126 物騒な口喧嘩
ぱたん。
かた、とん。――ぱたん。
穏やかな秋の陽射しを背に受けて、一人掛けの椅子に座ったディレイはふと、視線を上げた。
彼女の騎士達が退室してしばらく。また、静かな時間が過ぎている。
本業は歌姫のはずだが、見習い薬師なのだと言えばそのようにも見える実直さがある。
華やかなのに慎ましい。
奥手かと思えば妙なところで動じない。
控えめかと思いきや、押し切るべき場面ではひどく頑固。
――つまり、とても扱いづらい。
愛でても眺めても、飽きの来なさそうな類い稀なうつくしさで。
「……実に色々と攻めがいのある女なのにな」
「なにか仰いました?」
作業の手は止めず、視線も寄越さずにエウルナリアは淡々と反応した。
ほんの少し、口のなかで呟いただけなのに。
(耳やら感度やらが良すぎるのも考えものだな)
ディレイは布張りの背凭れに体重を預けた。報告書の束を膝の上に置き、苦笑する。
「別に。どうすればお前の心を折れるのか、検討していた」
「物騒ですね。まだお諦めではなかったのですか」
ふぅ、と吐息した少女が困り眉でこちらを見た。
それだけで。
むくり、と頭をもたげるものがある。
「……今からでも各国に潜伏させていた者に通達して、ありとあらゆる煽動を起こさせて。内乱の種やら混乱を巻き起こし、沈黙のアマリナから闇の商人を招いて戦に使えそうな毒を取り揃え、邪魔なセフュラを今年中に壊滅状態に追い込んでもいいんだが」
「……」
困り顔に、さらに戸惑う表情。何かを言いたそうに唇を半ばひらき、責めるようなまなざし。その、聖女のような佇まいに。
足を組み、椅子の縁に肘をついたディレイは頬杖をついた。にやりと口許を緩める。
「構想はある。どれだけでも。攻める方が性に合っているからな」
「……仕方のない方ね。一昨日はしおらしくしてくださったのに」
目を閉じ、再びのため息。
意を決したように面を上げ、絵図鑑を閉じた姫君が薬棚の引き出しを取り外す。そのまま歩いてくる。
「失礼します」と断りを入れ、ディレイの横の椅子に腰掛けた。
箱のなか。油紙に包まれていたのは乾燥した植物の茎。どこにも傷みや黴が生えていないのを入念に確認する。ついでに数量を。
それらの項目を机上の紙に記入すると、再び立ち上がった。先ほどからずっと、この繰り返しだ。
「最終的に俺を止めるためなら、お前は身を擲つと思ったんだが」
「以前の私なら。
……けど、今はしません。言ったでしょう? 私ほど妃に。誰かの奥方になるのに適さない娘はいません」
「妾にする手もあるぞ」
「最低。…………え、本当に?」
「どうだろうな」
「ディレイ!」
引き出しをきちんと元に戻し、次の棚に目印の付箋を差し入れてから、つかつかと姫君は歩み寄って来た。
普段のおっとり具合からは想像もできないほど素早い。その独特な落差を、クククッ……と噛み殺した笑いでディレイは楽しむ。
「嘘だ。お前を正妃にして側女に嫡子を産ませてもいい。言うことを聞かんならさっさと幽閉して、自由を奪い、俺だけのものにしてもいい。エウルナリア」
「……そんな、手のかかる鳥籠に入れなくとも。お願いですから、憎まれ口も大概にしてくださいね。ディレイ?
ヨシュアさんから聞きました。貴方は女性を嗜むけど、どなたにも本気になったことはないと。常に自身と周囲に及ぶ影響を考えていらっしゃる、と」
「ヨシュアは減棒だな」
「お可哀想。でも手心は加えません。
先ほどの構想の一端にしても、貴方がそれを選びとる可能性はとても低い。
私の幽閉案だって。周辺国をこれ以上警戒させないためにも、今回は私を留め置けないでしょう? 式典が終われば帰してくださいます」
「知った風だな」
「知ってるんです。だって貴方ときたら、私とは正反対なんですもの」
「…………」
「……」
膠着する会話。睨み合い、対峙する二人。
互いに触れることはないがひどく濃密な、打ち合うような空気を。
コン、コン
「あのー、……戻ったけど。俺ら、入っていいんだよな? これ」
開いたままにしておいた扉をわざわざ叩いて知らせる、グランののんびりした声がぶち破った。




