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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 成人後の日々

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12 女子寮のお茶会

「ただいま、戻りました」


「あぁ、早かったですね。お帰りなさいバードさん」


 学院の女子寮の周囲には塀がある。その唯一の出入口にあたる瀟酒(しょうしゃ)な鉄製の門扉をキィ、と開くと、塀の内側で花壇の雑草取りをしていた寮監の老婦人に声をかけられた。


「こんにちは、お邪魔します」


 ぺこり、と頭を軽く下げて挨拶するロゼル。


 老婦人は少しの間、草をむしる手を止め――ようやく動き出すと、何とか立ち直った。


「バードさん、この方は…?」


「あ。同じ三学年の友人で、美術院のロゼル・キーラです。寮に興味があるので泊まってみたいと……だめ、でした?」


「いえ、だめと申しますか……」


 老婦人は、しみじみとロゼルの全身を見つめる。――どう見ても男子生徒だ。

 言おうか、言わざるべきか、躊躇を見せた気の毒な寮監に助け船を出したのは、当のロゼルだった。



「…あの。私、こうみえても女なんですよ」




   *   *   *




 ぱたん。

 今日から自室となった寮の一室に、エウルナリアは初めてのお客様を迎えると同時に帰寮した。


「はぁーーー…」


 ぼふん。

 すぐに、倒れるようにベッドに飛び込む。

 ロゼルは、くすくすと笑った。


「エルゥ、靴」


「んー……めんどう…」


「ほんとに、相変わらず“内”と“外”で全然ちがうね。そんなので、寮生活大丈夫?」


「んんん…どうだろ……? あ、ごめんロゼル。いいよ、ちょっと倒れただけ。すぐにお茶淹れるから」


 気がつくと、綺麗な少年にしか見えないロゼルが床に片膝を付き、ベッドからはみ出たエウルナリアの足から靴を脱がそうとしていた。危ない、危ない。


 ぱっと、身を起こした少女の黒髪が跳ねる。ベッドのスプリングのおかげで、とても元気に起き上がれた。


「そこのソファーに、掛けて待ってて?」


「あぁ、わかった。だらしないエルゥでもスケッチして遊んでおくから、どうぞお気遣いなく」


「……うぅ…ロゼルの、意地悪」


 部屋の隅にある、こじんまりとした給湯スペースへと足を向けていたエウルナリアは、横目でじとっと親友を睨んだ。が、あまり迫力はない。


 それをさも、眼福であると言いたげな笑みで顔を深く綻ばせた男装の少女は、少し低めの落ちついた声音で満足そうに答えた。


「それでこそ、私の大事なエルゥだね」


「………ん。ありがと、ロゼル」


 でも、描かないでね? と念押しすることは忘れず、今度こそ少女はお茶の準備にとりかかった。




 寮の空気は、意外にもエウルナリアに合っていた。建物の外観は他の学舎と大して変わらない。赤っぽいオレンジの屋根、クリーム色の壁。けれど、床は木材。なので足音がここでは違う。石造りの堅牢さではなく、木の温もりが感じられるのは有り難かった。


 かたん、と窓の木枠を押して(ひら)いたあと、しゅんしゅんと湯の沸く音に呼ばれ、部屋の主は再び給湯スペースへ。


 ロゼルは大人しくソファーに掛け、宣言通りスケッチブックを開いている。楽しそうな顔だ。


 時刻はまだ昼前。三学年になって講義の数はぐっと減った。正直、時間をもて余している感じはあるのだが……


 エウルナリアは、ポットに茶葉を量り入れ、沸かしたての湯を注ぐ。カチャ、と蓋をして砂時計をひっくり返すと、サラサラサラ…と青く色付けられた砂が落ち始めた。

 それらが乗った盆を、そっと持ち上げてソファーセットまで移動する。

 意識することなく行われる一連の流れは、優美で慎ましく、うつくしい。

 コト、と静かな音とともに置かれた盆からは、既に甘いお茶の香りが漏れ出ていた。


「エルゥはさ」


「うん…?」


 砂が落ちたのを見計らい、ポットから二人分の茶器に均等に注ぐことに集中するエウルナリア。生返事をしつつ最後の一滴まできちんと淹れ、満足そうに微笑んで受け皿と合わせると「どうぞ」と、親友の前に置いた。


 ロゼルは、すぐにスケッチブックを脇に置き、組んだ足を行儀よく元に戻した。「うん、ありがとう」と茶器を手に取る。


 エウルナリアも、すぐには飲めないが両手で茶器を支え、ふぅ…と息を吹きかけて冷ました。

 鼻先に、甘い花の香りが温かな湯気とともに漂う。そのぬくもりに束の間、癒されたところで――再度、水を向けた。ロゼルが言葉を途中で切るのは、レイン以上に珍しい。


「…で、なに?」


「うん。エルゥは、さ。好きな奴と結婚しなよ。でないと、勿体ない」


「え。あの、……え? 何で今、それ?」


 おたおたと、慌てふためく黒髪の美少女に柔かな深緑の視線を茶器越しに、投げ掛ける。「今だからだよ」と、呟いた。そして、何でもないことのように続けた。



「婚約者。私は決まっちゃったから」


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