138 蔓甘草とカミツレ
生涯を友人で、と、彼女は言った。
「……見くびられているのか。買い被られているのかわからん」
「? 何がです? 陛下」
「なにも」
あれから二日。
エウルナリアは自分が毒に倒れたあと、助けるための尽力を惜しまなかったと傍らの筆頭内侍官から聞いた。
(混乱を極めた城内での采配。襲撃者への警戒。毒を撒き散らしていた死体への配慮。それを、サングリードへの助力を乞う前に、あいつは一人でやってのけた)
素直に、見事なものだと思う。
この二日間ずっと寝台に縛り付けられているが、城内での彼女への当たりが劇的に変化したことは、すぐにわかった。
だからこそ、周囲の温い不干渉が気持ち悪い。以前のこいつらならば、主が寝ている間に積極的な噂をばらまくくらいしていた。それもない。
――なので。
ディレイは実に億劫そうにヨシュアに話しかけた。
「お前が俺を唆そうとせんのは、かえって不気味なんだが。お前も、俺の妃にはエウルナリアを望む派か?」
甲斐甲斐しく王の世話をするべく立ち働いていた青年は、ぴたりと動きを止めた。
新しい湿布を貼るための薬液を桶に満たし、清潔な布を浸そうとしたところだった。
「…………それは、ええ。勿論です。ですが、全てはお二人次第だと思っていますよ」
「ほう」
背に何枚もクッションを当て、寄りかかるように上半身を起こしている。呼吸はかなり楽になったが、今、刺客に襲われては切り抜けられる保証はない。
傍らのサイドテーブルに手を伸ばし、用意されていた薬湯を口に含む。
ディレイは、殊更苦そうに眉を寄せた。
「不味い」
「お薬ですから」
ふふっ、と笑むヨシュアの顔は、やたらと爽やかで輝いてすら見える。
「――お飲みになりませんか。エウルナリア嬢のお手製ですが」などと言い添えられては、「飲む」としか答えられない。しかし、本当に不味い。
「まずいな……」
外は、まだ昼前。遠く、山並みに映る木々が色づき始めてきた。
窓の外の秋空を眺め、ディレイは細く嘆息した。手の中の、空になった素焼きの器の内側へと視線を落とす。
絶えそうになった命を拾われた。かつ、交換で要求された内容があまりに彼女らしかった。
失恋、とは。
こうまで思い悩む羽目になった現状を、ディレイは本格的にまずいな、と思い始めていた。
* * *
「あ。これ、入れ忘れてた……」
「どれです?」
ウィラーク城の薬室にて。
そろそろ薬の在庫確認および補充作業も終盤に差し掛かってきたころ。
終わりが見えたことに安堵したエウルナリアは、実際の調薬にも挑戦し始めていた。調薬用の台の小瓶を一つ、目の前まで掲げ、難しい顔で中を透かし見る主従。
――……長閑だ。
あの襲撃の翌日から毎日、サングリードの治療師マリオが城まで往診に来ている。
王を診たあとの小一時間。かれは、乞われるままにレガートの楽士らに薬学の初歩を教えた。特に歌姫の少女は、見習い薬師そのものとなっている。
「マリオさんは、『初歩の初歩』と仰ってましたね。体力が落ちたひとの、回復期における滋養強壮薬。……蔓甘草のエキス。お気の毒に。ディレイ王はさぞ飲みにくかったでしょうね」
「レイン。すごくにこにこしてるけど……本当にそう思ってる? ひょっとして私が入れ忘れたこと、気づいてたんじゃない?」
「まさか」
涼やかな美少年そのものの容貌が、にこりと微笑む。エウルナリアは(確信犯だな……)と、軽く睨みつけた。「病人にはやさしくするものよ」と、諦めたように付け加える。コトン、と瓶を台に戻した。
「いかにエルゥ様の仰ることでも、これだけは聞けません。蔓甘草のエキスがなくても薬効に違いはない。ディレイ王の根性が試されるだけです」
「ひど」
「どうとでも」
「!」
広い薬室。
その一階部分の調薬スペースから離れて、中二階へと向かおうとしたエウルナリアは、くんっ、と右手を引っ張られてつんのめった。
振り返ると、とても真剣な灰色の瞳に意識を吸い寄せられた。呼吸が、おろそかになるほど。
「我ながら子どもじみた意地悪だと思います。でも、僕はそこまであの男をやさしく労ることなんてできない。……すみません。胸に、棘が刺さったみたいなんです。あの夜の会話は大体、聞こえていたので」
「……」
知っていた。
構造上、王の寝室の続きの間は控えの者が異変をすぐに察知できるよう、防音の備えなどは施されていない。
だからこそ、身の潔白を証明するためにも誰かに居てもらう必要があった。あの夜は。
――けれど。
「包み隠さずにいてくださったことは、嬉しいです。でも、知ってつらくなることもあります」
くい、と後ろから引き寄せられて肩に額を乗せられた。
やがて、昼の報せとともに、修練場で城勤めの騎士らと稽古に励んでいたグランが現れる少し前まで。
主従はしばし、互いの存在だけを感じられるようにつとめた。
エウルナリアにも把握しきれない感情の波。それは、自分だけでは到底計りきれなくて。
「甘えてる。……ごめん、レイン」
背中から抱き締める、幼いころから側にいてくれた少年に体重を預けて、ことん、と首筋に額をすり寄せる。詰めている場所のせいか、カミツレの清らかな匂いがした。
レインは、とても苦しそうに。けれど、溺れるように主の少女を腕に閉じ込める。堪えきれず、何度も口づけを落としながら。
「いいえ、エルゥ。でも」
(――貴女を、ぜんぶ。僕だけのものにしたいんです)
心で狂おしく叫ぶ声は実際のところ、ほんの少し呟きとなって、こぼれてしまったかもしれない。




