122 告白
「下手、打っちまったよな」
「言わないでくださいグラン」
二人に与えられたウィラーク城の客室、その片方で、男子二名はぼそぼそと語り合った。
明るい印象の、東棟の二階。
調度品は良いものを揃えてある。続きの間には猫足のバスタブ。水場も完備。寝台はクイーンサイズで一人には余る。
充分、丁重な扱いを受けているのだが―――
訪れた側のグランはソファーに。
迎えた側のレインは窓辺に椅子を置き、行儀悪く足をひらいて、背凭れを抱え込むように座っていた。
エウルナリアが見たなら目を疑ったろう。……完全に、拗ねている。
あーぁあ、とグランは黄昏た。
「な。エルゥどうすんだよ。このままじゃ取られかねないぜ?」
「言わないでくださいったら」
(ディレイ王は、基本的に僕達のなかでは、エルゥ様の言葉にしか耳を傾けない)
膨れっ面でレインは考えに沈む。
ある意味、旅の終着地点。
ディレイから戦意を翻させることこそが本懐だったはずだ。彼女を与えるなど言語道断。
自分もささやかながら、説得を試みた。
一時は注意を引きつけることに成功したにも拘わらず、現状は惨憺たるもの。この体たらく。
――……ため息しかない。
窓から見下ろす中庭に、ふいっと視線を投げかける。
故国の庭より、野草園のような趣がある。
じっさい、菜園としても機能しているのだろう。乏しい雨量でも育つ逞しい種が芽吹き、蔦を伸ばし、支え木に絡まりながら葉を繁らせる一画があった。
そこを、そぞろ歩く小柄な主と仮想敵国の王に。
『――ついて来なくていいよレイン。グランも。あのひとと話したいことがあるの。大丈夫だから。部屋で休んでて』と。
申し訳なさそうに響いた銀鈴の声が、ありありと脳裡に甦る。
(媚薬を盛られたうえに、致す直前のことまでされて!! なぜ、そう言い切れるんです、エルゥっ…………!??)
苦虫を、ゆうに百回は噛み殺せたかもしれない。
渋面の極みの少年は再び、抱えた背凭れに突っ伏して呻いた。
* * *
そぞろ歩く西国の庭は、野性味あふれる緑が主の立体庭園だった。
地面に、直接植えられた花だけではない。壁や柱に幾つもの白いプランターが架けられ、よく見ると壁面には縦横に細い溝が刻まれている。そのどれもがプランターと底部で繋がっていた。
エウルナリアは、指一本分しかない乾いた溝にそっ……と指を沿わせ、背後のディレイに問いかける。
「水遣りは……定刻なんですね。井戸水でしょうか。上部に設置された、あの器。あそこに溜めて、徐々に溝を伝わせる方法ですか?」
「……たぶん、そうだな。雨は、うちでは珍しい。この城には幸い井戸が三つある。城下の市にも泉はあったろう? あれが民の生命線だ。
城下の水源は合わせて十三。水場ごとに組合を設けて、緩い自治にあたらせている。
水場の長は代々引き継がれる租税官でもあるから、それなりに監視は必要だが。……――比較的、情もあれば真面目な奴らだ。旧神殿の高位神官どもほど腐っちゃいない」
「なるほど」
大真面目な顔で、少女は頷いた。
昼下がり。
石切場の視察を終えて帰ってきたエウルナリアは、目に見えて生き生きとしている。
元々、探究心や好奇心が旺盛な気質なのかもしれない。愛らしい、たおやかな美姫が真剣な表情で細い葉に触れるさまなど、眼福以外の何者でもなかった。
それとなく、城の東翼二階部分に視線を走らせる。
刺さるようなまなざしを感じ、ディレイは(若いな)と、口許に笑みを浮かべた。
「……ディレイ?」
「いや、何でもない。ところで――」
繊手をとり、傍らのベンチへと導く。
両脇に緑を繁らせた四角い石柱が建っており、件の窓からでは微妙に見えにくい。
辛うじて、下半身くらいなら映るだろうか。
「?」
最初から見られている意識のない姫君は、ほんの少し首を傾げた。
彼女から話したいことは山ほどあるが、『相手の話の腰を折ってはいけない』と、幼い頃より刷り込まれたせいもある。
よって、成立する無言の数十秒。
サア……アァァァ……
群生する細い葉と、名も知らぬ紫の小ぶりな花が揺れている。
山脈から吹き下ろす風は、秋風と呼ぶにはつめたい。エウルナリアは無意識に己の肩を抱いた。
外套は脱ぎ、衣服も改めている。貸し与えられた衣装はウィズルらしい手縫い刺繍が襟と袖口をふんだんに飾る、シンプルな型の青いドレス。
――自覚なく。
風景にこの上なく溶け込んでいた。
物問いたげに見つめる真青の瞳も、柔らかそうな白い肌も。瑞々しい珊瑚の唇も。解き下ろされて風に靡く、波打つ黒髪も。
ディレイは、らしくもなく、本格的な忘我の心境で彼女に見とれていたことに気づいた。潔く苦笑する。
吐息とともに、自身の上着を脱いだ。
少々重いかもしれないが、無いよりはましだろう。目をみはる彼女の肩に、広げて掛ける。
つかの間、縮む距離。
思うと同時に、言葉はすんなりとこぼれた。
「……妃と、なってはくれないか。慰みではない。お前が好きだ」




