143 抱擁の主※
ずっと荒野のイメージを抱いていたウィズルは、その古都ウィラークのみ石と森の都といえた。
樹の匂い。水の気配。すぐ北側に山肌の白い峻嶺。
雪ではない。剥き出しの岩が白いのだと聞いた。たとえ何百年、何千年とひとが切り出したとしても尽きることのない。それは、この地で言うところの“神々の贈り物”だろう。
奪うことはない。すでに、与えられている。
そう実感はできるものの。
(難しいところよね。都から遠ざかるごとに草木も生えない荒れ地が広がってる。ウィズルは国土が広いし……、旧東ウィズルは河川に近い分、細々と灌漑もできてたけど小規模すぎ。賢王や良い領主に恵まれた時代の遺物だろうから――)
当面の脅威だった戦は避けられた。
これからは、ウィズル自身に沈んでもらわないための策を練らなければならない。
レインに手を預け、馬車から降りる。
護衛をつとめてくれた騎士らの視線を一身に浴びつつ、エウルナリアはひたすら思考の海に埋没した。
それでも、かれらに礼を述べねばと思い立ち、振り返る。さりげなく淑女の礼をとった。
「わざわざの護衛、ありがとうございます」
「いえ……、光栄に存じます」
けぶる青い瞳。聴くものの心を鷲掴みにする音楽的な声。奇跡のような愛らしさと透明感。
総じて清らかな色気を湛える美姫に、代表の騎士は、ぼうっと夢見心地で答えた。
「……じゃあ。参りましょうか、エウルナリア様」
「はい」
苦笑ぎみのグランに伴われ、玄関扉へと向かう。二人とも完全なる猫被りだ。
何となくふわふわとする心を、エウルナリアは気合いを入れて、ぎゅっと引き締めた。
* * *
入り口のエントランスも何もかも、迎賓館の建築様式は大陸中央部を思わせた。
漆喰の壁。随所に用いられたステンドグラス。三名はどことなく郷愁に駆られる。
入ってすぐ、声をかけられた。
「ようこそ、エウルナリア・バード様。御国の方々は、今朝早くのご到着でした。現在は居間でお寛ぎいただいております。ご案内いたしましょう」
「ありがとう。よろしくお願いします」
柔和そうだが凛とした、丁寧な物腰の初老の男性だった。
短く整えられた白髪混じりの髪と口髭。名乗りはなかったが、おそらく館の管理者だろう。
――『御国の方々』。
常ならば、外交府の担当職員が回されるはずだが。
(かれらが持参するのは、本来なら自国にいるはずの私の、式典出席に関する書状だものね……)
予め“出席”としたそれをバード邸の自室に置いたまま、一か八かの賭けで先に潜入に来てしまった。
不可抗力で、一部にばれてしまった以外は無断だ。
そう考えると、出国の際にアルムと会えたのは良かったのかもしれない。結果論でしかないが無駄を減らし、最善の道をもぎ取れたのだと信じたかった。
(……さて。どなたかな)
予想が正しければ。
エウルナリアは、ある種の確信を胸に、案内された居間へと歩を進めた。
すると。
「あぁっ! エルゥ久しぶり! もうやだ、何も言わないで行っちゃうんだもの。私がどれだけ、心配で心配で胸、が――」
……潰れそうになったのか。
続く言葉は、ふっつりと途切れた。
「サーラ?! なぜ、ここに」
エウルナリアは瞠目した。
まず、目に飛び込んだのは怒りに近い驚愕の表情だった。紅色の双眸は爛々として、燃えたつ夕陽のよう。
東への旅も記憶に新しい。邂逅したのは、友人でもあるレガートの第一皇女、ゼノサーラだった。
「…………」
無言。
皇女の視線はエウルナリアの胸の辺りで止まっている。
――超絶に気まずい。
エウルナリアは焦った。とにかく弁解をしなければ、と、おろおろしつつ歩み寄る。
「え、えぇと。申し訳ありませんサーラ、黙って出てしまって。……あの?」
「何なのこれ。すごく綺麗。おまけに意外と大きい……じゃなくって!」
「?」
空耳だろうか。不適当なことを呟かれた。
が、察するに皇女殿下はたいそうご立腹だ。繰り出されるアレは免れ得ないだろう。間違いない。
(来るっ! 頭、ぐりぐりするやつ……!)
ぱっ、と覚悟が閃いて目を瞑るも、なかなか衝撃は訪れなかった。逆に、音もなく近づいた誰かに、ふわりと抱擁される。
どこかで嗅いだ、柑橘系の薬品めいた清しい香り。背に回される紳士的な手のひら。
――――このひとは。
「……ユシッド、様……?」
エウルナリアは瞳をひらき、そっと呼びかけた。腕のなかで身じろぎして顔を上げる。
見上げるほどの長身。
案の定、抱擁の主はレガート第二皇子アルユシッドだった。柘榴石のまなざしは深く、どこまでも優しい。
皇子は、にこりと笑んだ。
「久しぶりだね、見違えたよエルゥ。そのドレス、ディレイ王の見立てかな? 似合ってる。とても」
「!」
一瞬、痛みを抑えるような翳りが見えた。秀麗な顔が近づく。うなじから肩口にかけて、おろした髪越しに触れるほど口許を埋められる。
びく、と肩が跳ねた。
今ならわかる。
いとおしさの発露。相手に自分を刻みつけたいときの抱きしめ方だ。
けれど、本格的な警戒心を呼び覚まされる前に離される。
アルユシッドは空気を塗り替えるように、つとめて明るく語りだした。
「その様子だと、噂は本当? アルトナ辺りで耳に挟んだよ。最初は“ウィズル王の寵を受ける薬師”で、近づくたびに呼称が変わった。面白かったな」
「まぁ……」
おっとりと、他人事のように驚く少女の傍ら。
グランとレインは互いに目配せを交わした。
((噂、千里を駆けるってこれか……))
揃って、微苦笑した。




