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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(二)

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132/244

132 決断する姫君

 “もし、レガートの歌姫でなければ。僕との出会いもなければ、迷わなかったでしょう?”


 ――あの時。

 くるしげなレインの声は、甘苦い葛藤に満ちていた。かれ自身とエウルナリアを否定する響きに、普段めったに顔を出さない「怒り」は容易に引き出された。


 仮定に意味なんて、ない。

 生まれて立つ私達に「もしも」はあり得ない。

 けれど。

 もし、出会っていなければ。

 存在そのものが、なかったとしたら……――?


(!)

 とっさに、無意味な仮定に逃げたくなるほど、拭いがたい影響を受けているのだとあとから気づいた。

 ()しにつけ、()しにつけ。


「……」


 唇を噛んだエウルナリアは刹那、砂粒ほどの僅差で迷った。

 ためらう事実に打ちのめされた。




   *   *   *




 ザァァァーーーー……


 激しい雨が硝子(ガラス)窓の外で滝をなしている。時おり青白い光が閃き、雷鳴が空を裂いた。先ほどまでの晴天が嘘のように荒れている。

 ウィラークの城も、蜂の巣をつついたように荒れていた。


「外傷はっ!!?」


「ない! 毒だ。陛下は『返り血を浴びた』と」


 押し()べて浮き足立っている。

 側近。重臣。近侍に近衛、遠巻きに息を飲んで見守る官吏や女官、下男下女の(たぐ)いまで。


 『王が倒れた』との一報は、瞬く間にかれらを混乱の渦に突き落とした。「医官は」「看せられるか、馬鹿! ほくそ笑んで見殺すに決まってる!」など、場は喚き合いに近い様相を呈している。そんななか。


「……とにかくっ! 濡れた衣服を着替えさせてください。男手が必要です。ヨシュアさんっ?!」


「は、はい!」


 人でひしめく石造りの通路。

 群れる、いかつい男達の胸下までしかない小柄な少女は、涼やかな声を鳴り渡らせた。

 奥まった場所から駆けつけたらしい、筆頭近侍官の青年ヨシュアに、ぴしりと視線を投げかける。抗いがたい気迫があった。


「出来ますよね。ただし、付着した血には決して触れないで。雨で大半流されていますが、色素がないだけで毒素が残留している場合は大いに考えられます。――ガザックさん、騎士様がた?」


「は」


「貴方がたも。すぐに衣服を改めてください。お運びする際、陛下に触れたでしょう? 無事なのは手袋越しだったからです。外すときは慎重に。一所(ひとところ)に集めて密封を。後日焼却処分してください。その……、討ち取った賊の死体もです。素手で触れぬよう厳命を」


「……ははっ!」


 担架に乗せられ、青白い頬に不吉なほどしずかな表情のディレイは、まるで眠るようだった。

 しかし眉をひそめ、不規則な痙攣が起こるたびに瞼を震わせている。乾いた外套にくるまれている、四肢も。




 決断を。

 迫られたエウルナリアは、唯一腹心と呼べる恋人を呼んだ。


「レイン」


「はい、エルゥ様」


 皆の邪魔にならぬよう、絶妙の立ち位置で控えていた従者が即座に答える。

 かれの、こういう優秀さに何度助けられ――憧れたろう。


 唇を噛みしめた少女は、迷いを打ち払うように数度(かぶり)を振ると、きっ、とまなざしを強めた。


「広場へ。サングリードの天幕まで遣いを頼みます。『毒に詳しい腕利きの薬師を寄越してください』と。

 どなたか……、護衛を数名お願いします。この動きも敵に読まれているはず。()()()()()()狙われるでしょう。雨が降らなければ、天幕ごと燃やされていた可能性もあるわ。そのことを伝えて」


「御意」


 す、と身を引いた少年は、すでに左手に掛けていた外套を広げ、まとっている。「ガザックさん、人員の選定を」と淡々と依頼していた。それにやや気圧されつつ、迅速に対応する古株の王の腹心に。



 ――ざわり、と。

 今更ながら周囲に疑問が湧いた。

 ディレイはすでに、ヨシュア率いる侍官らによって私室へと運ばれている。

 一刻も早く濡れて血まみれの服を脱がし、清めねばならない。体温の低下も歓迎されることではなかった。



 てきぱきと采配を振るい、同僚と思われていた少年に息をするように命じる、異国の薬師の少女。王の恋人とも噂されるが――

(何者だ?)

 ざわ、ざわと誰何(すいか)の声が広がってゆく。


「失礼。あの……、貴女は」


 レインの護衛を任された年嵩の騎士が去り際、ふと足を止めて振り返り、おそるおそる尋ねた。

 はた、と申し合わせたように鎮まり、集まる視線に一切動じることなく。少女はきりりと受けとめる。


 ――――惹きつけられる。

 この世ならぬ炎のように青い瞳を輝かせた彼女は、あっさりと出自を明らかにした。


「私は、レガートのエウルナリア・バード。国意によりウィズル(こちら)へ参りました。サングリードの御教えも多少は受けています。今、陛下を助けられるのは広場に駐留する本隊(かれら)だけ。――さ、急いで!」



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