『血浴の即位式』 序
新暦468年5月28日。ワルン公軍が帝都の南、およそ半日の距離に陣を敷いた。
これに対し、チャムノ伯率いる諸侯軍・傭兵からなる連合軍は、帝都を後背に守るようにワルン公軍と対陣。両軍ともに一定の距離を置き、静かに睨み合っていた。
まるで両者ともに、何かを待っているかのように。
そんな中、帝都では少し慌ただしくも厳粛に、即位式が執り行われる事となった。
2代皇帝らが社交の際に使用していた建物に貴族らが集まり、落ち着かない様子で幼い皇帝の登場を待っていた。
即位式が終わり次第、帝都から家族共々引き上げる……それが彼らの予定であろう。そしてそれは、宰相や式部卿ですら例外ではなかった。彼らも万が一、チャムノ伯が敗れた際に備え、自領に引き上げる準備をしていた。
ワルン公とチャムノ伯の戦い。帝国中が注目しているのはその一点であった。即位式に参加する貴族までも、その関心は皇帝の即位よりも戦いの趨勢にあった。
――傀儡である皇帝が即位したところで、今までと何も変わりはしない。
貴族どころか、帝都の市民たちですらそう考えていた。
後に『血浴の即位式』と呼ばれる即位の儀が、今始まる……
***
即位式の朝、帝都では雨が降っていた。
元々屋内で予定されていた即位式には影響ないが、近衛の配置が少し変わり、より会場に突入しやすい位置に移動したようだ。
……まるで俺に、追い風が吹いてるかのような錯覚をしそうになる。
今回、即位式が執り行われる建物は、宮廷の中でも北西の区画にある。四方を壁で囲われた区画なので、こちらとしても都合が良い。
俺は華美な装飾が目立つ服を着せられ、待合室のような場所で時間が来るのを待っていた。
「まぁ! とてもよくお似合いですこと!」
部屋に入って来た摂政がそう声を上げる。正直そのセリフは昨日の時点で散々聞いたんだが。
「ははうえ、ありがとうございます」
「あら、今日は体調も良さそうなのね」
「はい、おちついています」
この人は……自分の息子にグァンダレオが贈られていたことを知っているはずだ。にも関わらずこの態度とは、面の皮が厚いというか何と言うか。
「凛々しい姿は、あの人にそっくり。ねぇ、お父様」
「まこと凛々しき姿、爺は喜びのあまり泣きそうに御座いますぞ」
今部屋にいるのは摂政と式部卿だ。宰相はゲオルグ5世と共に、二人が来るまでこの部屋にいた。その時に贈られたマントを今身に着けている。金細工が多すぎて好みではないのだが。
「大事な孫の晴れ舞台。爺は最高の一品を御用意致しましたぞ」
そう言って式部卿は、控えていた従者から物を受け取ると、覆っていた布を取った。
「今日の為に、帝国一とも名高い職人に作らせた杖にございます」
それは魔法使いが使う杖ではなく、伝統的に王族などが持ち歩く杖だった。今の貴族や王族は大抵、元を辿れば魔法使いになる。その影響か、王族は権威付けの一つとして、装飾された杖を持ち歩くことが多い。
魔法使いの杖と違うのは、機能性が一切考えられていない点だろう。実際、宝石やら金銀やら無駄な装飾が多い。魔法を使うには、却って邪魔だ。
「まぁ! 陛下に相応しい一品ね」
「いかがでしょうか、陛下。お気に召しましたかな」
正直、全く好みではない。当たり前だ、この人たちは俺の好みなんて知らないのだから。
「うむ、余はうれしい。かんしゃするぞ、しきぶきょう」
「有難いお言葉、恐悦至極に御座います」
所詮、家族ごっこだ。まるで仲の良さそうに話す式部卿と摂政は、同じ派閥でありながら勢力争いをする人たちだ。血の繋がった親子であろうと関係ない。
そして式部卿は、俺の祖父を殺した。そして摂政も暗殺を命じたし、ヴェラ=シルヴィらを幽閉した。
