137 繋げたいもの
ひっく、ぐす、とあとを引きつつ、涙は収まってきた。
――どうしよう。恥ずかしい。
物心ついてから、人前でこんなに泣いたのはレインに見つかったとき以外ではそう無いことだった。自分の無防備さに、いい加減嫌気が差す。
ディレイは一言も発せず、ただ髪を撫でながら見守っていた。視線が絡むと、ふ、と微笑う。
「そうやって泣くと、幼く見えるな」
「まだ……半人前です。国の法では十六が成人ですが、私はまだまだです。貴方を見殺しに出来なかった時点で、外交府特使としても失格だわ」
「外交府……特使? 芸術府に所属する歌い手ではなかったのか。まだ学生の身と記憶しているが」
意外にもよく調べてある。
エウルナリアは、くすりと笑った。
「皇国楽士団の独奏者や独唱者は、他国の首脳と接する機会が多いので。自然と外交を担う場面が多いんです。ほんとは極秘事項なんですけど」
「ほう」
「幸い、貴方は一度死んだようなものですし。ここは、私に免じて聞かなかったことにしてくださいます?」
「意味がわからん」
「ふふっ。わからなくても結構です。待ってくださいね。そのままでは水も飲みづらいでしょう? 続きの間にレインとグランが控えています。体を起こすのを手伝ってもら……」
「行くな」
「ディレイ。でも」
「でも、じゃない。必要ない」
立ち上がったエウルナリアの黒髪は遠い。
ディレイは苦しそうな表情で腕を伸ばし、彼女の衣装の袖を引っ張った。うっすらと汗を滲ませている。
(……)
困り果てる。
では――と、渋々気持ちを切り替えた。
「わかりました。でも、口移しは無しです。いいですね?」
姫君の念押しに、王は皮肉げな微笑で答えた。
「残念だが、いいだろう。……すまんが、水を取ってくれ。自力で飲めるか試してみる」
わずかに体を左側に傾けたディレイは、ゴブレットをエウルナリアに支えてもらいつつ、ゆっくりと喉を潤した。
* * *
「……考えたんだが」
「はい?」
拭き取れる範囲の汗は、備えてあった未使用の布で拭き清めた。
ディレイの額の冷やし布も、一旦冷水の桶へと浸す。ぎゅっと絞り、再び額に乗せると――ふいに腕を掴まれた。
「!」
「お前は、俺を好きだと言ったが。同じ口で妃にはなれないと言う。……短命だからと。その解釈に間違いはないか?」
「ありませんね」
とられた手首を、更に寄せられる。
冷水で冷やした手のひらは、発熱したかれの肌でたちまち温もった。
困り眉のエウルナリアに反し、ディレイは心地良さそうに目を細めている。
わずかに、唇に当てられた。
頬同様、とても熱かった。
「俺を拒む理由が、やはりわからん。俺に触れられるのは……嫌では、ないのだろう?」
「……嫌ではありませんが。困ります」
「困らせたい」
「子どもですか」
フフッ、と、吐息のような笑いが漏れた。憤慨する令嬢が可笑しかったらしい。そのまま目を瞑り、気持ち良さそうにエウルナリアの指の付け根へと口づけた。
「歯がゆいな。体が動けば、もっと色々出来るのに」
「これだけ動ければ充分です。どうしても、諦めてはくださいませんか。私、貴方には幸せになっていただきたいのです、が……?!」
目をみひらく。驚いた。指を噛まれている。不敵な茶褐色のまなざしに射竦められる。
予期せぬ歯の感触に、びくりと背が震えた。そのまま舌の這う衝撃に、本格的に声を圧し殺す羽目になる。
身を捩り、涙目になった。
「~~…………ん、ぅ……っ!」
「諦めるのはつらい。俺は、お前を愛したい」
「でもっ。それは『欲しい』であって。妻には出来ないでしょう?」
「……妻、には……」
鸚鵡返しになったディレイの目が、つかの間泳いだ。
(今だ)
パシッ、と手を振りほどく。
今、このときでなけれぱ届かない。本能がそう察した。
囚われていた右手を胸元に引き寄せる。あまい感触の残る手指だ。打ち消すように左手で、ぎゅっと押さえ込んだ。
「貴方はウィズルに――この国と民に、背くことはできない。私は、私の伴侶として一生を捧げてくれる方でなければ愛せません。
貴方に惹かれています。でも、愛せない。奪われる、わけにはいかないんです」
「エウルナ……」
「だめ」
封じていた手を解き放ち、名を呼びそうだった唇にすばやく押し当てた。
“黙って”の意味。
エウルナリアは唇を噛んだ。瞳を伏せ、切なく吐息する。
目許が滲んだ。どうしようもなく抱えてしまった、みずからの気持ちを切り捨てる覚悟だった。
「どうか、このまま貴方に失恋させてください。甘いことは百も承知で。その上で……生涯、貴方と友人でいたいんです。ディレイ」




