104 欲しいもの
ウィズルの都は二ヶ所ある。アルトナとの国境に近い、元・東ウィズルの首都ターレン。国内ではもっとも緑深いとされる西側、山脈沿いの旧都ウィラーク。
十年争っていたとはいえ、都としての格は西が上、というのが国内の通説だった。
その王宮。
贅を凝らしたはずの重厚な石造りの城も、まるで重い枷のようだな――と、感じなくはない。
かれは、ため息に似た思いとともに、大した余韻もなく意識を浮上させた。
* * *
「陛下。……お目覚めで?」
台詞とは裏腹に、気安げに薄布の帳がひらかれる。
ディレイは昨夜遅くに帰城したことをあらためて思い出し、億劫そうに瞳を開けた。「あぁ」と短く応える。
声をかけた内侍の青年はてきぱきと室内を整えていた。窓を開け、風と光を通し室内履きを揃える。主人が脱いでソファーの上に放り投げたままの衣類一式を纏めて持参の籠に入れた。
「お食事をお持ちしますね。今日は天気が良さそうです。テラスになさいますか」
「……元気だな、お前は」
「長く留守になさっていた王がお戻りくださったのです。今、張り切らずにいつ張り切るんですか」
ふふっと小さく笑むかれは、今でこそ王宮勤めの内侍官だが、元はディレイとともに下町の路地で育った孤児仲間だ。
養父の前将軍は、自分を含め多くの子ども達を手元に引き取った。ともに学び、過ごした面々はそれぞれの適性を伸ばして内乱時代のディレイを支えてくれた。死んだものもいるが、生き残ったものの方が多い。
ディレイは再び目を閉じ、一呼吸ほどのわずかな時間を黙祷に捧げた。習慣だ。
「さて」
若く猛き将軍だった青年は観念して身体を起こした。きしっ……と、軽く寝台が鳴る。
寝起きとは思えぬ素早さで足を床に下ろすと、用意された室内履きを引っかけて傍らの上着を肩から羽織る。袖は通さない。
部屋を横切り、山と積まれた報告書の目立つ執務机へと向かった。
「朝食の準備が整ったら呼んでくれ。それまでこれに目を通しておく」
言うや否や、すでに一枚目を手に取り、同じく用意されていた硝子のピッチャーからこぽこぽ……とグラスに水を注ぎ、口許へと運ぶ。目線は書類上の文字を流すように追っていた。
王の幼馴染みと言える内侍官――ヨシュアは微笑んだ。柔らかな黒っぽい髪を短めに切っている。その、どこか少年っぽさを残したままの長い前髪越しに、人の良さそうな鳶色の瞳が細められた。
「御意。直ちに。――陛下」
洗濯物を一手に引き受けたかれが一礼し、ぱたんと扉を閉めて遠ざかる。
王宮内のそこかしこに満ちる、ひとの立ち働く気配。それらに無意識に耳を傾けつつ。
ごくり、と嚥下してディレイは眼前の書類をさばいた。
どれも留守中の城や周辺区域の動き。内政に関することだ。公として差し障りのない範疇からは出ない。夜中に叩き起こされることもなかった。火急の事態がないのは良いことだ。
概ね順調に、即位後の『国』は回せている。しかし――
『王』という稼業。
面倒で、重たいが誰かがやるべきことであり、当面自分以外の誰にも出来ない現状を鑑みる。
――つい、目が据わるなと自覚する。
(つまらんな。やはりこのままだと)
ディレイはしばし視線を紙上に留め、ゆるりと一人の少女を思い浮かべた。
彼女を手に入れるため、非公然で進める幾つかの案件について、手元の書面に対するものとは比較にならぬほど沸々とたぎる熱意を、しずかに傾けながら。




