ……! あ。サーラ様は? この場合『優しくない』も、微妙に貶されている気がしますが」
「ふふっ! やぁねぇ。貶してなんかいないわ。それこそ、貴女に甘い男どもと一緒にしないで」
嬉々と声を弾ませるゼノサーラ。
あ、何か言われるな……と、エウルナリアは身構えた。
こういう時の彼女は、一切の反論を封じるあざやかな滅多打ちをしに掛かる。
つまり、受けたが最後。気分的に死ねる。
振り返った紅玉色の瞳は案の定、生き生きと輝いていた。
「女で友人のわたしから言わせてもらうなら、『優しくない』の一択よ。残酷なことこの上ないわ。
どいつもこいつも、貴女が欲しいからお行儀良くしてるだけじゃない。本当は皆、いっそ浚いたいくらい、澄ました顔の下で思ってんのよ? 貴女の立場を重んじればこそでしょうが。
……好意を寄せられれば、完全には切り離せない。それは貴女の役目に由来するものであって、本来の貴女ではないのかもしれないけど。傍目には弱さや狡さとも映るわ。だから『優しくない』。はい、決定」
「ぅうっ」
「多数決を……覆されました」
「すげぇな姫殿下」
「容赦ないね。我が妹ながら……」
――――――
絶妙に、誰も擁護しない点について。
そろそろ泣いてもいいだろうか……と、項垂れ始めたころ。
どう見ても失笑を堪えていたらしい女官が困り眉で振り返り、右手でいくつかの扉を差し示した。
「着きましたわ。こちらの突き当たり、続きの二つ間は殿下がたでどうぞ。手前の一つは随伴の男性がた。さらに手前……こちらはエウルナリア様がお使いくださいね。
どうぞ、夕食の時間まではごゆっくり。足りないものがあれば遠慮なくお申し付けくださいませ。各々のお部屋に呼び鈴がございますので」
粛々と一礼。退出。
――――その声の調子と表情から、『薬師の姫』の潜入も王との色々も、その後の経緯も何もかも把握している、ある意味ウイラーク城の猛者なのだと知れた。
(あぁぁぁあ……、もうっ!!)
各自、部屋に入る直前。
耳まで赤くなった姫君が従者の肩に額を当てて両手で顔を隠すのを、一行は見て見ぬふりをした。




