146 王の顔、素の顔※
自身に仕える者を『部下』と捉えてしまうのは将軍だった頃の癖だな、と、醒めた部分で考える。
息を吸う。息を吐く。まるでその延長にあるように剣を振るう。――真剣の唸る音が、野太い怒声の満ちる練兵場においても一際重く、存在感をもって響いた。
長年、自分に仕える部下だったガザックも。ヨシュアも。今は迎賓館で執事を務める男もわずかな期間で随分と現職に馴染んだように見える。
(慣れていないのは、俺だけか)
両手で上段に構え、刃の向きに従い、無心に真っ直ぐ降り下ろす。
一人で型稽古をする際、ディレイはいつも己と対峙する。切るべき相手は、今、自分なのだ。
数度振り終え、淡々とこぼした。
「……鈍ってるな、三日も寝台の上で過ごすと」
「正確には二日間でした。マリオ殿の見立てを無視して……、エウルナリア嬢が発った途端にこれです。猫を被っておいでで?」
迎賓館に、執事宛と件の令嬢宛に封書を届けてしばらく。ヨシュアは、四角い石畳を敷き詰めた地面に片膝をついて王を見上げた。
一見、忠実な筆頭内侍官そのものだが言葉の内容は呵責ない。柔らかな風体を大きく裏切り、歯に衣着せぬところがある。ディレイは、『それもまたヨシュアらしいな』と好んでいたが。
ゆえに、束の間型を解いて、にこりと笑む。
左手に剣をぶら下げ、右手は腰。剣の方向を見下ろして溶けるような微笑を添えて言い放った。
「もちろん、被っていたとも。あの女もお前みたいだな。優しげな形で、実際底抜けに優しいくせに、相対すると刺すような物言いをする」
「……左様ですか」
短く整えた柔らかな黒髪。焦げ茶の瞳。ヨシュアは拗ねたように口角を下げて視線を逸らした。
あっけらかんと、ディレイは「許せ。あれ以上は寝ていられん」と、付け加えておく。言い訳ですらない。宣言だった。
――御意、とヨシュアが苦笑いで下がろうとした、その時。
甲冑なしで体術の鍛練に勤しむ兵達の間をすり抜け、簡易鎧を身に付けた職務中の騎士が近づいてきた。
構えようとした剣を再び下げ、そのまま鞘に仕舞う。カチリ、と鍔が鳴った。
「どうした」
「は。迎賓館を出た馬車が襲われました」
「だろうな。それで?」
くい、と顎で行く先を示しつつディレイが動く。
ほんの少しの稽古で汗ばんでいた。もう少しなまった体を締めたかったが、しょうがない。移動しつつ報告を促す。
騎士とヨシュアは目視を交わし、ごく自然に王のあとに続いた。
ディレイと兵らの距離は近い。物理ではなく精神的に繋がり、崇められている。同時に仲間だと認識されている節があり、一々額づいてこないのが楽だった。
夏場は涼をとるために植樹された細い木立を抜けて回廊へ。カッ、カッ、と三名分の靴音が重なる。
周囲にひとの気配が絶えたことを確認し、報告をもたらした男は口をひらいた。
「護衛騎士が半数以下になったのを罠とも思わず、覆面で群れて襲うような連中です。野盗に毛が生えた程度でした。総数二十二。十九は死体に。残りは捕らえて地下へ。尋問に回しました」
「話す内容次第で死体はあと二つ増やしていい。あとの一つも温い。拷問で構わん」
「は」
「……陛下、顔。即位前に戻っておいでですよ」
「煩い。これが素だ。被害は?」
渋面の幼馴染みを一言で切り捨てる。
ディレイは同じ鋭さで騎士に詳細を訊ねた。
城は、中央棟を囲むように東西南北の棟が回廊によって繋がれている。
練兵場は東に。一行は長い廊下を抜けて中央棟へと向かう。王の私的空間は中央の三階だったので。
顔見知りの騎士は、頬に笑みを浮かべて端的に答えた。
「ありません。囮をつとめた三名も無事です」
「結構。配下をよく労え。お前もご苦労だった」
「勿体ないお言葉に……いや、自分としましても妙に力が入ってしまって」
「ほう?」
興味深そうにディレイが視線を流した。茶褐色の瞳には殺伐としたものから、面白がるような光が滲んでいる。
騎士は、はにかむように相好を崩した。
「往きで、馬車から降りたあの方に声をかけていただきました。
……なんと言いますか、無性に守って差し上げたくなりますね。純粋にお仕えしたくなります。陛下がお倒れになったときも思いましたが、我が国の王妃になっていただければ、どんなにか喜ばしいでしょう。皆が浮き立つのもわかります」
「そうか」
――本当に。見境なく周り中をたらしこむな、あの女は。
そう思わなくもないが、騎士の熱弁には城の総意じみた説得力があった。その辺りも含め、詳しく聞く必要があるかもしれない。
いつの間にか先回りしたヨシュアが、王の執務室の扉を恭しくひらいて一礼する。ディレイと護衛長をつとめた騎士は、歩調を緩めずに入室した。
ぱたん、と閉扉の音。
衣装の胸元を寛げたディレイは振り返り、まだ部下としての感覚が色濃く残る男に、ざっくばらんに話しかけた。
「適当に掛けろ。今、凄まじく苦い薬湯をヨシュアが運んでくる。遠慮せず付き合うといい。ついでに二、三確認したい」
――――確認こそが、ついでなのだと嘯いた。