正直、この人たちに同情の余地はない。殺されて当然の人たちだ。散々あくどい行為をしてきたのだから。
……皇帝として生きる俺もまた、同じことに手を染めるかもしれないのだが。
俺はそのまま、会場の準備ができたと伝えられるまで、その部屋で家族ごっこを続けていた。目の焦点を合わせないように、舌足らずの演技をして話す。
そんな皇帝を前に、朗らかに談笑する二人。人によっては狂気すら感じるんじゃないかな。あるいは、これが二人にとっては普通なのかもしれないが。
……そして、そんな二人を殺そうとしている俺もまた、狂っているのかもしれない。
それがこの手で直接なのか、あるいは処刑台の上でなのかはまだ分からない。けど殺すのだ、血の繋がった人間を。
……まぁ、別に迷ったり後悔したりはしないんだけど。
今日の即位式は通過点だ。こんな所で躓くつもりは無い。
***
遠くで楽器の演奏が聞こえる。トランペットのような音と、太鼓の音も聞こえるだろうか。会場に近づくにつれその音が大きくなっていく。
俺はティモナと摂政に両脇を支えられ、会場に繋がる渡り廊下をゆっくりと歩いていた。
摂政がご機嫌なのはまだ分かる。この後何が行われるか分かってないし、自分の息子が正式に即位すれば今よりも権力が集まるくらいにしか思っていないんじゃないだろうか。
だがティモナもまた、驚くくらいに落ち着いていた。涼しい顔をして、平然としている。そこで俺はようやく、自分が少し緊張していることに気がついた。
思わず苦笑が出そうになり、そっと堪える。
俺が緊張してどうするんだ。失敗は許されないっていうのに。
扉の前に辿り着くと、摂政が離れて会場内に入っていった。そしてしばらくすると演奏が止まり、静寂が訪れた。
「陛下」
「最終確認だ。何か問題は?」
「問題は御座いません。ですが、両公が帯剣しております」
あぁ、そうか……
「……分かった、俺がやる。サロモン卿には伝えたな?」
「はい」
ティモナがそう返事をしたところで、中から声が聞こえた。いよいよらしい。
「陛下……ご武運を」
「あぁ……行くぞ」
ティモナの手によって、扉がゆっくりと開かれた。
※※※
「どういうつもりだ、ヴォデッド伯」
ニュンバル伯ジェフロワ・ド・ニュンバルは、隣で一切動じない宮中伯を睨みつけた。会場では皇帝が玉座に座り、帝冠を持ったアキカール公、ラウル公の両名がゆっくりと、階段を一段ずつ進んでいた。
「どう、とは?」
「卿のこれまでの動き、あの両公爵の凶行を止める為ではなかったのか」
警備隊を動かすよう要請を受けた時、ニュンバル伯はヴォデッド宮中伯の狙いをほぼ正確に察していた。その上で許可を出したのだった。自分に詳細を伝えないのは少しでも発覚するのを防ぐため、つまりそれだけ本気なのだと考えたのだ。
「あの帝冠が載せられてしまえば、両公の覇権は約束されたような物。なぜ卿は動かぬっ」
帝冠を載せた者は、皇帝の後見人として認められることになる。そうすればこれまでの専制も全て正当化されるであろう。ニュンバル伯の目には、これが彼らを止める最後の機会だった。にも関わらずヴォデッド宮中伯は動かない。
「裏切ったのか、この期に及んでっ」
「落ち着かれよ」
ヴォデッド宮中伯の視線の先には、ちょうど最後の一段を上り終えた二人の公爵と、焦点の合わない目で先ほどから宙を眺め続ける皇帝の姿があった。
「落ち着かれよ」
もう一度、ヴォデッド宮中伯はそうニュンバル伯に語り掛けると、今度は小さく微笑んだ。
「そしてその目に焼き付けなさい……これが帝国の夜明けです」
その言葉につられ、ニュンバル伯もまた玉座に視線を向けた。
――そして光が、煌めいた。
***
玉座から眺める光景は、正しく豪華絢爛と呼ぶに相応しいものだった。
