113 対峙する姫と王(前)
サングリードの生え抜き薬師と行動をともにするのは二度目になる。
エウルナリアとレインは、かれらを手伝ううちに比較的薬草全般に明るくなっていた。
持参した薬鞄から一冊の辞書を取り出し、逐一、二階部分の壁一面に設けられた引き出しのラベル表記と中身とを照らし合わせてゆく。根気の要る作業だ。
成り行きで、幸運にも入り込めたウィラーク城。その薬室に、あれからずっと詰めている。
北の棟は天井まで吹き抜けとなっており、一階部分は調合設備や施薬室。中二階が薬草保存を目的とする壁一面の整理棚となっていた。
が、担当者は不在だという。中はもぬけのからだった。
『――しょうがないんだ。陛下が城に入られたとき、全員自害しちゃったから』
あっけらかんと言ってのけたヨシュアは案内を終えると、早々に別の仕事へと行ってしまった。
『明日も来れる? 今日は出来るところまででいいよ。補充目録ができればそれを元に発注したい。宜しくね』――と。かれが扉から出る際、にこりと感じの良い笑顔を残してからというもの。
三名のなかではグランだけが完全なる薬学初心者のため、黙々と二人の補助に徹している。
* * *
「――な、エルゥ。さっきのヨシュアさんが言ってたやつ。『城の薬師が自害』ってさ、なんでかわかる?」
「んー……」
そろそろ、黙っていることに飽いたのか。
棚のなかに残っていた植物の根の本数を数えながら、グランは訊ねた。
エウルナリアは小さく唸りつつ、傍らで辞書を広げるレインの手元を覗き込む。
そうして考えながら、きちんと伝わるよう。出来るだけあたりのやさしい言葉を正確に当てはめていった。
「……たぶん。先の王家と癒着が激しかったからかな。生きてても断罪されると思ったんだよ。
ウィズルは元々、独自の神々を崇めてるの。いわゆる多神教ね。基本は主神。既婚女性ならその正妻の女神。武人なら戦女神。商人なら商売の神。そんな感じで」
「ん? 癒着……薬師が? え、ちょっと待って。宗教とそれ、一体どう関係あんの」
果たして根が何本あったのか。途中で数え誤ったグランは頭を抱えた。くすくすとエウルナリアが笑う。
「『薬師』……とは違うかも。『医官』と呼ぶべきかな? ウィズルの場合。
薬を専門に扱ってたのは内乱前にここに住み着いてたサングリードのひと達でね。薬問屋みたいに扱われてたんだって。
ウィズルの医官は、医療の神を崇める神殿の神官でもあるから。……やってたのは呪い半分ってとこ。だから、信心深いひとは神殿へ行って祈祷と薬を処方してもらうし。反面とっても高額だから、貧しいひとはサングリードで診てもらってたみたい。それも、内乱が始まる前までのことだったって」
「ほー……詳しいな相変わらず。……っと、誰か来たぞ。はーーーい!」
その時、ちょうどココン! と扉が叩かれ、グランが身軽に二階部分の手摺から階段を使わず、ひらりと飛び降りた。危うげなく着地し、小走りに扉へと駆け寄る。
取手をとり、内側にひらく。
すると。
「すまないな、うちの官が強引に連れ込んで。サングリードの見習い薬師とは……お前達か。邪魔をする。どうだ、難儀はないか」
「……ッ……!?」
驚きすぎて胸がどくん、と跳ねた。
とっさに反応を返せない。
呼吸もままならず、振り返ることもできず、エウルナリアは中二階で石のように固まってしまう。
……忘れられる、わけがない。
大して張っているわけでもないのに身体の真芯に届く声。抑えていても耳に残る低音。胸の内側に引っ掛かるのに、不快ではない。
隣に立つレインもまた、初めて会うかれを凝視している。
四か月前。春の終わり。
残酷な選択肢を突きつけて愉しげに自分を捕らえた男が――ディレイが、そこにいる。
エウルナリアは一旦きつく目を瞑り、細く息を吐くと、つとめて恐れを払った。
――大丈夫。以前とは違う。絶対に流されたりはしない、と。
被ったままだったフードを後ろに落とし、そぅ……っと振り返った。
動きに従い、滑るように肩へとこぼれる、波打つ黒髪。真青のまなざしを階下に投げ掛ける。
茶褐色の瞳が、ゆるゆると驚愕に見ひらかれた。
「まさか。……姫、なのか?」
「えぇ陛下。お久しぶりです」
表面上は平静を。可能な限りの泰然を装い、はるか高みから。
歌姫は、青年王と対峙した。




