140 進行する影と光
夕暮れ時。
路地裏に男が一人、するりと身を滑らせる。
ウィラークの中央、公式市場の喧騒を背に、男はどんどん街外れへと遠ざかって行った。
「旧神殿」と呼ばれるかつての主神を祀る、大神殿跡地がある。そこに至る秘密の地下道は街のあちこちに掘られていた。
その一つをめざして。
男は貧民街の住人だった。自称善良だった両親からは、殺し以外のすべてを叩き込まれている。
赤茶けたざんばら髪。すすけた頬。中背で痩せた体躯。猫背で貧相。が、目だけはぎらぎらと強い光を放っていた。それが、男の呼び名に影響を及ぼすほど。
「――“赤鷲”」
「おう。どうした“片目”」
急ぎ足のところを、暗がりから呼び止められた。赤鷲は律儀に向き直り、相手を呼ぶ。
片目には、文字通り目が一つしかない。幼いころ兵士に左目を潰されたというが、実情は定かではない。
とはいえ、互いにさほど真相は重要視されない界隈の育ちだ。片目はにやりと笑った。やや大柄で筋骨質。下卑た印象なので山賊を名乗ったほうがしっくり来るだろう。
「でかい仕事が入ってな。お頭が、お前にも声をかけろって。どうせ、いつもの年寄りどもの世話だろ?」
「あぁ。地上に出たら、もれなく城の役人に捕まっちまう悪どい老いぼれどものな。楽な仕事だせ」
口許を歪める赤鷲が雇用主を敬っていないのは一目瞭然だった。「違いねぇ」と、片目も嘲笑う。
「……で? どんな仕事だ。お前んとこの頭なら専ら人浚いだろ? 殺しもか?」
「あぁ。狙うのは城に来る外国人。殺せなくっても多少痛い目に遭わせりゃいい。浚うってのが今回、すげぇ上玉でさ」
「へェ」
赤鷲の目の色が変わった。興味深そうに、軽快な足取りで片目へと近寄る。
――昔は、神殿への奉納金を支払えず、泣く泣く娘を下働きとして納める貧しい者が後を断たなかった。
神殿は、そんな娘達をさっさと売り払ってしまった。大抵は後ろ暗い用向きの場所へと。
片目が所属するのは、まさにそんな場所だった。
「とうとう城の英雄王に、女ができたらしい。そいつをうまく浚えたら、あとは好きにしてもいいって話だ。うちは、あっちこっちで“営業所”を潰されてるからな。“取り引き”が終わっても無事に返してやるこたぁないってさ」
* * *
夜半。
エウルナリアはディレイに呼ばれた。
夕食も湯浴みも済ませている。一人で行くわけには――と、使いの侍女に辞退の旨を伝えた。
自分は臣下ではない。虜囚でもないので従う道理はないのだが、侍女も厳命を受けたらしく、それはしつこく食い下がる。
「そこを何とか……! お願い申し上げます。陛下の元には内侍官どのがいらっしゃいますわ。ご心配でしたら、従者の方のみ伴われても構わないとの仰せです」
「う~ん」
ちらり、と部屋のなかを振り返る。
良く整えられた客室だ。
明日の打ち合わせのため、同じくさっぱりとしたグランとレインが来ている。
(ちょうどいい、と言えばいいのかな……)
無言の要請を送る、困り眉の主を見かねてか。
レインは目を細め、ほろ苦く微笑んだ。両手の指を組み、ゆったりと椅子の背凭れに寄りかかっている。栗色の髪はほどいていた。
「僕はいいですよ。行きましょう、さっさと」
「『さっさ』……」
侍女が、ぽかんと口を開ける。
心酔する王をそんな言い種で扱う者は、この城にはいない。ゆえの、しずかな憤慨だった。
彼女が爆発する直前。レインの斜向かいに掛けたグランは、絶妙なタイミングで幼馴染みの言に乗ずる。
「俺も行く。あとで内容を聞いても二度手間だし。いいだろ? 侍女どの」
「え。えぇと……いえ、その……」
侍女は口ごもる。
しどけなく寛ぐ姿の、赤い髪の青年は密かに仲間うちで人気があった。
令嬢にべったりな、つめたい美少年よりも愛想がよく、十人並みな己の顔よりは遥かに見映えがよい。さらに、騎士らしく体格も良かった。
つまり、好みだった。
打って変わって恥じらい、もじもじと答えかねる侍女の様子に、晴れ渡った月夜のような美貌のエウルナリアが、裏表なく笑いかける。
「――……と、いうことですので。かれらの同行を認めていただけるなら、喜んで参りますわ。侍女どの」
「う。うぅぅ…………わかりました……」
数分後。
王の寝室の扉をほとほとと叩く侍女の傍らに、しゃんと立つ三名の姿があった。




