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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(一)

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115 舞踏の始まりのように

 目の前を、焦がれる少女の黒髪が過ぎた。

 レインは降ろした拳を握る。

 だめだ。だめだ、駄目。行かせては――


(……っ)

 ぐっと肚に力を込める。震える身体を抑えつける。


 絶対に、行かせない。このまま何も出来ず。立ち竦むだけなら、彼女とともに来た意味がない――!


 決意は渦巻く胸で(こご)り、硬質な声となって(こぼ)れた。


「ディレイ王。僕は、この方に仕える身ですがこの方の父――バード楽士伯の意を受けた者でもある。我がレガートにおいて、筆頭楽士は外交の要。この意味がお分かりか」


「……あぁ?」


 ひゅ、と瞬く間に空気が冷えた。ディレイはつぷりとグランの喉に先端だけ、沈めた剣を止めたまま。なげやりな目線だけで階上のレインを射抜く。


 エウルナリアはまだ(きざはし)の半ば。ちょうどレインとディレイの中間に佇み、後ろを振り向いて不安そうに見上げている。

 気丈を装ってはいるものの悲愴な面持ちだ。その、揺れる青いまなざしに。


 レインは覚悟を決めた。

(僕が死んだら、この方を誰も守れない。行かせても守れない。なら――!)


 あくまで灰色の瞳にはつめたい光を。心の底の恐怖を捩じ伏せ、ひたと睨み据える。

 砂色の髪の偉丈夫はたしかに、この国の英雄なのだろう。だがそれは、いとしい少女を差し出す理由にはならない。

 ごくり、と喉が上下した。


「貴殿の国の。救済策があります。アルトナを併呑せずとも」


「続けろ」


 茶褐色の双眸をいっそう剣呑に細めたディレイが、ことさら簡潔に述べる。

 真っ直ぐに下を向く剣はまだグランの喉の上。浅く繰り返される、かれの呼吸で隆起する胸と動かせない、投げ出された長い四肢が見えた。


「会談をのぞみます。僕も。――エルゥ様をどうこうなさりたいなら、腕ずくではなく真心で説き伏せてはいかがか。何も、僕を含めて横並び一直線でなくとも良い。(さら)えるものなら浚いなさい。不埒な真似をなさらないと約するなら、彼女は貴方の『話』に応じるでしょう。……違いますか」


「なるほど」


「…………?」


 ふん、と片頬を緩めたディレイは剣先を脇に逸らせた。「立てるか、小僧」と足元のグランに話しかけるも手は貸さない。

 グランもまた、不遜な表情で「あんたが、そのでけぇ足を退かしてくれればすぐにでも」と低めた声で返した。


(! ~~グラン……っ! 命知らず!!!)

 エウルナリアの内心の叫びはもちろん、幼馴染みの騎士に届かない。


 が、憂慮に反して青年王は足を退けた。

 文字通り飛び起き、ぱんぱん、と肩を叩いて埃を落とす赤髪の新米騎士ににやりと笑みすら見せる。


(あく)たれは嫌いじゃない。命拾いしたな小僧。エウルナリアとあそこの口達者に感謝するといい」


「……言われずとも、だ。エロおやじ」


「心外だな。男の端くれとも思えない。ガキが」


「なっ……!!」


 かぁっ、と頬を赤らめたグランがディレイに掴みかかりそうになるのを、駆け寄ったエウルナリアが辛うじて止めた。背に、自分よりもずっと丈高いディレイを庇いながら。


「だめ! グラン、落ち着いて!」


「落ち着けるかよ!」


 安定の切り返しに、エウルナリアは頭を抱える。


「私はたぶん、殺されたりはしないけど貴方いま、殺されそうになったのよ……? どれだけ、怖かったと思うの! ばかっ!! ばかグラン。嫌いっ!!」


「え……」


 瞬く間に、先ほどの威勢はどこへやら。さぁっと青ざめたグランが右手で口許を覆った。


「……ごめ」

「だめ。許さない。今後ぜったい、あんな風に飛び出てはだめ。わかった? 騎士どの」


「うっ、ぐ…………くそ、言い返せねぇ」



 わかった。謝る――の一言で沈静化した場に、くつくつと潜めたディレイの笑い声が落とされた。

 三対の怪訝そうなまなざしが青年王へと注がれる。


「あぁ。可笑しい……なるほどな、ヨシュアは慧眼だ。褒めておかないと」


「ヨシュア……、内侍官のかたですね。仲がよろしいので?」


 ふわり、と髪を揺らして振り仰いだ花の(かんばせ)にディレイの視線が劇的なまでに和らぐ。「まぁな」と答えた。


(……)

 かちん、と来た少年が約二名。それを背に受けて気づかぬ少女が約一名。

 す、とおもむろにディレイは手を差し伸べた。


「?」


「手ずからの案内くらいは許されよう? エウルナリア。言うのが(いささ)か遅れたが――ようこそウィズルへ。我が姫」


 重ねられた柔らかな手の甲、指の付け根に。掠める程度の口づけが落とされた。


「……どう、いたしまして。ディレイ様」


 ぐいっと強引に引っ張られ、身を寄せる羽目になった姫君は何とか距離をとって淑女の礼を返した。


 手は掴まれたまま。

 ――それはまるで、儀礼的な舞踏の始まりのように。



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