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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(二)

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128 葛藤※

 閉扉の音のあと、主従は(しばら)く動けなかった。


 異国の城のだだっ広い薬室で二人きり。しかもご丁寧に扉を閉められてしまった。

 流石に鍵はかけられていないと思う。

 ――思うことにしておく。


「何……考えてるんです、グラン……」


 額に手を当てて呻くレイン。エウルナリアはほんの少し、下げていた視線を上に戻した。


 両手を後ろ手に組んでいる。小首を傾げている。ちらちらとこちらを窺う気配に、理性がもげてしまいそうだ。

 レインは、とても苦労して鉄面皮を維持した。口許には特に気合いを入れる。

(だめだ。ここで目先の可愛らしさに負けたら最後。あとでグランから、もっといいように言われる……)


 呵責ない幼馴染みの人となりは知っている。

 身分差を気にせず、何だかんだ言って、もう七年の付き合いになるのだから。


 なので。


 一旦瞑目したあと、覚悟を決めた。たしかに言わなければ伝わらない。それは、単純な好悪に限らず。まだ、みずからの(うち)で固まっていない言葉や疑問さえも。



「……エルゥ様は、どうしたいですか」


「わたし?」


 戸惑い、揺れる気配。

 何を訊かれているかわからない、とありありと表情に浮かんでいた。レインは反射でにこりと微笑む。主を追及するときの標準装備だ。


 ぎくり、と少女が身じろぎした。本能と経験でわかる。逃げられる――


 ばん!


 とっさに、流した視線の側へと棚めがけて左手をついた。

 荒々しく退路を断たれた姫君は、軽く絶望の色を滲ませる。それでも答えを口にした。


「私の意思は変わらないわ。ウィズルを――……かれを止めたい。戦争なんて馬鹿げてる」


「それだけ? 他には? ()()()


「…………」


 従者の少年が、主から敬称をとるのは二人っきりのときだけ。想いを通わせたときからの不文律。

 エウルナリアは唇を噛み、右手で左の上腕を押さえるような――どちらかと言うと、防御の姿勢をとった。無意識に胸元を庇っているようだ。言葉を探しているようにも、機嫌を損ねたようにも見える。


 む、とレインの眉がひそめられた。

(こんなエルゥ様は見たことがない。……僕の知らないこの方を、()()()()()()()ってのは、よくわかった)


 一言でいうと自分の領域を。もっとはっきりいうなら『自分のもの』と思っていた女性に(あと)を付けられたような苛立ち。

 自分勝手な嫉妬だ。そして、それを持て余している。

 レインは懸命に衝動を抑えた。ぶつける、わけにはいかない。


 深い呼気で感情に風穴を空ける。内に籠る怒気を外へ逃がす。

 ぴくり、と少女の肩が震えた。


「……怒ってる?」


「怒ってます。不甲斐ない自分に怒ってます。もっと付け足すなら、貴女に心変わりさせつつある自分の指をへし折ってしまいたい」


「!!! だめでしょ、それ!」


「ものの喩えです」


「……喩えでもやめて。だめだよ、そういうの」


「すみません。でも」


 日が傾いたのかもしれない。ランプに灯りを点していない室内がにわかに翳った。

 暗くなる。

 向かい合う少女の白い(おもて)に、更に影が落ちるほど近寄る。左手は、手のひらから肘までを棚に密着させた。俯く。


(……こんなときでも、綺麗だな)

 伏し目がちな青い目を飾る、長い黒々とした睫毛。愁い、迷い、怒り、かなしみ――そのどれもが従来の彼女とはほど遠い。なのに。


 堪らずに、こつん、と額を合わせた。右手は脇に下ろしたまま。触れられない。触れてはいけない気がした。


「――惹かれてるでしょう? ディレイ王に。かれと居る貴女は生き生きとしてる」


「やめて」

「やめません。貴女はわかってない。もし、レガートの歌姫でなければ。僕との出会いもなければ、迷わなかったでしょう?」

「……っ……ばっ……!」



 パンッ


 乾いた音が宙を裂いた。痛みはあとから訪れた。


「!!」


「――ばかッ! 信じ、られない……!!」



 わなわなと、血の気の失せた花びらの唇が戦慄(わなな)いている。

 全身に走る小刻みな震え。

 怒りが陽炎となって、小柄な体から立ち(のぼ)るようだった。――一体、どこにこれだけの(はげ)しさが。


 レインは打たれた頬を押さえることもできず、灰色の瞳をしばたいた。『信じられない』。同感だった。

(僕……? え、いま、何を)


 何よりも、自分への嫌悪と驚きがすさまじい勢いで膨れ上がってゆく。むかむかと黒いものが渦巻く。それが、胸下で(こご)る。

 エウルナリアは身を絞るように、抑えた声量で言い募った。


「見くびらないで……! そもそもそんな仮定に、意味なんてない。どうしたの、レイン? しのごの言わずに本音で話そうよ。私もうまく言えなかったけど、こんなの、おかしい……!

 ――叩きたくなんて、なかったのに……ごめん。手を、上げてしまって。最低。失格よ、主として。あなたの恋人としても」


「すみません」


「謝らないで。私もこれ以上は謝らない。お互い、ものすごく失礼で不愉快なことを言ったし、したわ」


「……はい」


 (まなじり)を強めた少女は、瞳の青を深くした。

 ――――胸が疼く。痛む。これは、一体何なのか。


「……」


 ふと、相対する空気が緩んだ。怒気が(しぼ)んだような。


「だから、泣かないで。あなたを、ちゃんと大事にしたいのに。ちっとも出来てないのが悔しいよ。教えて? どうしてあんなこと言ったの?」


「泣いて、なんか……」

「泣いてる」


(……?)

 顔が熱いのは、思いがけぬ繊手に小気味よく張られたからだ。自身への不可解さ、不信感からだ。


 一向に認めようとはしない少年に、エウルナリアの左手が動いた。

 そっ……と、横を向いたままの顔を正面に向けさせる。さらに距離を詰める。両手で挟み、むりやりに視線を絡めると、ほろ苦く笑んだ。


 おもむろに、伏せられた睫毛が近づく。

 無条件に見とれる間に、ぐいっ、と首から上を下向きに引き寄せられる。


「エル」


挿絵(By みてみん)


 レインは、つま先立ちになった主の少女に、吐息と声を奪われた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] あああ。 こういうシーンだったんですね! 今話、すごく心理描写が優れていると思います。 何か、すごく深いものが伝わってくる。 上手く言えませんが、名シーンだと思いました。
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