116 会談(前)
「グラン、血が……」
部屋を移動する。
そう言われて三名はウィラーク城の通路を歩いた。重厚と言えば聞こえはいいが、大陸東部のような異国情緒はなく、さりとてレガートのような端正さ、白夜国の絢爛さ、アルトナの家庭的な素朴さや牧歌的な雰囲気もない。
言うなれば砦。いかにも戦においては心強かろう、武骨なほどの灰色の石造りだった。
(最高級の大理石の産出国として、名高いはずなのに……)
意外だな、と何気なく周囲を見渡すと、赤髪の幼馴染みの首もとへと視線は吸い寄せられた。
右斜め前方をディレイが歩き、エウルナリアはそれに従う。レインとグランはそれぞれ左右両隣、やや後方に。
歩を緩めずに一行は会話をした。
連れが、一国の王に斬りかかってしまった非礼はディレイ本人によってさらりと不問にされている。
「次はないぞ」とも釘を刺されたが、それがかなりくっきりと『騎士の命はないぞ』と聞こえることにエウルナリアはひやりとした。――おそらく、解釈としては間違っていない。
時おり城の人間ともすれ違ったが、みな恭しくディレイとサングリードの聖職者と思わしき客人らに頭を垂れ、通路脇へとみずから逸れて中央を譲る。
一連の扱いは作法的なもの、洗練された仕草というよりは心酔しているのだと感じられた。自分達が戴く王。直接仕えることが誇らしく喜ばしい、救国の英雄に。
そんななか、グランは何でもないことのように呟く。
「平気。舐めときゃ治るって」
「舐める……自分で?」
(どうやって?)
きょとん、と瞬く湖の色の瞳をまぶしそうに見つめたあと、グランは口の端を片方、わずかに上げた。
「悪ぃ、言い間違えた。舐めてもら――」
「やりません」
反射で、つん、と顔を背けてレイン側を向くと目が合った。たいそう穏やかな、何かを悟ったような表情だった。
かれは、やがて包み込むような笑顔を惜しげもなく添えると、こくりと頷いた。
「あとで。僕がしっかり舐めておきますね」
「いや……いい、断る。お前、本当にくっそ真面目な顔してやりそう」
「勿論ですグラン。助かりました。僕だって舐めるならエルゥ様がいい」
「れっ……、レイン! こらっ!!」
即座に渋面で返すグランに、飄々とレインが応酬する。それに、更にエウルナリアが乗っかった。
(あ)
一拍後、思わず瞠目する。その段階で漸くひどく肩に力が入っていたことに気づいた。
ひとりじゃない。
たった一人で乗り込んだわけじゃない、と改めて安堵する。
身にまとう空気を和らげ、真っ白な大輪の花がほころぶようにエウルナリアは微笑んだ。
「……ありがとう、二人とも」
――一緒に、来てくれて。
省いた言葉はきちんと伝わり、幼馴染み二人はそれぞれ、とびきりの微笑を少女に返した。そのままちらり、と相方に牽制のまなざしを送る。
「もう」
仕方ないな、と嗜めつつ、くすくすとやさしく鈴のような笑い声が辺りを包む。
三者の醸す空気は暫し、異国の城の一画を意図せず華やかに彩った。
ディレイはその間、手も口も出さなかった。大人しすぎるほどでは――と。
エウルナリアはこの時、気づくべきだったのかもしれない。
* * *
通されたのは王の私室だった。
「まぁ、その辺に掛けろ」
「はい……?」
ディレイは真っ直ぐに奥の執務机まで部屋を横切ると、卓上の呼び鈴を手にとり左右に軽く振った。
チリン、チリン……と、思ったより可愛らしい音が大きく響く。ほどなく現れた女官らしき人物にいくつか言付けたあと、自身は、どさりと一人用の椅子に腰掛けた。
三者も座るべき場所を探す。
執務机の前に応接用らしき長椅子とローテーブルがあったので、そちらに足を向けた。
す、と淑女らしくエウルナリアは衣装の裾を直して座し、レインとグランはその両脇に立つ。後ろ手を組み、黙して控えの姿勢となった。
「ずいぶん、ざっくばらんなのですね?」
小首を傾げる少女にディレイが視線を投げ掛ける。
手元には書類の束があった。若干の沈黙ののち、再び文字を追うために目線を落とし、事も無げに答える。
「飾ってもどうにもならん。そもそもお前達が忍びで来るのが悪い。こっちは何の用意もないからな。一応書記官と茶の手配をした。それまで寛いでおけ」
「はぁ」
少々、毒気を抜かれた返事が漏れる。
ほどなくきびきびと、茶道具一式を持参した書記官が現れ、「あ」と両者は口をひらいた。
(確か――……そうか。あの時の)
人の良さそうな面立ち。中肉中背の、動きが武人らしいのにもかかわらず文官と紹介されていた中年の男性。
あの日、雨のレガートでディレイに付き従っていたひとだ、と。
記憶はすぐに呼び覚まされた。




