新章プロローグ
ロコート王室の旗を掲げた集団が、その倍以上の帝国兵に囲まれながら、一路帝都を目指して街道を進んでいた。
総勢五十騎の騎兵と、三台の箱馬車……彼らは帝国との講和交渉を担う、外交使節の一団であった。
彼らの目的はブングダルト帝国とロコート王国の戦争を終わらせることであり、そしてこれは皇帝カーマインの意に沿うものであった。よって、この使節団が帝国領において、何かしらの襲撃を受ける可能性は極めて低い……が、無いとも言いきれなかった。この時代、街道に傭兵崩れが出ることは珍しくなく、そもそも全ての貴族が君主に従うとも限らない。
帝国には、若き皇帝を快く思わない貴族も多いのである……もっとも、全ての貴族に支持された皇帝など、過去一人も存在しないのだが。
故に、護衛に就くロコート兵たちは、帝国の精鋭兵に守られているこの状況であっても、一瞬たりとも気を抜くことはできなかった。
いや、あるいは帝国兵に囲まれているからこそ、と言えるかもしれない。彼らとはつい先日まで戦場で戦っていた……もし帝国兵が裏切り、この使節団に襲い掛かれば、全滅は免れないだろう。
帝国兵の中には、戦場で知人を失った者もいるかもしれない。そんな兵士が、感情のままに暴挙に出ないとも限らない……ロコート兵がそういった想像をしてしまうのも無理はない。
警戒、恐怖、緊張……そういった兵士らの空気感は、彼らの護衛対象……使節団の代表ら三人が乗る馬車の車内にも、はっきりと伝わっていた。
「この空気の重さ……まるで捕虜にでもなった気分ね」
窓枠に片肘をつきながらそう小さく呟いたのは、マリアナ・コンクレイユという成人したばかりの女性であった。幼い頃から大人顔負けの才女として名を馳せた彼女は、その整った容姿も相まって、ロコート国内では「社交界の華」と呼ばれていた。
もっとも、切れ長の目と整った顔立ちからは誰もが「気の強そうな人物」という印象を受け、またその外見通りの性格をしていた為、同世代の子供からはあまり人気が無かったのだが。
そんな彼女はこの使節団の主要人物の一人であり、ロコート国内では英雄とも名高い名将、ウード・コンクレイユ公爵の孫娘でもあった。
このウード・コンクレイユという名は、ロコート王国に限らず、帝国においても有名である。それはかつて帝国との戦争において将軍の一人としてロコート軍を率い、帝国軍を幾度となく苦戦させた男だからだ。
またコンクレイユ公爵家自体も名門貴族であり、ロコート王室とも関係が深い。そのため、前回の戦争においては講和の際にウード・コンクレイユが国王の名代として派遣されていた。そんな英雄の孫娘であるマリアナ・コンクレイユは、少し若すぎるものの、帝国との講和を担う使節として相応しい人物の一人と言える。
そんな彼女の独り言を、同乗者の一人が拾い上げた。
「いいえ、お嬢様。護送中の捕虜はこれほど気を張りません。個人ではどうしようもない状況故に、諦めがついているからです」
その男はビリナ伯爵、オタ・ビリナ。老境に差し掛かるこの男は、使節の一人であると同時に、ウード・コンクレイユによって付けられた目付け役のようなものであった。
ビリナ伯家はコンクレイユ公家と同じくらいの歴史を持つロコート貴族であり、またコンクレイユ公に忠誠を誓う重要な家臣の一人でもある。そんな彼はマリアナ・コンクレイユが生まれた頃からの知り合い、それどころか彼女の教育を担った一人でもあった。
「もうあなたのお嬢様ではないわ、ビリナ伯。昔のように知らないことを教えてくれるのはありがたいのだけど、呼び方だけは改めて頂戴」
「これは失礼致しました、マリアナ様。不思議とかつて教鞭を取らせていただいた頃を思い出してしまいまして」
それは片肘をつくマリアナの姿勢が、淑女に相応しくないという指摘……というより、小言であった。
実際、それは彼女が教育を受けていた頃には幾度となく繰り返されてきた光景であった。一を聞いて十を知るような聡明な少女ではあったが、同時に表裏の激しい人物であり、そしてオンオフの切り替えが非常に上手かった。
社交の場においては完璧に振舞ってみせるくせに、心を許した相手には淑女らしからぬ態度を取る。それがマリアナ・コンクレイユという少女であった。
