151 幼馴染みのチェス一戦
「あぁあっ……、もう!!」
「落ち着けよレイン」
「これが! 落ち着いてられますか。グランっ?!!」
――ウィラーク城南棟。正門の位置するここは外国からの使者や賓客用の、いわば“外”向きの館だ。
各種業者が出入りする西棟。
官吏の詰め所を兼ねる東棟。
城勤めの者の居住空間が主な北棟。
レガートの三人組は薬師見習いとして西棟から入り、北棟に詰めていた。大食堂も北だ。
北はどちらかと言うと、さほど華美な印象はなかった。武骨なほどの石造りで砦の趣。やや古風か――そんな建物だったが。
今、二人が待つよう指示された部屋は絢爛の一言に尽きた。寝台や浴室の類いはないので、一時的な控えの間なのだとわかる。
が、毛足の長い紺に染められた絨毯も、壁に掛けられた見事な刺繍のタペストリーも、紫檀と思わしき円卓やゆったりとした布張りの椅子、螺鈿細工の飾りや金の燭台も。ありとあらゆる富を詰め合わせたように見える。現王ディレイの趣味でないことは確かだった。
うろうろと歩いていたレインを嗜めるグラン。苛々と柳眉を険しくするレイン。ある意味、ことエウルナリアに関して言えばいつも通りの風景だ。
特に、最近のレインはディレイ王が絡むと苛立ちを隠しもしない。
幼馴染みの青年はそれをちょっと面倒に思いつつ、まぁ悪くない傾向かな、と頬を緩めた。
「いーから。座れよ」
「……」
備えてあったチェスの駒で、一人ゲームに興じていたグランは淡々とレインに相席を求めた。
しばらく無言だったレインも根負けしてか、どっかりと三時方向の椅子に腰掛ける。グランは零時方向。二人はチェス盤を挟んで視線を合わせると、どちらからともなく駒を進め始めた。
「……何も、あんな衆目のある場で実力行使に及ぶことはなかったんです。大人げない」
「あー……、謁見の間で、臣下やら側近やらの目の前だったしな。何よりうちの殿下に見せつけたかったんだろ。珍しかったよな、ユシッド様が何も言い返さないなんて」
「言い返……せ、なかったんです。多分」
「うん?」
カチャ、コトン、とテンポよく互いに駒を動かす。歩兵を蹴散らし、すわ女王は目の前か、と迫ったグランの僧侶は、レインの城にあえなく討ち取られた。
「あ、くそっ」
小さく舌打ちするグランに、レインがほんのりと笑む。
幼い頃から変わらない。全く変わらない負けず嫌い同士だった。エウルナリアが側に居ればそう言って、一頻り音楽的な笑い声を響かせたろう。
獲った僧侶を盤の横に転がし、レインは自陣の騎士をつまみ上げる。
何かの布石なのか。一見何もない、周囲ががら空きのマス目に止めた。
…………意図がわかりづらく、相手にとっては攻めづらい。守りながらじわり、と攻める手法のようだった。積極的に歩兵を獲らせ、且つその隙を狙っている。
「ジュード王を引き合いに出されては断れません。同じ『国王』の立場ですから」
「わかってるよ、そんなこたぁ。……あ、やめて。そいつはダメ」
「やめません。王手」
「げー……、えげつな……お前、やっぱ性格悪ィわ最低。エルゥの男の趣味も最低、可哀想に」
「煩いな。どうとでも仰ってください。要は勝てばいいんです。勝てば」
コトン、カタンと駒を直し、配置を綺麗に元通り。
ふー…………と、長く息を吐いた両者は暫し、ぼんやりと盤上に視線を遊ばせた。
どちらも手は伸ばさない。
膝の上で。口許で、それぞれ思う形で組んでいる。
「会談。どうなるかね」
「……どう、なるでしょうね」
――――こればかりは読めない。
アルユシッドは『親書』と述べていたが、かれらが携えてきたその内実は、レガートを柱とする大陸連合の意向だろう。
少し前までは戦を想定していた。その強気の姿勢が和平への足枷とならなければ良いのだが。
ふと、自陣の黒曜石の王を手にとったグランが安穏と呟いた。
「……大丈夫だろ。今朝の擦り合わせでも、ロゼルの手紙の内容と併せてさんざん話し合ったし。事情を抱えてんのは、どこも変わらない。妥協点は絶対にあるさ」
「大人ですね、グランは。……僕は、だめです。わかってるんです。……ディレイ王は」
「んん?」
レインの陣地から勝手に水晶の王をとり、両手で光に透かして目を楽しませていたグランは軽い調子で先を促した。
レインは、長い栗色の睫毛を伏せて視線を遠くに流す。
閉ざされた扉の向こう。現在、議事の真っ只中にあるだろう想い人と、恋敵らに。
「――……ディレイ王は、おそらくエルゥ様の“短命”も何もかも承知で『唯一の』と、あの方を欲しました。エルゥ様ご自身が、いつかの時点でかれに直接教えたんでしょう。
僕は他の婚約者候補と違い、従者教育の一環で十歳のときに、母からその可能性があると教わりましたが。
……エルゥ様はまだ、僕にそのことを話してくれません」
「レイン」
滔々とこぼす少年を、諭すように。――似た痛みを抱える一人として切実に。グランは、真摯な表情でレインを眺めた。
頬は乾いている。でも、灰色の瞳は泣いているように見えた。
「……隠し事をされて喜ぶ恋人なんか、いません」