この玉座と言い、会場の装飾と言い、まるでこの国が豊かで富んでいるかのような錯覚を覚える。まぁ、この装飾の大半は宰相や式部卿が貸し出した物なんだけどな。
会場に詰め掛けた貴族たちは、大抵は伯爵号の貴族からのようだ。当初は両派閥が少しでも陣営を大きく見せるために下級貴族まで参加させようとしていたのだが……会場に入りきらないことが分かり、この人数に落ち着いたらしい。お陰で、後で宮廷とは別に貴族街まで制圧しなければならなくなった。
とは言え、玉座の位置からは一人一人の顔が判別つかないくらいには人が集まっていた。そういえば転生してすぐ、似た光景を見た気がする。あの時は確か、思わず泣いたっけ。
玉座の前には、緩やかな階段が数段あり、その下では宰相と式部卿の二人が帝冠を抱えたところだった。そしてゆっくりとながら、着実に二人はこちらに近づいてくる。
いよいよだ。本来であればもっと段取りがあるはずだった。それらをすっ飛ばしているのは急いでいるせいだろう。何せ帝都から半日の距離に敵軍が来ているのだ。気が気ではない。
近くに控える宰相か式部卿の従者らしき人物の手には、羊皮紙が抱えられていた。おそらく俺の頭に帝冠を載せ次第、勅令として「ワルン公を国賊とする」と宣言させる為の用意だろう。
また一段、階段を上った二人の腰には、ティモナの言う通り確かに剣が携えられていた。
今回、俺たちは状況に応じていくつかの作戦を立てた。
例えば、仮に誰かが会場内に魔道具を持ち込んだ場合。当然だが会場には「封魔の結界」の魔道具が起動している。だが魔道具によっては、その状況下でも使用可能だ。そうなると、その魔道具は会場を制圧する際に「不確定要素」となり得る。
よってこの場合は、サロモン卿に「封魔の結界」を展開する魔道具を停止してもらった上で、俺が一時的に魔法で会場を制圧。その間に近衛と共にベルベー王国の魔法使い部隊にも急行してもらい、会場を完全に制圧下に置く予定だった。
こうすれば、俺が魔法を使えることは発覚しても「封魔の結界内でも魔法が使える」ことは切り札として隠し続けられる。
そして、それらの作戦の中には、ラウル公とアキカール公が帯剣していた場合に備えたものもあった。
ブングダルト帝国の『即位の儀』は皇帝以外、帯剣が許されない。だが現在、圧倒的権勢を誇る二人ならば、その規則は堂々と無視される可能性もあった。
そしてその恐れは現実となった。
あの剣は、俺に対しての備えではないのだろう。間違いなく隣にいる相手を警戒しての物だ。散々政敵として争ってきた二人は、いくら共通の利益の為に一時的に手を結んだとはいえ、そこまで信用しきれなかったのだろう。丸腰で隣を歩くことを警戒し、帯剣してしまった。
玉座の脇には宝石が散りばめられた丸机が置かれており、その上にはさっき贈られた杖と、その隣に紫の布に包まれた『聖剣未満』……帝国儀礼剣と入れ替えた例の剣が並べられている。
今この会場にいる人間で、武装しているのは三人。目の前の二人と、そして儀礼剣が手に届く範囲にある俺だけだ。
だから……俺がやるしかない。二人が武装している以上、制圧の妨げになる。失敗が許されないこの場で、そのような危険は排除しなければいけない。それがこの作戦の、開始の合図になる。
とうとう二人が目の前に来た。儀礼に則り、二人は深々と頭を下げた。
俺は二人の視線が外れた隙に、机の上の儀礼剣に手を伸ばした。そして警戒されないよう、ゆっくりと玉座から立ち上がる。
二人と目が合った。その目は驚きのせいか、大きく見開かれていた。
俺は剣の柄を、強く握りしめた。
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