142 煩悶する美姫
「なぁエルゥ。今、どんな気持ち?」
「……」
「なぁなぁ。今、どんな気持ちー?」
「……言わないで……」
「やなこった」
「う」
カタカタン、コトン、と轍をゆく車輪の音。のどかな蹄の音と背に当てられたクッションに埋もれながら、姫君はごく短く呻いた。宛がわれた盛装も台無しな残念ぶりだ。
こちらも騎士風の盛装姿のグランが、意地悪そうににやにやと口許を歪めて腕を組んでいる。
正面の席。その隣に、竪琴を持てば『宮廷楽士です』と名乗れそうなレインが座っている。
レインは、そっとため息をついた。
「言わないでくださいグラン……本当に。おいたわしいのは勿論ですが、平時でここまで複雑に心を折られるエルゥ様なんて、そうそう見られないんですから」
「とんだ、従者愛だな……?」
流石にちょっとドン引きました、と言わんばかりにグランが仰け反った。「僕だって複雑ですよ」と、言葉通りの表情をしたレインが頷く。
混沌。
心地よく晴れた午前の秋空が別世界のようだった。
(気持ち……どんな、て。何て言えばいいの?)
煩悶するエウルナリアは、ひたすら背面のクッションに顔を埋めている。
ウィズルの貴族令嬢の標準らしいデザインのドレスは水色。細いレースが幾筋も縦に縫いとられ、ふっくらとした胸元を楚々と飾っている。
胸部の上半分が出てしまう大胆なものは、あまり着たことがない。なので、少し恥ずかしい。
ハイウェストで切り替えられた生地は緩やかに身体に沿って流れ落ち、脚全体を包み隠している。太ももの上まで切れ込みが入っており、下に穿いたパニエ代わりの白絹のロングスカートが覗く仕様だ。
水色の生地にも白絹にも、銀糸で緻密な刺繍が施され、身じろぎするたび滑らかな光沢を放つ。
長い黒髪はハーフアップ。
細かなダイヤモンドとサファイアを星空のように縫い付けた水色のリボン。それを、顔の左右でともに編み込み、うなじの辺りで一本に結わえている。
――美姫。
まさにその呼称にふさわしく、また『王の想いびと』と噂されるに足る、絵物語の如きうつくしさだった。
「目の毒だわ……あのおっさん、求婚宣言してから形振り構わねぇのな」
行儀わるく脚を組み、片肘をついて前傾で頬杖をつくグラン。
咎めることもなく、苦悩の表情を浮かべるレインは姿勢を崩さずに瞑目した。
「……もろもろ含めて、僕もつらいですエルゥ様。ものすごく喜びたいのに手放しで喜べない……しかも、目の前に! こんな眼福状態の貴女をぶら下げられて!! 一体何をどう処理すれば」
「――処理。なんの?」
ちら、と赤髪の騎士は、すかさず流し目をくれた。
栗色の髪を結わずに解き下ろしたレインは意味深な沈黙のあと、伏せた目を逸らして答える。
「………………気持ちの、です」
「あ、そ」
一転、従者の少年をつつくのに飽きたのか、グランは車窓へと顔を背けた。しらっとしている。そのくせ、視界に少女の姿は入るようで。
「気持ちはわかる。よ~くわかる。俺だって剥ぎ取りたい。無論、二人きりで合意の上が望ましい」
「っ!??」
「待った。そこまで言う必要はないですよね、グラン」
「黙れムッツリ。お前の想像はもっとひどいって、わかってる」
「~~~!! え? ちょ、待って。何を。なんの想像……?」
通じ合っているらしい男子二人を前に、エウルナリアはおののいた。ようやく顔が正面に向けられる。
何かしらの防衛本能が働いたのか、両手はみずからの肩を抱くようにしていた。
潤んだ湖色の瞳。たおやかな容貌。すべらかな白い肌。それが、今はうっすら紅潮している。半ばひらいた花びらのような唇も。
――ごくり。
遠慮なく凝視する二名のうち、どちらかの喉が鳴った。なぜか双方、難しい顔つきとなる。
「……言えません……!」
「言ったら行動に移したくなる。俺もパス」
「ええぇっ……?」
――――幼馴染みの少年達は、ぎりぎりで紳士の水準を死守した。
数名の騎士隊で護衛された馬車はゆっくりと進む。
森林公園もかくや、と思われるウィラーク城の広大な敷地内。めざす迎賓館は、特に景観のよい泉の側に建つという。
やがて目の前に現れた瀟洒な佇まいのそれは、青空を背に、周囲を森と柵とに囲まれていた。




