141 一つ目に宣誓、二つ目に宣戦
扉は内側から開けられた。内侍官ヨシュアに「ようこそ」と招かれ、そっと部屋に入る。
天蓋の帳をひらいた寝台では、ディレイが上体を起こして待っていた。
思ったより顔色がいい。自力で姿勢を維持できる程度には回復したらしい。
「来たか」
低く、よく通るいつもの声。いつものまなざし。本調子に戻るのももうすぐだな、と、素人目にも明らかだった。
「呼んだのは貴方でしょう?」
若干、呆れを滲ませる。
その通りだな、と答えた王は、彼女の後ろへと視線を流した。ふっと微笑う。
グランは表情を凪いだまま。レインはわずかに剣呑な光を瞳に宿した。
「そんなに警戒せずとも。この形では取って食えん――……と、いうより。やはり両方連れてきたか。エウルナリア」
「? 『供を一人に』と、仰る意味がわかりませんでしたから」
小首を傾げる少女に、王は頬を緩ませる。
「べつに。深い意味はない。お前が栗毛を特別視しているのは知っている。――なら、赤毛はどの程度か、とな。いちど信頼の度合いを計ってみたかった」
「馬じゃないんですが……」
「いい加減名前覚えろよ」
今度は、両者ともしかめ面。
ディレイは清々しく破顔した。
「覚えてはいる。呼ぶに値しない」
「! ッンの……むかつくおっさんだな、大概!」
「あぁあ、待ってグラン。喧嘩しに来たわけじゃないでしょう? す……すみませんヨシュアさん」
わかりやすい挑発に、大変素直に応じるグランを諌め、懸命になだめるエウルナリア。
王の傍らで待機していた青年ヨシュアは「気にしてませんよ」と微笑んだ。目が怖い。
然るに、場は混沌の一途を辿るかに思えたが。
「――で?」
ぴたり、と空気が止まる。
表情を無にしたレインが、声音にのみ氷点下のつめたさを忍ばせた。
「そろそろ聞かせていただけませんか。わざわざ、こんな夜中にエウルナリア様を呼びつけた理由を」
「……あぁ」
ディレイの片眉が面白そうに跳ね上がる。
かれらが、普段彼女を愛称呼びすることは知っていた。
それを、あえて本名呼びをしたところに少年の譲れぬ意地――矜持のようなものを感じとる。
現状、よほど目の敵にされているようだが、激情では目的を見失わない剛さがある。こういう男は嫌いじゃない。
(口答えはするが動じない。そこそこ肝も据わっている。……なるほどな)
じっと、灰色の双眸を見つめた。
それから視線と顎の動きで、寝台横の椅子を差し示す。さんざん弄り倒したが、予め席は三つ用意させていた。
「まぁ、楽にしろ。昼間ガザックが来たと思うが。あいつは、お前らに何を伝えた?」
「?」
ちょっとばかり、ねじれた気配がする。
三名は揃って目をみひらいた。
* * *
「なるほど」
経緯を聞いたディレイの反応は簡潔だった。ヨシュアも腕を組み、手を口許に添えて思案している。
エウルナリアは、おそるおそる尋ねた。
「貴方の指示では、なかったんですか?」
「ないな」
あっけらかんとした物言いだが、内容としては頗る問題だ。
姫君の頭で際限なく廻り始めた思考は、ディレイ自身の言葉でせき止められた。
「まぁ、ガザックの場合は裏切りととれるほどの独断でもないが……二つ、追加補正しておく。
お前には命を助けられた。俺ではなくウィズルの。比喩でなく、今俺が斃れてはこの国は瓦解する。内乱に逆戻りだ。どうせ死ぬなら――と、委ねる部分もあったが、幸か不幸か拾われた。無駄にはせん。
ゆえに東方への侵攻案は棄却する。まず、これが一つ」
「……二つ目は?」
(――――やった。やった!!!)
快哉を叫ぶ心の奥。
足元から沸き立つほどの歓喜に打ち震えながら、エウルナリアは問うた。
よかった。これで戦は回避できる……、と。
なので、差し出されたかれの左手に、深く考えずに己の右手を預けた。握られる。
「あ」
隣からレインの呟きが漏れた。が、遅かった。
「鷹の技術提供も、見返り次第によっては善処する。サングリードの各地における活動も、資金のめどがつけば、慈善事業と併せてすみやかに推奨しよう。明日、お前達が迎賓館に向かう際も、厳重に護衛を付ける。ただし」
「! きゃ……っ?!」
引き寄せられる。
腰を浮かせて手繰られたエウルナリアの白い指先に、ディレイの乾いた唇が触れた。
触れたまま、目線だけで彼女の青い瞳を捉える。
「まだ、産まれもしない子孫の余命や血筋なんかは、後々のものが判断すればいい。俺は、正式に貴国を通じ、お前の求婚者の一人として名乗りを挙げる。
――――安心しろ。見込みのある奴を養子として引き取る手段もある。むしろ、かつての俺がそうだった。引き継いだのは将軍職だったが」
「……え……」
不敵な微笑みに右手を。視線を奪われたまま。どきん、どきんと動悸が収まらぬ胸を左手で押さえながら。
エウルナリアは震えて、茫然と立ちすくんだ。




