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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 帰還

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100 幼馴染み、三人※

「すごい……今の凄かったね、レイン?!」


「えぇ。でも危ないですエルゥ様。もう少し下がって」


 赤い煉瓦を丁寧に積んだ近衛府庁舎には露台がない。そもそも独身騎士専用寮や事務方のものが詰めやすいシンプルな構造になっている。

 実直で機能的。

 ()つ、レガートに無駄な国土はないためか、与えられた区画を最大限に活かせるよう直線的な形状をしていた。

 練兵場を三方から囲む建物は、どれもほぼ箱っぽい形をしている。

 屋上は夜番の騎士が哨戒の訓練もできるよう等間隔で篝火が設置されており、今は黒ずんだ鉄の籠に燃やされる前の薪が放り込まれているだけ。

 ――秋風の爽やかな昼下がりなので。


 主従は、友人がかりそめの住居としていた東棟の二階、そのこじんまりとした応接室から試合を観戦していた。


 エウルナリアはずっと声援を送りたそうにうずうずしていたが、彼女が窓から身を乗り出しそうになるたび、ひやひやとした面持ちのレインが「だめですってば!」などと小声で諌めていた。


 昼前に到着し、ちょうど筆記試験に向かうところだったグランの背に『がんばってね! 実技が終わるまで待ってるから』と既に伝えているのだ。居並ぶ同僚達の手前、振り向いたかれの返事は『あぁ』だけだったが。


 これ以上の応援はかえって逆効果になりかねない――と、同性ゆえんの視点でレインは考えている。


 また、仮にも楽士伯家の令嬢が“特定の騎士見習いの昇進試験のためにわざわざ庁舎を訪れた”という印象を深めたくなかった。(これに関しては手遅れかもしれない)


 仕方ないな、と肩を落とした従者の少年は、勝利したグランに喜びと安堵を(あらわ)にする少女を背後から引き寄せた。ついでに窓際からも引き離す。

 ――端近(はしぢか)だと、他の騎士達の目に触れすぎるので。


挿絵(By みてみん)


 やさしく右手で髪を撫でつつ、左腕でほっそりとした身体を抱きしめると、主の少女はされるがままに重みと温もりを預けてくれる。


 反射でどうしようもない多幸感に包まれたレインは(しばら)くそれを噛みしめたあと、やんわりと着席を勧めた。


「……もうすぐグランが来るはずです。積もる話もあるでしょう? そろそろソファーで、お掛けになってお待ちください」


 言葉とは裏腹に、ぎゅうっと彼女を閉じこめる。

 やわらかく波打つ黒髪に口許を(うず)め、後半は落とし込むように吐息で囁くと、僅かだがふるり、と手の内の身体が震えた。

 ――途端に胸のうちで暴れる、膨れ上がるいとしさにくらくらする。


 色々と葛藤にくるしむ従者の内心は知らぬげに、エウルナリアは身じろぎし、ぽそっと呟いた。


「レインは座らないの? やっぱり立ってる?」


「それはもう」


 ――専属従者ですから、と、晴れやかな笑顔を浮かべる少年を困ったように見上げる。

 やがて、不承不承頷いた。


「わかったよ……ほんと、相変わらず頑固だなぁ」


 もう、(れっき)とした皇国楽士で独奏者(ソリスト)なのに、と。


 かれは成人なのだし、本来なら従者を辞めて生家やバード家から独立しても一向に構わないのだ。

 今はまだ学院の寮住まいだが、その気になれば芸術府庁舎の一角を占める皇国楽士寮に移り住むこともできるだろう。


 エウルナリアの婚約者候補であると、きちんと内外に発表すれば社会的な地位――主に貴族的な意味で――を、確立することもできる。

 にも(かか)わらず。


 レインの眉が意外そうに跳ね上がる。


「ありとあらゆる意味で。貴女にだけは言われたくないですね?」


 蕩けそうな笑顔で呟くあたり、かれもまた通常運転だ。


 お互いの唇が触れそうな至近距離。

 額を寄せあった主従は、ほのぼのと笑み交わした。




   *   *   *




「…………で? なんでそう、お前らはいちゃいちゃいちゃいちゃすんだよ。余人が居ても居なくても」


 わざとではない。きちんとノックもした。

 なのに、はからずも扉を開けた瞬間、二人の間に漂う甘い空気を察した赤髪の正騎士が正面の席に座し、うらめしそうに言い募る。


「ごめん……」


「僕は、謝りませんよ」


 対する主従の態度は正反対だ。エウルナリアはソファーで赤くなって縮こまり、レインは従者らしく傍らに立って両手を後ろに組み、しれっと言い放つ。

 グランはげんなりとした。


「相っ変わらず可愛くねぇなお前……男か女かもわかんねぇ(なり)してるくせに。言うこととやることが徹底して詐欺。この、外見詐欺野郎!」


「……一応、砂漠で既婚女性から言い寄られて危ない目にも遭ったんですが」


「え。何それ。もっと詳しく」


 コロコロと、坂道を下るように話が逸れて転がってゆく。エウルナリアは流石に口出しせねば、と焦った。


「ちょっとレイン! グランも。そういう話はあとで、私がいないときに……じゃなくて、あの……」


 しどろもどろと更に赤面する令嬢に、グランはくすりと微笑(わら)った。


 その、どこか大人びた表情に。削ぎ落とされ、精悍になった頬に会えずにいた月日をじわりと感じる。

 エウルナリアはつい、言葉を失った。



「おかえりエルゥ。――無事でよかった。ありがとな、レイン」


「いえ、グランも。このたびは正騎士への短期昇進、おめでとうございます。レガートの長い歴史を紐解いても初めてでしょうね。楽士で、騎士なんて」


 にやり、と見慣れた皮肉っぽい笑みが陽に灼けた片頬に浮かぶ。



 ――――……あぁ、グランだ。


 エウルナリアはようやく幼馴染みのつよい濃紺の瞳を見つめ、万感の想いを込めてやわらかく、花が(ほころ)ぶように微笑んだ。


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