茨公女ナディーヌ
「貴方の歪んだ性根を叩き直して差し上げますわ! 私を遣わしたお父様に感謝なさい!!」
帝国に残る中立派貴族の中で、最大の領地を持つワルン公、リヒター・ドゥ・ヴァン=ワルンの娘、ナディーヌ。自他ともに認めるファザコンである。
そんな彼女が俺のとこへ来て、俺の顔を見て、発した一言目がこれである。
しかも宰相派・摂政派貴族がいる前で。
ワルン公は何てもの送りつけやがるんだ。
***
ワルン公は南部国境に領地を持つため、宮廷とはあまり関わりを持たない。『武』の家系であり、その領地はラウル公領の5分の1程度ながら、軍事力は「ラウル軍に匹敵する」と言われている。
俺にとって、実権を握る際に味方になってくれそうな貴族であり、味方にしたい貴族である。
そんな公の娘、ナディーヌは俺の一歳年下だが、初めて会った時から、こうして会うたびに俺に突っかかってくる。プライドが高く、口が悪く、怖いもの知らず。巷では『茨公女』とか言われているらしい。
はっきり言って、めちゃくちゃ対応に困る。
いや、別に見下されるのも罵倒されるのも何とも思わない……というかむしろ、この娘は揶揄うと面白いなぁと思うくらいなんだが。
問題は、傀儡の皇帝としては怒らなければ不自然なことである。散々、「気に食わない」と癇癪起こしてきたからな。
だが演技でも、ここで俺が癇癪を起した場合、ワルン公の立場は極めて悪くなる。
宰相も式部卿も武人として名高いワルン公を警戒している。だからジャン皇太子が戦死したとき、その場にいなかったにもかかわらずワルン公から元帥号を剥奪した。
ここで俺が癇癪を起せば、それを理由に嬉々としてワルン公を叩くだろう。だが癇癪を起さないのはあまりに不自然。
マジで何でコイツを送り込んできたんだよ……思うにワルン公は政治が下手だな。
俺が困っていることに気づいたのか、ティモナが貴族らに聞こえるように耳打ちしてくる。
「陛下。彼女は陛下より年下でございます。幼いのでこのような態度も仕方ないかと」
あーなるほど、その設定でいくのか。確かにそれが良さそうだな。
だが当然ナディーヌにも聞こえており、口を挟んでくる。
「たった一歳差よ!!」
うるせぇ、後でいくらでも付き合ってやるからちょっと黙っとけ。
「そうじゃの。うむ、その幼さに免じて許そうではないか。余が大人で助かったの」
「んなっ!」
ナディーヌが顔を真っ赤にしている。そして貴族たちが俺を見て「どの口が大人って言ってんだ」と突っ込みたそうな表情をしている。
いやぁ、実際中身は元大人だしね。肉体年齢に精神年齢が引っ張られ、幼くなってる説はあるけど。
また何か言おうとしたナディーヌに向け、ティモナが殺気を飛ばしながら目を細める。
不穏な空気にようやく気づいたナディーヌは口を閉じた。元元帥の娘だから殺気も感じ取れるのかね。出来ればそれ以前に空気を読んでほしいけど。
あとティモナさんや。君の殺気は俺にも効くから止めてもらっても良いですかね。
***
なんとその日から、ナディーヌは宮廷に居座りだした。
何故か異様な使命感に燃えている。
例えば、講義をサボろうとする俺をどうにか受けさせようと、俺の部屋の前に立ちふさがってたり、事あるごとに剣の稽古をつけようと、木刀を持ってきて「かかってきなさい!」って言って来たり。
皇帝を真っ当にしようという意思は感じるんだが、全部余計なお世話なんだなぁ。
だいたい子供に勉強させたいなら煽てておけばいいと思うんだよ。なんで上からしか言えないかなぁ。
「これを読みなさい!」
ほら、例えばこうやって本を読むよう強要してくる。ちゃんと貴族の初等教育で使われる教科書だから言ってることは正しいと思うんだ。普通の子供はそれを読んで学ぶからね。
言ってることは正しいんだが、言い方と状況判断が悪すぎる。
皇帝にその言い方はダメだ。俺を傀儡としてしか見ていない宰相や式部卿、そして実の親ですら俺への言葉遣いは気をつけるのだから。だいたい侍女がいる前で、俺がその話に乗る訳ないだろう。
いや、根は良い子だと思いますよ?