それが外部の目に触れないところであれば、ビリナ伯も指摘しない。しかし今は、馬車の外に兵士が大勢控えていた。中を覗けるような距離にはいなくとも、それでも注意するべきなのは確かだ。
もっとも彼女は、そんな指摘を素直に聞き入れるような性格ではなかった。
「あら、じゃあこうしたら昔は思い出さないかしら」
マリアナは笑顔を浮かべると、隣に座る男……もう一人の同乗者の腕に自身の腕を絡ませ、その肩にもたれ掛かった。
「……それで僕が睨まれるのは理不尽じゃないかなー」
寄りかかられた男の名前はハロルド……ロコート王の第四王子にして、マリアナ・コンクレイユの夫であった。つまり、このハロルドが今回の使節団の代表であり、ロコート王の名代である。
その外見は妻であるマリアナと正反対……よく言えば温厚、悪く言えば気弱であり、その性格もそれほど外見からは乖離していない。名声も無ければ実績、実権などがある訳でも無い彼は、国内の平民からは存在すら認知されていなかった王子である。彼が帝国に対する講和の使節に決まった際は、多くの貴族が「頼りない」として反対したのも自然な流れであろう。
ちなみに、もっとも強く反発した人間の一人がビリナ伯だったりする。
「まったくもう……こうして王太子になれたんだから、いい加減認めなさいよ」
そして伯爵が反対したのは、使節の件だけではなかった。
「それもいつまで続くか……そもそも、なぜ閣下はこの結婚をお認めになられたのか」
この伯爵は、二人の結婚自体にも反対だったのである。早い話、自分の孫娘のように大切な「お嬢様」を任せるのに、このハロルドという王子はあまりに頼りないのだ。
そんな伯爵の呻き声のような言葉に、乾いた笑いをするだけのハロルド……それがさらに伯爵の神経を逆撫でる。
武人気質のビリナ伯からしてみれば、陪臣に過ぎない自分のあからさまな態度に対し、正面から無礼を咎めるくらいの気概が欲しいところである。しかし王子はへらへらと笑って流すだけなのだから、二人の相性は最悪と言っていい。
「王太子として初めて任された公務。それも帝国との交渉役という重要な役割を任されたのです。もう少し自覚を持ち、相応の態度を……」
「任されたって言っても、他の王子が逃げた結果の、貧乏くじを押し付けられたようなものよ。失礼なことに、王宮じゃ私のおまけ扱いだし」
マリアナの言葉通り、王子であるハロルドはこの使節団の飾りのような扱いであり、父親である国王からも全く期待されていないのである。反対に、国王はマリアナの才能に惚れ込んでおり、彼女を帝国との交渉役に引っぱり出すために、夫であるハロルドを代表に据えたのだった。
「事実、そうとしか思えません」
そうきっぱりと言い切るビリナ伯。やはり王子に対しかなり失礼な物言いだが、別に彼もハロルド王子を憎んでいる訳ではない。彼には王子として、致命的な欠点があるのだ。
「仕方ないよ、僕は庶子だからー」
***
第四王子ハロルドは、本来は継承権すらなかったはずの男である。というのも、彼の母親はロコート王ヴァーツラウ三世に気に入られた、ただの平民だったからだ。本妻どころか側室ですらない彼女が生んだハロルドは非嫡出子、あるいは婚外子と呼ばれる存在であった。
ハロルドは本来、王の子供として認知されず、継承権も与えられないはずだった。帝国においても、カーマインより前に生まれた異母兄……侍女が生んだ男子は、継承権が与えられていなかった。こういった扱いは、各国の常識と言っても差し支えなかった。
ところが、ハロルドの母が亡くなったことで事情が変わる。表向きには病死ということになっているが、急死だったこともあり、多くの人間が暗殺を疑った。特に、王の寵愛を受け続けた彼女に嫉妬した王妃が暗殺したのではないか……という噂は、宮廷のみならず市民すらも口にするほど有名になってしまった。
そして何より、この噂を最も強く信じたのがヴァーツラウ三世、その人であった。王は愛した女性と自分の間に生まれたこの幼子を守ろうと、継承権を与えたのである。
認知されていない場合、殺しても「王の一族」を殺した罪には問われない(殺人は殺人として罪である)が、継承権の与えられた王の子供であれば、それを殺した者は「王の一族」を殺した罪に問われる。罪の重さが比較にならないほど大きく変わるため、暗殺されるリスクが下がると考えたのだろう。
こうして、ハロルドは「庶子」として第四王子になったのである。
