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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(一)

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120/244

120 寝台の上で。穏和な話し合いを(後)

 ディレイは、ゆっくりと自由なほう――左手の指をエウルナリアの頬に添わせ、親指で彼女の唇に触れた。

 やわ、やわと愛撫するような力加減と(うごめ)きかたに、全身によからぬ波がじわりと伝わる。反応に気を良くしたのか、さらに輪郭に沿ってなぞったり、人差し指を使って弱くこじ開けるような仕草をした。


「!」


 エウルナリアは、どき、どきと早鐘を打ち始めた胸を押さえる。

 ディレイの穏やか過ぎるまなざしを見上げ、かれの左腕――折り返した袖よりも上の部分を掴み、押し返そうとした。ぴくりとも動かない。


 ふ、と茶褐色の双眸が、しすかな熱を秘めて和らぐ。


「まずは一点訂正を。もちろん『襲うつもりだった』。当然だ。せっかく、みずから進んで堕ちに来たと言うのに」


「ディ、レ……」


 おかしい。頬が熱っぽい。はね除けるのが億劫で、身を任せていることに違和感が無さすぎる。しかも。


「…………」


 指に、切なそうな吐息を受けたディレイはいかにも残念そうな顔つきになった。

 無造作に襟がはだけたままの首や鎖骨、その下にまで指を這わせる。ついでに胸元まで留め具を外した。


 ――直に触る。

 しっとりと吸い付き、滑らかで温かい。かつ、信じられぬほど脆弱な柔らかさ。およそ愛でられるためだけに存在する肌だった。なのに、全体的には小柄でほっそりとしており、保護欲をそそる。



(一体どうしろ、と)

 ため息混じりに顔を寄せ、うっすらと上気した目許に口づけてから首筋に鼻先を(うず)める。


「っ! …………ぅ……」


 エウルナリアは必死に堪えた。が、殺した声の隙間から漏れでる吐息はどうにもならない。


「元々、感じやすい体質なんだろうが……媚薬(くすり)で無抵抗の相手を。ましてや気に入っている女をどうこうしても、つまらん。本当に残念だ」


「!」


 息を乱しつつ、明らかに悩ましい顔つきとなったエウルナリアの背に、ぞくりとディレイの声が走った。反射で身震いしてしまう。

(この声……、くやしい。だめ。逆らえない)


 『どうこう』されても、今なら受け入れてしまうと予感した。

 相性、というものがある。

 本能的なレベルで、このひとにだけは堕ちてはならないと察する。危険だ。



「で、二点目だったか。海向こうの国は乗り気だな。ウィズル(うち)が動くときは報せを飛ばす手筈になってる。少なくともセフュラの南海諸島は、手痛い被害を被るだろう。略奪の嵐だ」


「海賊にも?」


「否定はしない」


 不馴れな感覚に息も絶え絶えになりながら、それでも懸命に追及の手を緩めない。見た目より気骨のある少女に、思わず頬を緩める。

 にやり、としか表現できぬその微笑に、エウルナリアは噛みついた――もちろん比喩として。


「どうして。どうして、自国の民ほどには気遣えないんですっ……? 貴方は、ウィズルをいとしんでる。ヨシュアさんだって。ガザックさんも。――客人に媚薬を盛るような、とんでもない女官さん達にだって、情を持ってらっしゃるわ。違う?」


「違わんな」


 くく……、と。

 あられもない着衣の乱れを忘れて掴みかかっているらしい少女の気性を、ディレイは存分に(いと)しんだ。

 くい、と細い顎を持ち上げると、すばらしく青い瞳に睨みあげられる。その澄んだ輝き。水底(みなそこ)に沈む神秘の宝のような煌めきを。

(いいな。癖になりそうだ)


「それから……あぁ。要不要の問題だったな。富は、あるに越したことはない。うちは貧しい。

 滅ぼす必要がない、とは――何も奪われたことのないものの発想だな、姫。東に有り余る実りが。南に唸るほどの財が。少し隔てた場所には得難く、うつくしいものが。……『融通できぬものに民の命がある』と、あの男は言ったが」


 ぴくり、とエウルナリアは反応した。レインの言葉だ。

 顔色を変えた少女に目を細め、ふん、とディレイは(あざけ)るような仕草を見せた。


「守るべきは民だと、職業上刷り込まれていた自覚はある。が、それ以上に融通の利かぬもの――……俺が、お前を手にしてみたいと願う欲は。望みはどうなる? “国”はついでに転がってきたからしょうがない。面倒みるさ。愛着はあるからな」


「……どう、しても?」


「どうしても」


 泰然と言い放つ。

 奪うこと、滅ぼすことに頓着はないと居直る青年に、エウルナリアの表情はみるみる曇った。


(……)

 目を閉じる。

 観念したわけではない。まだだ、まだある。このひとを止めるだけの手札が絶対に――


 身を差し出すわけにはいかない。奪わせるわけにも。



「?」


 突然、視界が傾いだ。

 ぐらり、と揺れてぽふん、と頭部が羽枕へ。そのまま素早く乱れた裾を直され、はだけた胸元はそのままで掛け布を被せられた。


「?? ディレイ……?」


「寝ろ。寝てしまえ」


「でも」


 なおも食い下がろうとする少女の唇に人差し指が当てられる。黙れ、の意か。


「――まだ色々と言いたそうだが。そのフラフラの(てい)じゃあ誘惑しか出来んだろう? 俺もそこまで優しくない。うっかり手を出しかねん」


(……今の今まで、さんざん手を出してたよね……?)

 非常に恨みがましい視線になるのは否めない。少女の渾身のジト目を、ディレイは鼻で笑った。



 『明日は、城下の視察に行く。あいつらも一緒に来るといい』と。

 昼間と同様の素っ気なさで砂色の髪を翻し、青年はぱたん、と扉を閉めて出て行った。


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