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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(一)

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123/244

123 歌姫の布陣

すみません、前話の最後に少し加筆しています。

(ディレイが上着を貸してくれました)





 肩に、思いがけない温もり。

 ――お前が、好きだ。

 たしかにそう聞こえた。


 なまじ、『欲しい』と言われるよりもずっと胸に迫るものがあり、不覚にも受け止めきれずに(こぼ)してしまっているのでは、と。つい膝の上に視線を落としてしまう。


 不覚にも。

(どう、しよう)


 揺らいだ。揺らいでいる。

 レインを好きだと――大好きだと思っている。なのに。

 「惹かれない」と言えば嘘になる。「()()()()()()()()()」が、いちばん顕著な相手だとも。


「私、は……」


 瞳を伏せたまま、胸を押さえると、ふ、と背凭れに寄りかかったディレイに微笑(わら)われた。


「『レガートの歌い手です』とは、もう突っぱねないのだな」


「……それは当たり前のことなので……貴方を突っぱねるための理由にはならない。弱いです」


「ほう」


 意外そうに声が閃く。

 多分、表情も少年じみたものになっているのだろう。

 見なくともわかる。それくらい、我ながら驚くほど短期間で気を許してしまっている。


 ――何とか。なんとか、伝えられないだろうかと懸命に言葉を探した。みずからの(うち)に沈む、真実を。


「貴方が……嫌いではありません。とても厄介なかたで、私を。レガートを、さんざん奔走させてくれた相手だと今も思っていますが、憎めません。

 おそらく、貴方のなかでは既に大陸全体に撃って出られるほどの構想がある――下準備も。違いますか?」


「……違わんな。詳細は伏せておくが」


 少しだけ、相対する気配が揺らいだ。いつものディレイらしからぬ、付け入る隙と呼べそうな瞬間だった。


(このひと、まだ私から嫌われてると思ってたの……?)


 もっと、自信家だと思ってた。

 相変わらず、鞘には収まりきらない刀身のような御仁だがあえて突っ込みはしない。伏せたいという軍事構想についても追及はしないでおく。



 ――視線を、上げた。

 真っ直ぐに見つめる。嫌いではない、本当はもっと、とても怖いひとだ。


 つきん、と胸が痛んだ。



「好きですよ。ディレイのこと。でも……私の抱える自国のつとめ以上に、妃にはなれません。“湖の民”というのをご存知ですか?」


「――――いや、すまん。知らんが……レガート湖に関するものか? お前達の住まいは、大陸最大の内海(うちうみ)だ。逸話の(たぐ)いには事欠かさなそうだが」


 ほろ苦く笑む。

 国を発つ際、駆けつけた父から託された事実。


 それは、元から知識としては()っていた。昔、存在したのだという妖精のような民びとの話――争わぬ、儚くうつくしい人びとを伝える物語。


「レガートの初代皇帝が、現在の都レガティア……湖に浮かぶ緑に満ちた島を見つけたときのこと。そこには固有の言葉を話す先住民がいたそうです。かれらを総じて“湖の民”と。穏やかな気質で見目うるわしく、歌や踊りに長ずる人びとだったと記録に残っています。ごく僅かですが」


「美麗で芸事に()ける民――か。まるで今のレガートのようだな。初代は軍事と統治に凄まじく秀でていたと言うが……それで?」


 足を組み変えたディレイが、若干身を乗り出して問う。

 どうやら、大陸史全般にも通じていそうだと安堵した。

 エウルナリアは話を進める。つとめて淡々と、しずかに。受け入れてもらえるように。


「……仰るとおり。初代皇帝は当初、入植に当たってかれらに立ち退きを。でなければ皆殺しを迫りました。けれど、そうはならなかった。

 のちの二代皇帝からの進言により、融和政策がとられたんです。レガートの民とかれらの混血は進みました。しかし予期せぬことも。

 ()()()()()()()()、かれらはひどく短命になる因子を持っていたんです。だいたい、二十代から三十代。

 ――皆、儚く散っていったそうです。それでも『湖の民の子孫同士でしか婚姻してはならない』と、かれら自身が厳しく戒め、細々と血を繋いで来ました。つい最近まで」


 いつになく一気に、滔々と述べる姫君に始めはしずかに。やがて物言いたげな顔をするようになったディレイ。


 傷つくことも、傷つけることも熟知するのだろうまなざしを受け止める。

 その瞳にこれ以上、憤りや落胆が生まれませんように、と。


「……私の、母です。最後の一人だったと」



「…………」


 真空じみた無音。

 つぶさに、互いを視界に収め合う。

 エウルナリアには静けさしかなく、ディレイには、身構える余地なく()()が吹き抜けたあとのような瞠目と、固まる気配があった。

 ――……予期せぬことだったのだろう。それはそう。誰だってそうだ。



「母は、二十四歳で私を産んだ年の暮れ、身まかったそうです。私にどれほど、その血が流れているかわかりませんが」


 青い、青い湖の色。

 かれらが備えたという暁の、薔薇色の髪は受け継がれなかったけれど。


「貴方は。ご自分の子孫に、そんな劇薬を混ぜられますか? この身を卑下するつもりは、一切ありませんが」


 言葉でむだに叩きつけたりなどしない。引導とも少しちがう。

 でも、たしかにこの手札は自身を守るものであり、想ってくれるひとを残酷なまでに追い詰めるものだった。


「それでも……私を求められますか?」


 このひとの、王たる資質に賭けて。

 エウルナリアは、ほんの一滴もかなしみを交じえぬよう、みずからの布陣を敷き終えた。


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