だが同時に、その決定はハロルドの過酷な少年時代の始まりであった。
確かに、暗殺はされなかった。その代わりに彼を待ち受けていたのは、兄弟からの執拗ないじめであった。
母親が平民のハロルドには、ただでさえ貴族社会で後ろ盾となる存在がいなかった。そして母親は既に亡くなっており、ハロルドを守ってくれる人間は誰もいなかったのだ。
何より、ハロルドの存在は兄弟たちにとって明確な脅威であった。彼らの母は王の寵愛を失い、それどころか暗殺犯ではないかと疑われている。一方でハロルドは王の寵愛を受けていた平民の子である。王がどちらを可愛がるかは明白であった。
今は父王も慣習に従っているが、いつ彼が慣習と貴族の反対に逆らい、この異母弟を王太子に指名してもおかしくない……異母兄たちがそう考えるのも至極当然であった。彼らは自分たちの継承権を守るためにハロルドを徹底していじめ続けた。様々な手段で彼を社交界から遠ざけ、彼が不在のパーティーでは彼の悪評を吹聴する。貴族が会話の機会を持とうとすれば、ハロルドが貴族の後援を得てしまわないよう邪魔をする。
私物はほとんど奪われ、兄弟たちから下働きのような扱いを受け、時には暴力を振るわれることも珍しくなかった。
その結果が「気弱な王子、庶子王子ハロルド」である。何を言われてもヘラヘラと笑って受け流し、異母兄たちから殴られても罵倒されても、一度も反抗しない従順な王子となった。王族らしさとは無縁の、誰からも期待されない庶子。
そしてそんな姿は、ヴァーツラウ三世の好みでは無かったらしい。
……そもそもハロルドがこのような境遇になったのは王の浅慮が元凶であり、また息子たちの過剰ないじめについても王が止めるべきであった。つまり、ハロルドが「気弱な」と形容される原因は王にあるのだが、それが理解できるようであれば、その治世において幾度となく失策を犯すことは無かっただろう。
本人に何の魅力もなく、関係を深めればそれだけで他の王子らの不興を買う……その上、王も興味を失った王子。そんな彼と関わろうとする貴族はいなかった……たった一人を除いては。
時が流れ、一人の女性が成人する。
その女性は幼い頃から才女として有名ではあったが、他の貴族令嬢とは違い男を立てるようなことはしなかったので、同世代からは人気が無く、舞い込んでくる婚姻話は祖父と同世代の貴族からの後妻としてのオファーばかり。
そんなのは御免だと断り続けた結果、婚約者のいないまま成人してしまったのである。
しかし彼女の才覚は確かであり、彼女を王室の一員として迎え入れることができれば、必ず自分の助けになってくれると考えた王は、息子たちに求婚するよう勧めた。こうして、四人の王子から求婚されたこの女性は、もっとも見すぼらしい格好をして、もっとも安価な贈り物をした王子……庶子の第四王子を結婚相手に選んだのである。
お伽噺なら美談かもしれないが、ビリナ伯からしてみれば堪ったものでは無かった。
結婚しても何のメリットのないどころか、他の王子らを敵に回すという、致命的な欠点を抱えた王子を、よりによってマリアナは選んでしまったのだ。
伯爵の反発は、つまるところ主君を心配する純粋な反応である。
もっとも、今回の帝国との戦争の結果、その辺りの事情も大きく変化したのだが。
「でも兄上たちと対立したことは、結果的に非主流派貴族と繋がる契機になったしー。宮廷に復帰する足掛かりになかったでしょー。悪いことばかりじゃないよー」
前回の帝国との戦争の後、高まり過ぎたコンクレイユ公の名声をロコート王は警戒した。
それを察したコンクレイユ公は、自発的に軍の指揮権を返上し、国王の相談役という実権の無い名誉職となり、実質的に隠居する形になってしまった。
それから十年以上、王国は平和であった。帝国には内部崩壊の兆しが見え、アプラーダ王国、ベニマ王国との同盟関係も安定していた。王太子だった第一王子は正妻をアプラーダ王室から迎え入れ、ロコート王の娘はベニマ王室に送り出していたからだ。コンクレイユ公自身も、動く必要が無ければ隠居生活のまま余生を過ごそうと考えていたほどだ。
だが、皇帝カーマインの『即位の儀』の頃から事態は急展開を迎える。帝国は急速に一つにまとまり始め、自分たちと繋がっていた帝国貴族も皇帝側へと寝返った。そして力を取り戻し始めた帝国に恐怖したロコート王国の宮廷では、先制攻撃によって帝国に打撃を与えることが既定路線となってしまった。
