111 あのひとへの道(後)
「こっちだよ」
人混みを効率よく縫うため、身に付いた歩調でざくざくと進んでいたヨシュアは、ふと同伴する少女の小柄さを思い出した。
(やば。置いてきたかも)
ぐるっと振り返り、やや遅れて人波から現れた彼女の様子に申し訳なさそうに眉をひそめる。思ったことは謝罪となり、ぽろっとこぼれ落ちた。
「ごめんね。あなたが小さいのをすっかり忘れてた」
「ちい、さい……」
市場でもっとも混雑を極める界隈は既に抜けている。ざわめきも遠い。互いの声はよく聞き取れた。
実は、けっこうな劣等感だったのかもしれない背の低さを指摘された少女が、花びらのように可憐な唇を半ばひらき、呆然と佇む。
同行を申し出た二人の連れは揃って笑いを堪える仕草を見せた。が――
「……」
「……ぅ…………ぶふっ」
赤い前髪を外套のフードから覗かせた長身の青年は、口許を押さえながら派手に吹き出した。
「グランっ!」
肩を怒らせて振り向く少女に、青年は尚も笑いを収めない。諸手を挙げて「ごめんエルゥ」と、嬉しそうに謝っている。連鎖して隣の少年も目許を和らげた。
「僕は、笑ってないよ」
「わかってる。……ありがとレイン」
不承不承、頷く少女に。
うなじの位置で括られた、つややかな栗色の後れ毛で頬を飾る整った面差しが、春の雪融けめいた柔らかさをまとった。
伏せられた長い睫毛の下で、つめたい印象しかなかった灰色の瞳に温かな色味が宿る。
ヨシュアは、ぴん、と来た。
「きみ達、見目があんまり良いから最初はびっくりしたけど――仲、いいね。聖職者のわりには若いし。ひょっとして小さい頃から一緒にいた? 幼馴染み?」
「あ、はい。そうです」
跳ねるように振り返った少女の、銀鈴の声が空気を震わせる。
身体の線を隠すサングリードの白装束。飾り帯は見習いの黄色。ほか、二人も黄色。おそらく入門も同期なのだろう。
自分と主君、仲間達の過去を形を変えて眺めるようで、ヨシュアはにこり、と頬を緩めた。
目深に被ったフードで妖精じみた美貌を隠す少女は、訝しそうに小首を傾げる。
「あの……?」
「――――ヨシュアだよ、おれは。城で内侍官をつとめるヨシュア。宜しくね。えぇと……あなたは“エルゥ”さんか。それに“グラン”。きみが“レイン”。三人とも元々の地肌が白い。ウィズルじゃなきゃ、レガート辺りのひと?」
「! ……はい。わかります?」
「わかるよ」
穏やかな微笑を浮かべ、ヨシュアは再び歩き出した。
なぜか表情を引き締めた三名も、今度は遅れずあとを追った。
* * *
(油断、ならないな)
さっそく自分達の出身地や関係性を言い当てられ、名前まで一度で覚えられてしまった。
とっさに偽名では呼び合えなかった。手痛い失敗だったかな――と、エウルナリアはこっそり悄気る。
同時にどうしようもない性分として、初めて訪れる異国の街にそれとなく視線を移した。
ウィラークは、建造そのものはそこそこ古い。アルトナを属国に従えて栄えた五百年ほど前の都市区画が基盤となっているはず。
建物はどれも無骨な石造り。道の両脇に砦のようなものが建ち並び、二階部分は頭上を跨いでがっしりとした連絡橋で繋がっていた。そんな建物がなだらかな斜面に沿い、いくつも点在している。
人びとはそれらを自由に行き交う。ちらりと覗いた路地裏などは更に細かく入り組んでいるようだった。
まるで空中要塞――立体迷路だなと感じる。
ここが、ディレイが直接治める王の都かと。
元は石切場だったと伝え聞く。それも由来するのかもしれない。
(……内乱時は、市街戦にならなかったのかしら。すごく攻めにくそう……)
物騒な思索に暮れながらも、エウルナリアは淡々と足を動かした。下手にゆっくり歩いては、かえって疲れそうだ。
灰色の色調で敷き詰められた、緩やかに弧を描く石畳の坂道。それを登る。荷車を曳くロバや貴族らしきものの馬車を避け、一行は道の端へと寄った。厳密な車道と歩道の区別はないらしい。
やがて、坂の突き当たり。聳える王城へと辿り着く。
内側がいっさい見えぬ高い塀。見廻りの兵や門の守衛兵らに軽い挨拶で通り抜け。
客分を連れたヨシュアは実家の門扉をくぐるように、とても気安く帰城した。




