131 豪雨、一閃
車体から身を乗り出してすぐ。
“何か”を感じ、マントの裾で素早く顔回りを払った。
カシャンッ!
(……?)
眉をひそめる。
わずかな手応えとともに響いたのは、ごく小さな金属音。弱い陽光をきらり、と弾くそれは細い針だった。
赤黒い液体を点々と石畳に付着させている。
――十中八九、毒。
「ちっ」
思わず目を細める。矢よりも尚、防ぎづらい。
ディレイは盛大な舌打ちを一つこぼし、腹心の配下に向けてびりりと声を張った。
「針だ! 払えば大事ないが衣服は貫通する。来い、走れ!!」
「はっ!」
律儀で真面目な返事を聞き流しつつ、すみやかに馬車を蹴って飛び降りる。
ブーツが地に着くや否や、再びぞくりと背を這う感覚。産毛が総毛立った。
(高架からか)
入り組んだ建物の上部を繋ぐように渡された、ウィラーク特有の高架路地帯。厄介な場所に陣取られた。
と、すれば狙われるのは頭部のみ。
先だってと同様、無造作な仕草で大きくマントを払う。ぱらぱらと当たる感触をやり過ごし、宙を舞った布地が戻るよりも先に、右側後方へと剣を振るった。
「ぐあッ!」
案の定、馬車の影から飛び掛かろうとしていた襲撃者の腹を斬る。
次いで左後方から二人。前方からは三人。――一々視認する必要はない。殺意がみなぎっている。
ディレイは軽くため息をついた。
「ガザック、撤退を最優先に。毒は厄介だ……ぞ!」
重心を移動させる。低い位置から一歩、踏み出す。
流れるように身を滑らせた。
前方から斜めに降り下ろされる刃をかいくぐり、すれ違いざま相手の喉笛を切り裂く。
ぱたた、と返り血を浴びるが気にしない。
――鼻をつく鉄錆びた臭い。快不快はこの際どうでもいい。敵味方の入り混じった、狂った戦場に比べればマシだ。
自分を害そうとする相手を殺すのは、息をするのと同じこと。骨の髄まで叩き込まれている。
声をあげることなく倒れた大柄な男を尻目に、更に一合、二合。難なく無秩序な刃を打ち返し、二人切り捨てた。
ちら、と周囲を見渡す。
付き従っていた騎士は総勢六名。ぱっと見、全員動かない。
考えられるとすれば強力な麻痺、意識障害。――或いは致死毒。目立った外傷がないので吹き針の仕業だろう。当たればまずいと一目瞭然だった。
(俺は、ある程度慣らしてあるが……さて、どんなものか)
的確に剣を閃かせ、時おり飛来する針を避ける。剣での襲撃者はあと二人。
捨て駒だろう。むろん、助ける道理もない。
幼い頃、養父の跡を継ぐと決めてからは少しずつ。長じてからは、戦場において実地で与えられた。
結果としてひどく毒に強い体質にはなったと思う。が、致死量、未経験のものは心許なかった。
――ここで、潰えるわけにはいかない。
踏みとどまる理由が以前よりも増えたことに、ディレイのなかの醒めた部分は、ある種の新鮮さを覚えていた。
「陛下。人気のあるほうへ向かいますか? 広場なら、通り一本向こうですが。兵も常駐していますし」
「いや。下手な巻き添えを出すのは避けたい。そのうち、城から増援部隊、が…………?」
ぐらり。
視界が傾ぐ。
足裏に力を込めて止まるものの、手足が鉛のように重い。こみあげる吐き気、倦怠感。暴力的なまでの眠気。まさか。
ふらつきながら口許に手を当てて――ふと、甘ったるい匂いを嗅いだ。手袋に付着した、奴らの血。
「よかった。城から騎士が……、陛下? どうなさいました。ディレイ様っ!?」
敵と切り結びつつ、背後から叫ぶ忠臣の声に応えられない。
ガキンッ!
辛うじて、眼前に迫っていた襲撃者を切り伏せたあと、血塗れの剣を石畳の隙間へと突き刺した。
柄を両手で押さえ、剣を杖に見立てて片膝をつく。はぁ、はぁと浅い息を繰り返した。
針は受けていないはず。どこに――どこから?
「!」
思い当たり、ハッと目をみひらいた。
(返り血。あれか)
二人目の大男。
わずかだが頬や、袖越しの腕に浴びてしまった。
それが、経皮吸収の毒を含んでいたのだとしたら。
「深追い、するなガザック。城で、伝えろ。……血を、浴びたと……」
「ディレイ様っ!!」
――――伝えろ。あいつなら。あの女ならば。
(見殺しにするか、助けるか。……どうせ絶えるなら賭けたっていい。あいつがこの国を。俺の命を、どう使うか)
唇の形だけでエウルナリアの名を刻む。
ぽつ。ぽつと頬を濡らす雫。顎を伝い、落ちたそれは血の色をしていた。
やがてすぐ、曇天の空は雷鳴を轟かせる、激しいどしゃ降りとなる。
水溜まりをひた走る複数の蹄の音、飛び交う怒号。地に響く振動。しとど身体を濡らす雨をどこか遠くに感じつつ。
「……っ……」
ディレイの意識は、暗転した。