だが、それが現実的ではないと考えたコンクレイユ公とマリアナは、王国の生き残りをかけて派手に動き始めた。第四王子との結婚もその一環であった。
それまでのロコート王国の宮廷の状況は、第一王子、第二王子、第三王子それぞれを支援する貴族によって、帝国や皇国とは比べるまでもなく小規模なものの、確かに政争が行われていた。
この頃の第四王子は「論外」の存在であった。だが、この派閥争いにそもそも参加できないような弱小貴族が、ロコート王国には一定数存在した。宮廷に発言権を持たない彼らを糾合し、その旗印として第四王子は担がれたのである。
とはいえ、元々宮廷での発言権のない集団であり、そのままでは政局に大きな影響を与えるような脅威ではなかった。
だがこの第四王子の動き(本人は担がれただけだが)の動きに過剰に反応した三人の王子は、主流派の主張する「帝国への先制攻撃」をより強く支持した。主流派貴族の目論見通り帝国との戦争に勝利すれば、第四王子と非主流派の発言力は無に帰し、派閥として再起不能になる……そう考えたのだ。
しかし、かつて帝国を苦しめたコンクレイユ公の深謀は、政争においてもその力を発揮した。主流派貴族のうち、今後も王国に必要と思われる優秀な者たちは同盟国への援軍に向かわせ、不要な連中は帝国軍との会戦に参加させることで謀殺したのである。
戦う前から自軍の敗北を予見しただけでも尋常ではないが、何より恐ろしいのはコンクレイユ公が直接命令を下したわけではないという点であろう。
時には正反対の主張をし、時には戦術的に真っ当な道理を説き、主流派貴族らが自発的にそう決断するよう仕向けたのである。結局のところ、宮廷で発言力のある貴族というのは、国内有数の有力貴族であり、彼らが開戦を主張した時点で、自身の兵を動員して前線へ向かうのは自然なことであった。
コンクレイユ公がやったことは一部の人員を入れ替えるよう王に助言した程度。それも最終的に命令を出したのはヴァーツラウ三世だ。
そうしてロコート軍は歴史的な大敗を喫した。それに動揺したヴァーツラウ三世を、今度はマリアナが動かし、庶子に過ぎなかった第四王子ハロルドを王太子に仕立て上げたのである。
方法は単純。このままでは、多くを失い追い込まれた貴族はこの敗戦の責任を求めるだろう。その中には、王が開戦を止めなかった(というより、ヴァーツラウ三世は勝利を楽観視する諸侯の言葉を鵜呑みにし、自身の名声欲しさに積極的に開戦を支持していたのだが)として王を批判する者も出てくるのでは……と危機感を煽り、「国家のために王の威信を守るべく、敗戦の責任は開戦を支持した王子たちに取らせるべきではないか」と提案したのである。
……悪く言えば、唆したのである。
こうして三人の王子の発言力は低下し、特に王太子だった長男は失脚した。
その後、帝都へ向かう使節を誰にするかという議論になった際、さらに発言力が低下するリスクを恐れた王子たちはこれを辞退した。実際、常識的に考えれば帝国との交渉は困難を極めるだろう。王国は敗者であり、さらに帝国には王国と違い余力が残っている。
そんな貧乏くじを引きたくないと、彼らが考えるのも真っ当である。
その結果、繰り上がるようにしてハロルドは王太子になった。そしてこの難題を押し付けられたのである。
***
「……結果的に王太子になれましたが、これは皇帝や皇王と交渉する際、王太子くらいの肩書きがあった方が良いという、それだけの理由です。陛下も一時的な立太子だと明言しておられました」
この時点でも、ハロルドは出自から鑑みれば成り上がった方である。とはいえ、彼が王太子として盤石かといえば全くそうではなく、むしろ今回の件は王都から上手く追い出されてしまったと考えることもできる。ハロルド一行が帝都にいる間に、挽回を狙う王子たちは、王都であらゆる策略を練っている。
その上、この帝国との交渉で少しでも失敗すればハロルド一行は即座に失脚するであろう。とはいえ、その点は伯爵もそれほど心配はしていない。それだけ、マリアナの力量を高く評価しているからである。
「私が言いたいのは、別に第四王子である必要はなかったということです。第二王子や第三王子の派閥を乗っ取り、第一王子の対抗馬に担ぎ上げることは容易かったはずです」
