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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(一)

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109/244

109 外つ国のサングリード

 いっぽう、旧西ウィズルの首都。古の街ウィラークにて。



 王宮内侍官ヨシュアの朝は早い。未明から始まると言っても過言ではなかった。だが苦ではない。


(あの方がお帰りになったのだし)

 心酔すると自他ともに認める、ウィズルの若き王。

 自分はとくに学問に優れているわけでもなく、武芸の才も体躯にも恵まれなかった。ただかれとともに路地裏で命を繋いでいたというだけで、一緒に老将軍に拾ってもらえたのだ。



『――おれは……役に立てない。すまない、皆、ディレイのために。頑張ってるのに』


 そう、無力感に苛まれて立ち尽くしたとき。掛けられた言葉を今も覚えている。


『……らしくないな? ヨシュア。俺は……強いて言うなら養父(おやじ)殿のために戦ってるが。そもそも、現王なんぞさっさと(しい)したほうがいい。それは戦いに向いた奴がやるべきだ』


『ディレイみたいに?』


 こく、とかれは頷いた。戦況は有利とのことだが、連戦に次ぐ連戦。甲冑には欠けた箇所やひび割れもあるし返り血のあともある。

 清めるのも修繕も追いつかないのだ。旗頭である、かれの身に付けるものですら。

 ヨシュアは瞳を据わらせ、口を尖らせて黙した。


 黒髪の幼馴染みの視線の矛先に気づいた男が、ふ、と微笑(わら)った。『それだよ』と。


『……?』


 ヨシュアは不思議そうに首を傾げた。


『今お前、思いっきり俺の世話を焼こうとしたろう? 一緒の行軍組は何をしているのかと。俺はな、ヨシュア。それぞれが出来ることをすればいいと思ってる。たとえば――ここ。いつ帰るかわからない俺のために、ずいぶん整えてくれてるだろう?』


 正直、鎧を外す間もない。またすぐに発たねばならない。それでも仮の寝ぐらと定める家屋敷に、足を向ける理由。それが。


『俺だって、疲れるときくらいある。というか、誰か他の適任がいるなら代わって欲しい。それもままならないから行くんだ。お前は、そのための一時の休息をくれる。――どうだ? 他に適任はいるか?』


 その、まなざしが余りに屈託なく。

 真っ直ぐで和らいでいたもので。

 ――――不覚にもヨシュアは赤面した。ついでに言えば泣きそうになった。


『……普通……そういうのは好きな女に。百歩譲って花街の行きつけの相手とかに言えばいいと思うんだけど』


『阿呆。言わんわ面倒くさい。無駄にのぼせ上がらせるだけだ』


 精一杯の反論も、あっさりと棄却される。


(でも一応、馴染みというか。そういう相手はいるんだ……)

 どこか悔しそうな青年の心の声が聞こえたように、ディレイはにやっと笑んだ。


『後腐れのない相手に限る』


『うわぁ……最低。ディレイ、最低だよそれ』


『言ってろ』


 ふふん、と鼻で笑い、かれは再び戦地へと赴いた。――あの日。先の西ウィズルの王を討ち取る少し前のことだ。


 その、かれに。

 近頃想う姫がいるのだという。()つ国に。

 洗濯物一式を洗い場に運び、下女に頼んで帰す足で公式市場へ。

 歴史あるといえば聞こえはいいが、要はとにかく古い石畳を歩き、坂を降りて広場へと向かう。


 街の憩いの場であり、生活空間でもあるここは地方に比べれば活気に満ちている。仮にも王の膝元だ。身形はさほど整えられはしないものの何とか日銭を稼ごうとするもの、物資を元手に露店を営むものなど様々に入り乱れている。

 もちろん、少しでも安く良いものが手に入らないか物色する客達も。


(えーと……こっちの麦は、一袋3700ルク。あっちは多少粗悪品で同価格だった。要報告かな……)

 いちいち紙片に書き取ったりはしない。逐一記憶してゆく。冷やかしを装うときもあれば実際に買うこともあった。

 王に命じられたもう一つの仕事。

 それが市場調査だ。


 ヨシュアは城の外にも顔が利く。普段から、各分野の業者と接する城側の窓口として立ち働いているからだ。

 布地を扱う商人。穀物商、野菜を商うもの――とにかく目についたものから、その品質と値段とを頭のなかの量りにかける。地味な仕事ではあるが、これで暴利を貪る業者などをコツコツ摘発してきた。街を含むこの市場で、ヨシュアの通じぬものはない。


 そういえば――と、顔をあげた。


(そろそろ、東からの薬市が立つ頃だな。たしか、“サングリード聖教会”)

 内戦がひどくなる少し前。二十年ほど前から姿を消していたかれらも、少しずつウィズル(こちら)に戻りつつあるという。ディレイも話していた。国教に定めて保護し、定着を促そうかと。


「早く、そうなればいいよな……下手なヤブ医者よりずっと腕はたしかだし。無料で子どもに文字も教えてくれる……っと、いたいた。あれかな? おーい! ちょっと、そこの! サングリードのひと?」


 人混みを抜け、ヨシュアが小柄な司祭服をまとった人物の肩をたたく。――振り返る。


(わ……! 何、この子……聖職者……なのか!?)


 ヨシュアは口を開けたまま硬直し、さらに瞠目した。

 一方、呼び止められた若い聖職者――少女もまた、くっきりと驚きにみひらいていた。


 青い青い、宝玉のような瞳を。


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