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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(二)

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131 豪雨、一閃

 車体から身を乗り出してすぐ。

 “何か”を感じ、マントの裾で素早く顔回りを払った。


 カシャンッ!


(……?)

 眉をひそめる。

 わずかな手応えとともに響いたのは、ごく小さな金属音。弱い陽光をきらり、と弾くそれは細い針だった。

 赤黒い液体を点々と石畳に付着させている。

 ――十中八九、毒。


「ちっ」


 思わず目を細める。矢よりも尚、防ぎづらい。

 ディレイは盛大な舌打ちを一つこぼし、腹心の配下に向けてびりりと声を張った。


「針だ! 払えば大事ないが衣服は貫通する。来い、走れ!!」


「はっ!」


 律儀で真面目な返事を聞き流しつつ、すみやかに馬車を蹴って飛び降りる。

 ブーツが地に着くや否や、再びぞくりと背を這う感覚。産毛が総毛立った。


(高架からか)


 入り組んだ建物の上部を繋ぐように渡された、ウィラーク特有の高架路(こうかろ)地帯。厄介な場所に陣取られた。

 と、すれば狙われるのは頭部のみ。


 (せん)だってと同様、無造作な仕草で大きくマントを払う。ぱらぱらと当たる感触をやり過ごし、宙を舞った布地が戻るよりも先に、右側後方へと剣を振るった。


「ぐあッ!」


 案の定、馬車の影から飛び掛かろうとしていた襲撃者の腹を斬る。

 次いで左後方から二人。前方からは三人。――一々(いちいち)視認する必要はない。殺意がみなぎっている。


 ディレイは軽くため息をついた。


「ガザック、撤退を最優先に。毒は厄介だ……ぞ!」


 重心を移動させる。低い位置から一歩、踏み出す。


 流れるように身を滑らせた。

 前方から斜めに降り下ろされる刃をかいくぐり、すれ違いざま相手の喉笛を切り裂く。


 ぱたた、と返り血を浴びるが気にしない。

 ――鼻をつく鉄錆びた臭い。快不快はこの際どうでもいい。敵味方の入り混じった、狂った戦場に比べればマシだ。

 自分を害そうとする相手を殺すのは、息をするのと同じこと。骨の髄まで叩き込まれている。


 声をあげることなく倒れた大柄な男を尻目に、更に一合、二合。難なく無秩序な刃を打ち返し、二人切り捨てた。


 ちら、と周囲を見渡す。


 付き従っていた騎士は総勢六名。ぱっと見、全員動かない。

 考えられるとすれば強力な麻痺、意識障害。――或いは致死毒。目立った外傷がないので吹き針の仕業だろう。当たればまずいと一目瞭然だった。


(俺は、ある程度慣らしてあるが……さて、どんなものか)


 的確に剣を閃かせ、時おり飛来する針を避ける。剣での襲撃者はあと二人。

 捨て駒だろう。むろん、助ける道理もない。


 幼い頃、養父の跡を継ぐと決めてからは少しずつ。長じてからは、戦場において実地で与えられた。

 結果としてひどく毒に強い体質にはなったと思う。が、致死量、未経験のものは心許なかった。



 ――ここで、(つい)えるわけにはいかない。

 踏みとどまる理由が以前よりも増えたことに、ディレイのなかの醒めた部分は、ある種の新鮮さを覚えていた。



「陛下。人気(ひとけ)のあるほうへ向かいますか? 広場なら、通り一本向こうですが。兵も常駐していますし」


「いや。下手な巻き添えを出すのは避けたい。そのうち、城から増援部隊、が…………?」


 ぐらり。

 視界が傾ぐ。

 足裏に力を込めて(とど)まるものの、手足が鉛のように重い。こみあげる吐き気、倦怠感。暴力的なまでの眠気。まさか。


 ふらつきながら口許に手を当てて――ふと、甘ったるい匂いを嗅いだ。()()()()()()()()()()()


「よかった。城から騎士が……、陛下? どうなさいました。ディレイ様っ!?」


 敵と切り結びつつ、背後から叫ぶ忠臣の声に応えられない。


 ガキンッ!


 辛うじて、眼前に迫っていた襲撃者を切り伏せたあと、血塗れの剣を石畳の隙間へと突き刺した。

 (つか)を両手で押さえ、剣を杖に見立てて片膝をつく。はぁ、はぁと浅い息を繰り返した。

 針は受けていないはず。どこに――どこから?


「!」


 思い当たり、ハッと目をみひらいた。

(返り血。あれか)


 二人目の大男。

 わずかだが頬や、袖越しの腕に浴びてしまった。

 それが、経皮吸収の毒を含んでいたのだとしたら。



「深追い、するなガザック。城で、伝えろ。……血を、浴びたと……」


「ディレイ様っ!!」



 ――――伝えろ。あいつなら。()()()()()()


(見殺しにするか、助けるか。……どうせ絶えるなら賭けたっていい。あいつがこの国を。俺の命を、どう使うか)


 唇の形だけでエウルナリアの名を刻む。

 ぽつ。ぽつと頬を濡らす雫。顎を伝い、落ちたそれは血の色をしていた。


 やがてすぐ、曇天の空は雷鳴を轟かせる、激しいどしゃ降りとなる。

 水溜まりをひた走る複数の蹄の音、飛び交う怒号。地に響く振動。しとど身体を濡らす雨をどこか遠くに感じつつ。


「……っ……」



 ディレイの意識は、暗転した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ここ数話、描写が特に優れている感じがします。 マヒロさんの姫の花道にも通じるような巧さが。 汐の音さん、少し突き抜けたんじゃないでしょうか?
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