「それ僕の前で言うのー?」
伯爵からしてみれば、マリアナほどの実力があれば、何の後ろ盾のない第四王子ではなく、第二か第三王子の支持基盤ごと自分のものにできたのではないか、と言いたいのである。実際、ここまでは上手くいっているが、国内において主要貴族のほとんどと敵対している現状はあまりにリスキーであった。
「閣下が病床に臥している今、国内でこれほど孤立しては、先行きが不透明すぎます」
伯爵の言葉は確かに正しい。マリアナたちはあまりに急速に、国内に敵を作り過ぎている。彼女が第四王子を選ばなければ、もう少し上手く立ち回れたのではないかと疑問に思うのも不思議ではない。
「あなたもしかして、今まではお爺様の手前文句言うの我慢してたの?」
狂信的な忠誠心だこと、と呆れながらもマリアナは反論する。
「それは最初からハル一択だったわ。第一王子と第二王子は既に正妻がいたし、第三王子は第一王子との関係が深すぎた。何より、三人とも女の言うことを聞くようなタイプではなかったし」
「……ちゃんと名前で呼んであげようよー」
彼らは王子としてのプライドが高すぎた。同世代の自分より頭のいい妻など、プライドが刺激され反発するのは間違いない。
「それでもお嬢様なら上手く転がせたはずです」
「それはやる気が出ないから無理」
マリアナの言葉に、伯爵はふざけるなと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。御家の命運の話をしているのに、個人の感情で動くなど、伯爵には理解できない事だった。
「あら、やる気は大切よ? 私は別に商人に嫁いだって、帝国貴族に嫁いだって良かったもの。私が色々と計画して、ここまで表立って動いて、悪いこともいっぱいしたのは、ハルを王様にしてあげる為だから」
才女と言われながら国外にはその名が伝わっていなかったのは、結局のところやる気がなく何もしてこなかったから。それが第四王子からプロポーズされた途端、急にやる気を出して国中を巻き込んだ大立ち回りを始めたのである。恋は盲目とはよく言ったものである。
「……ですので、お嬢様がそうまでする相手には見えないと言っているのです」
結局のところ、伯爵の目にはハロルドが気弱で頼りない……正面から罵倒されてもヘラヘラとしているだけの男にしか見えない。
「我々は圧倒的に国力に勝る帝国相手に、敗れた戦争の講和を結びに行くのです。その上、講和内容はほとんど王都の方から指定されており、それよりも譲歩することになれば、今度は我々が失脚するでしょう。……いえ、仮に上手くいったとしても、その間に同盟国の援軍として送り出した主流派貴族が帰ってくるかもしれない。この先の王都における政争は、大変厳しいものになると言わざるを得ない」
それだけの危機感を抱いている伯爵からしてみれば、能天気な第四王子の言動は神経を逆撫でするのに十分なものである。
「分かってるわよ」
そして現状が危ういことは、当然マリアナも理解しているのである。だからこそ、外の緊張感にも過剰に反応してしまい、「捕虜になった気分」などと思わず口にしてしまったのだ。
「今から緊張してたら持たないよー? なるようになるってー」
だが使節団の代表であるハロルドだけは、平常運転というべき能天気さを振り撒いていた。それにビリナ伯は再び苛立ちを覚えながらも、「ひょっとしたらこの男は大物なのか」という考えが一瞬、脳裏をよぎった。
もっとも、その考えもすぐに霧散する。
……恋は盲目とはよく言ったもの。二人は、伯爵が苛立っているもう一つの理由を全く理解してなかった。
「あ、マリちゃん見てー。晴れてるから天届山脈が綺麗に見えるよー」
「……うちで見るより迫力あるわね。平野だからかしら」
そんなことを言いながら、さりげなく王子の膝の上にのるマリアナ。
「見慣れた景色とちょっとだけ違って面白いよねー」
そして満更でもなさそうにそれを支える王子。
そんな新婚二人のスキンシップを、毎日毎日目の前で見せられているのがビリナ伯である。実際、マリアナなどは半分新婚旅行の気分でいた。
「……だから公務としての自覚を……」
そして伯爵は、もう何度目かも分からない小言を繰り返すのであった。