「なんじゃ、余がそれを読んでいないと申すのか?」
「えっ……そう、読んでるの……その、ごめんなさい」
うんうん。ちゃんと自分が間違ってると思ったら謝る姿勢は良いと思います。あとは言葉遣い直せればなぁ。
てか素直すぎだろ。
「うむ。まぁ読んでおらんが」
ナディーヌはキョトンとした表情を浮かべた後、自分が揶揄われていると気づき、声を荒げた。
「またそうやって馬鹿にしてっ!」
こいつやっぱ面白いわ。
隣のティモナにそういう含みを持たせ目配せする。が、肝心のティモナは目を細めナディーヌを睨み付けていた。
……そこは年下を揶揄う俺を咎めるべきなんじゃない? なんか張り合いが無い。残念。
ちなみに帰れと言ったら「貴方に指図されるいわれは無いわ!」と怒鳴られました。いや君の滞在費、帝国持ちなんだけど? ただでさえ国庫空っぽなんだから少しは自重してくれないかな。
……まぁ、子供にはわからんか。
***
夜行われる剣術や護身術の稽古。これは大抵、空が明るくなる前に終わる。この世界、既に時計はあるが、そこまで普及してないせいか、「明るくなったら起きる」生活が基本的な生活になっている。
あぁ、俺が起きる時間はもっと遅いよ。ただ人が動き出す時間だから、訓練を終わらせ音を立てないようにしている。
前世以上に夜型の生活してるなと自分でも思う。
今日もいつも通りの時間に稽古が終わり、ヴォデッド宮中伯は帰っていった。起床の時刻まで魔法の練習でもするかと考えていたところ、側仕人のティモナに声をかけられる。
「起床後は入浴でよろしいですか」
「あぁ、頼む」
ティモナの仕事は寝ずの番・毒見役だけでなく、元々家令がやっていた仕事まで含まれる。つまり、侍女に指示を出すのもティモナの役割だ。正直働きすぎだと思うし、定期的に休むように言っているんだが、本人曰く「無理ない範囲で」働いているらしい。
……突如、溜め込んできた鬱憤を爆発させるなんて事にならないよう、俺はただ祈るばかりである。
仕事を奪われた形になっている家令のヘルクだが、どうやら不満は無いようだ。何せ、未だに「貴族との取次」は彼の役割である。式部卿など摂政派の一部貴族はティモナを取次にするようになったとは言え、大半の仲介料は彼の手元に入る。
元々、家令の仕事に誇りを持っているタイプじゃなかったからな。 ……それが皇帝の家令ってどうなの。
ちなみに、侍女たちが起きている時間ならいつでも入浴可能である。さすが皇帝。
「あぁ、それと陛下」
普段は必要事項以外、自分から話さないティモナが珍しく話し出す。
「何だ?」
「ワルン公女の侍女が外部と連絡を取っております」
ナディーヌは勝手にこの宮廷に居座っているとは言え、お姫様だ。自分の身支度は自分でできない。かといって「宮廷の侍女(つまり他家の貴族の娘)に世話になるのは迷惑だろう」ということで、数人の侍女がナディーヌと一緒に宮廷に入った。
……というか、むしろその侍女がメインだったか。ナディーヌの「俺の性根を~」は建前で、目的は宮廷内の情報を流す為の侍女を配置することが目的だった?
いや、何か違和感があるな。ちょっと真面目に考えてみるか。
まず、ナディーヌは俺のように演技ができるタイプではない。俺自身がよく演技しているからな。そこの判断には自信がある。
ではワルン公が自分の娘を謀る人間かと言うと、これも否だ。何度か会って話したことがあるが、ちゃんと娘に愛情を持つ真っ当な父親だった。
そもそもワルン公は中央から積極的に距離を取ることで『自家の安全』を確保した可能性もある。
ジャン皇太子の戦死の責任を取らされ、元帥の地位を奪われたと言われるワルン公だが、もし本当に「戦死の責任」があったなら、元帥号剥奪程度で済む話ではない。無論、宰相らがワルン公の軍事力を警戒してその程度の処罰で妥協したという線もある。
だが元帥号を奪われたことで、「皇太子を死なせた」という汚名が「ワルン公爵家」にはついてしまっている。家の『名誉』を重要視する貴族にそのような処罰をすれば、抗議・反乱等を起こされてもおかしくない。それにワルン公爵の場合、反乱に成功する可能性だってあるのだ。
そんなリスキーな行動をあの宰相らがするだろうか。今ワルン公は中立の立場だが、相手派閥に流れる可能性だってあったのだ。
だが事実としてワルン公は既に将軍ではない。ということは……彼はむしろ、自ら進んで返上したのではないか。
あの時期、宮廷の政情は間違いなく不安定だった。自身が渡り上手ではないことを知っているワルン公は、自らこれ幸いと距離を取ったと言われる方がしっくりとくる。
そんな公爵が、今になって危険を冒して政治に関わりに来る? それはおかしいだろう。
となると、ワルン公とナディーヌの考えは一致していると考える方が自然だ。つまり、俺の現状を嘆きまともな皇帝にする為に危険を冒して中央に復帰しようとしている?
だが本当にそれだけならば、ワルン公が直接俺の元に来ればいい。派閥の目を気にするなら臣下や配下の貴族でもいいが。少なくとも、わざわざ娘を送り出す理由にはならない……ましてや俺の噂を知っているなら尚更。何せ癇癪を起して貴族を指さし「殺せ」を連呼した人間だぞ?
つまり間に入って情報を歪めている人間がいる?
それがワルン公の臣下や他の帝国貴族ならまだいい。内部の争いが起きるだけだ。だが……それがもし他国の手だったら?
そうだ。ここは宮廷なんだ。なんで気づかなかったんだろう。
ずっと宰相派や摂政派にだけ注意を向けていた。それは彼らが常に争っているから。
……そんな荒れた宮廷、他国の間諜にとって絶好の狩場じゃないか?
あぁ、そうか。ヴォデッド宮中伯の配下が屋根裏にいるのは、他国の諜報対策か。
……ということはつまり、だ。今回の件は、宮中伯の防諜網を逃れるためにどこかの勢力が、ナディーヌの侍女を介して情報を手に入れようとしている?
「ティモナ。外部勢力が介入している可能性がある。念入りに調べるよう宮中伯に伝えられるか? 可能な限り速やかに」
「……かしこまりました」
問題はどこが出てくるかだが……完全に報告待ちだな。
いつも読んで下さりありがとうございます!
2020/1/11 ワルン公について設定変更(元将軍兼元帥→元元帥)により一部修正。




