147 おやすみのキス
迎賓館を出た馬車が襲われた、と報せが届いたのは夜。贅を凝らした夕食を終え、各自部屋に退出したあとだった。
「そんな……! 被害は? 私達の代わりとなった方々も。騎士様方も。大丈夫だったの?」
エウルナリアは館から提供を受けた、ゆったりとした薄桃色の衣装を身につけている。口許を両手で押さえたとき、絹の長い袖が涼やかな音をたてて肘まで流れ落ちた。
情報の運び手となったレインは主を安心させるように頷く。
「はい。そちらの被害はなかったそうです。賊も尋問用に数名生かした以外はその場で討伐したそうですし。で、首謀者なんですが」
「もうわかったの?」
黒髪の美姫の隣で腕を組み、隙なく佇んでいた銀の皇女が囁く。レインは同じ鋭さで声を落とし、囁き返した。
「行方を追っていた旧神殿の一派に間違いないと。賊の出自も似たり寄ったりで、ウィラークの貧民窟や下町を根城にするならず者達でした」
「じゃあ明日の謁見と会談は予定通り?」
「行います」
なるほど……と、ゼノサーラは熟考の体勢となった。
エウルナリアは「じゃ」と従者の少年に近寄る。ぱち、と瞳を瞬いたレインの手をとり、室内へと引っ張った。
レインは軽く狼狽した。
時間からして、夜。皇女も同席していることだし淑女の部屋に立ち入るのは――と、扉越しの廊下でいっそう声を低める。
「だめです、エルゥ様」
「え、そう? ロゼルの手紙、一緒に読みたくない?」
「手紙……? あぁ、はい。手紙ですね。でも」
ちら、とゼノサーラを窺い見る。整った面にはありありと『だめよ』の意が浮かんでいた。
よって、自分の手を握る少女の指を握り返し、力が緩んだ瞬間に引き抜いて、逆にそっと捧げ持った。目線の高さまで。
「あ」
漏れ聞こえる呟き。
瞼を伏せ、柔らかな手を引き寄せて、桜貝の色の爪で飾られた指先に唇を落とす。視線を上げて、鋼鉄の意思でにこりと笑んだ。
「……お誘いはありがたいですし、とっても残念ですが。明日、朝食後。会談前の最後の擦り合わせのときに教えてくださいね。今は、皇女殿下にお譲りします。でないと殺されそうです」
「わかってるじゃない」
ふふん、と威勢よく皇女は言い放った。軽やかに主従に歩みより、力業で引き離す。
「もうあとは寝るだけだもの。一晩くらいエルゥを貸しなさい。おやすみレイン」
「えぇ。明日、とびっきり怖い兄殿下から叱られないようになさってくださいね。サーラ様」
「ふぅぅん……?」
交わる紅色と灰色の視線。ばちばちと火花がはぜるような錯覚に、エウルナリアは不謹慎だが微笑んだ。
ぽんぽん、とみずからを抱き締める皇女の腕を叩いて拘束を緩めさせる。「すみませんサーラ。ちょっとだけ」と、扉を閉める直前だったレインに駆け寄った。
「――っ!?」
ふわり、と黒髪から花の香りが立ち上る。頬に柔らかな口づけを受けたレインはほんのり頬を染めて、主の少女を見つめ返した。ぱくぱく、と口を開閉する。
「エル」
「おやすみレイン。……また明日」
「…………おやすみなさい」
固まる従者の少年の目の前で、同じように染まった笑顔の主を見納めに、扉はしずかに閉められた。




