150 出迎える王
「ようこそ我が国へ。大陸随一の貴人らを迎えられて光栄だ、アルユシッド皇子」
「えぇ。国王陛下におかれてはご健勝そうで何より。此度は、かねてよりの歌姫招聘の議につき、回答と親書をお持ちしました」
「丁重に、本人付きだな」
低められて艶めく声。
上段の玉座から、王がすっくと立ち上がった。
重たげな衣擦れと剣帯の音。大型の獣のような威圧感が徐々に近づいて来る。
レガート正使である皇族の兄妹以外、随伴の者は拝顔の許しを得ていない。よって、方々から視線は感じるものの顔を上げるわけにはいかなかった。
エウルナリアは、良からぬ予感にこっそりと眉をひそめる。
(あぁぁ……ディレイ、本っ当にこういう振る舞い、好きだよね……)
『こういう振る舞い』とは。
大抵、ひとを凄まじく困らせる言動だ。心の準備は十二分にして来たはずなのに、胸がざわつく。
絨毯に吸い込まれ、くぐもった音をゆっくりと響かせる長靴。
黒絹の正装、銀豹の毛皮をふんだんに用いた豪奢なマントを肩から流し、砂色の髪を靡かせた王は、エウルナリアの前で足を止める。
場は静まり返った。
――――なかなかイレギュラーな場面と思われるが、謁見の間に詰めるウィズルの臣らは誰も、一切私語を発しない。
そのこと一つとって見ても、ディレイの強すぎる影響力と抜きん出た存在感は浮き彫りになる。
今のウィズルに問題があるとすれば、それは経済事情や食糧難だけではない。
英雄王一人に、皆が心酔し過ぎている。寄りかかり過ぎているのだ。
(危ういな)
あからさまに表情を変えぬよう、心で呟く。
側で息を飲む気配が伝わり、アルユシッドが「ディレイ殿」と小声で咎めた。ゼノサーラは横目ではらはらと、親友と兄、異国の王を見守っている。
やがて、視線を落としたままのエウルナリアの視界に磨かれた男物の靴が映った。気のせいか、あっさりと跪かれた。
(えっ)
さすがに動揺した。他国の王族に対する最上級の礼。片膝を付き、頭を垂れた姿勢が若干震える。
「エウルナリア・バード嬢。顔を」
「…………はい」
直接、名指しでの許し。答えないわけにいかない。
そうっ……と顔を上げると、妙に生き生きとした面差しのディレイと目が合った。
臥せっていた影などどこにもない、精悍な顔を軽く見上げる。――そもそもの体格が違うのだと、よく知っている。
眼前に大きな手を差し出され、エウルナリアは(しょうがないなぁ……)と困り眉になった。
二、三瞬き、遠慮がちに手を重ねる。
ディレイは主賓である兄妹を無視したまま、あくまでもかれが言うところの『本人』にのみ話しかけた。
「一日千秋の思いで、ずっとそなたを待っていた。こうしてみずから現れたということは、我が招きに応じたと見なしてよいのだろう?」
――……なるほど。
公的には、自分はレガート正使らとともに城を訪れたことにしたいらしい。先日の暗殺未遂事件を含め、もろもろ公表すべきではないとの判断か。
エウルナリアは、柔らかく微笑みつつ切り返した。
「えぇ陛下。お招きに応じて、少しだけ早く馳せ参じました。当日は、喜んで歌わせていただきますわ」
しれっと添えられた尊称。それとない牽制。
王はにやりと片頬を緩め、「それは重畳」と囁いた。おもむろに手を引く。
「! きゃ……っ」
「まだるっこしいので、この場で言わせてもらおう、エウルナリア嬢。私の意思はこれ以降も変わらん。そなたを、唯一の妃として迎えたい。
アルユシッド殿。彼女の求婚者が増えることについては国家としても了承を。むろん無理強いなどせん。立場としてはセフュラのジュード王と、似たようなものだ。……認められるだろう?」
に、と不敵な笑み。
固まるレガート陣営をよそに、ディレイはエウルナリアの手を彼女ごと引き寄せ、ほっそりとした指に唇をあてた。
――――かれなりの正式な。
お行儀のよい『求婚』の口づけだったのだと思う。




