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前編

 今日も豪華な部屋の中に、のんびりと立っている。

 自由に動き回りたいのはやまやまだけど、目の前には銀色の格子。上にも下にも出口はない。足元には木の棒があって、ピンク色の足でそれを掴んでいる。

 手を広げると、ばさりと翼が鳴った。

 そう、わたしは鳥である。

 ぼんやりした思考の中で、とにかくごはんをもらえるだけもらって、寝て、水飲んで、ごはん食べてを繰り返していたら、いつの間にかこのお家に飼われていた。


 あれ、わたしは鳥でお金持ちに飼われてる。

 気づいたときは、鳥であることにびっくりしたものの、でも初めから鳥だったしなあ。なんでびっくりするんだろう? て考えてみたら、なんとなく昔人間だったことがあったのかなと思い至った。

 そうじゃなかったら、自分がいるところが鳥籠で、応接室みたいなきちんとした部屋の窓際に置かれていることも、教えてもらわないとわからないだろう。そして、鳥に律儀に教えてくれる人はそうそういない。


「ロチカ」


 今日は少し曇っているかな、と窓の外を見ていたらやわらかな声がわたしを呼んだ。


「おはよう、よく眠れた?」


 ピンクがかった金髪をふわふわと揺らしながら、わたしの前までやってくると華奢な手で金具を外して入り口を開けてくれた。

 遠慮なく、差し出された指先にぴょんと飛び乗る。

 ピーロロロロ。おはようございます、お嬢様。

 あいさつすると、このお家のお嬢様はうれしそうに微笑んだ。


「ロチカ、あなたかわいいわ」


 ピィピィ、ピーィロロロ。

 あなた、かわいいわ。

 お嬢様はよくわたしにそう言ってくれる。そんなお嬢様のほうがとってもとってとかわいいですよ。

 ピルルルル、ピィ。

 あなた、かわいいわ。

 お嬢様の言葉を真似てそう言うと、くすぐったそうに笑ってくれる。


「お嬢様、お手紙が届きましたよ」

「まあ、ありがとう」


 ノックがして、執事が顔を出す。

 ぱっと立ち上がってお嬢様は老紳士から封筒を受け取った。

 お茶を用意するようにいたしましょう。そう言って執事はすぐに廊下へと戻る。

 テーブルについたお嬢様は、封蝋を撫でてから丁寧に丁寧に封を切った。わたしはテーブルの端に乗ってその様子を眺める。

 お茶をお持ちしました、とメイドが来たのにお礼を言ってからお嬢様はそっと便箋を取り出して深呼吸した。


「どうしましょう、素敵だわ」


 気を利かせて執事もメイドもお嬢様をひとりにしてくれているのは、この手紙をいつもいつもお嬢様が待ち望んでいると知っているからである。

 便箋が四枚。たぶん三回は目を通したお嬢様は、ほうとため息をこぼした。


「ロチカ、本当にディアス様はとっても素敵だわ」


 お嬢様は、そう言って手紙を読む回数を増やしている。文字を追ってうっとりしたり、あんまりお好きではないらしいそばかすを撫でて眉を寄せたり、頬を膨らませたり。表情が忙しい。

 ディアス様。お嬢様の想い人。

 半年ほど前に、馬車の車輪が壊れて立ち往生しているのを助けてくれた人で。お城に仕える騎士のひとりなのだとか。

 騎士服が汚れるのも厭わずに、困り果てていた御者に手を貸してくれたことへ、いたく感動したお嬢様は旦那様を通じてお礼の連絡をしたそうだ。そのとき、馬車の周りには不届者たちがいたらしく、それもまとめて片付けてくれたのもよかったのだろう。


 たぶん、お嬢様より身分が低い家の人らしい。でも、お嬢様もこのお家の人もそこはあまり気にしていないように見える。

 細かいことがわからないのは、わたしがただの鳥だからである。

 悲しいことに、鳥相手に事細かに語って聞かせる人はいない。わたしはここでお嬢様が話してくれる内容と、出入りする人たちの会話を繋げて予測しているにすぎなかった。

 それでもとくに不便はないから、わたしは毎日ごはんを食べて水を飲んで、たまに水浴びさせてもらうのを楽しみにしながら気ままに歌うだけだ。


「近いうちに、ご挨拶にいらしてくださるんですって」


 頬をきれいに染めたお嬢様に、わたしもうれしくなって喉を鳴らす。

 ピィ、ピィーロロロ。

 ディアスさま、とってもすてき。

 真似をすると、お嬢様がくすくすと笑ってわたしの羽をつついた。お嬢様の髪と似ている、薄桃色と、白と、ほんのちょっと黄色い、わたしの羽。

 すてきね、と褒めてもらえてうれしくなる。クルルルと喉を鳴らすわたしに、お嬢様は目を細めた。


「ロチカったら。あなたのことも手紙に書いたのよ、会えるのが楽しみね」


 クルルル、クルル。

 あなた、かわいいわ。

 お嬢様は本当にかわいらしい。恋をしている人って、きっとこんなふうに鮮やかなんだろうなあ。

 ディアス様も、お嬢様へお手紙を頻繁に出してくれているし、たぶんお近づきになりたいと思っているはずだ。お家の人のディアス様への印象もよいままで、みんな微笑ましく応援しているような気がする。

 ピィピィ、ピルルル。

 あなた、かわいいわ。

 ふたりがうまくいくといいな。




 それから数日して。本当にディアス様がやってきた。

 朝、お嬢様はわたしにあいさつしたきりで、バタバタと身支度に忙しそうだ。今日はどんなドレスだろうなあ。きっととびきりおめかしして、素敵なお嬢様に仕上がるのだろう。

 わくわくしているわたしは、ごはんを食べて、水を飲んで、それでも誰も来ないから歌いながら何か起こるのを待っている。

 わたしを見に来てくれるって言ってたから、なにもないはずはないんだけど。


 このまま忘れられたりするのかな、と心配になったころ執事が扉を開けて誰かを部屋へ案内した。

 初めて見る人。――ディアス様だ。

 ディアス様は、熊のように大きくてがっしりした体つきで黒い短髪をきっちり撫でつけた、見るからに真面目でお堅い感じの人だった。

 このかわいらしいふわふわなわたしを前にしても、にこりともしないなんて。衝撃である。

 お待ちくださいませ、とこの部屋に通されたディアス様は、一見落ち着き払っているのに実はそうでもないらしい。執事が席をはずした途端、座ったばかりのソファから立ち上がり、わたしの前を行ったり来たり。苦しそうな首元のタイを触ったり、直したり。

 さては、緊張していますね? 大丈夫ですよ、お嬢様はすぐ来ますし、お家の人たちもみんなディアス様を歓迎していますよ。

 ピロロロ、クルクルルル。


「きみがロチカか。本当に桃色なのだな」


 じっと見つめてから、低い声がぽつりとこぼされた。

 くるりくるりと首を動かすと、ディアス様はふうと息を吐いた。少しだけ緊張が和らいだのかなあ。


「綺麗な色だ」


 わずかに目を細めるのは、この色から誰かを思い浮かべているのかしら。

 ピィピィ。ピーロロロ。

 あなた、かわいいわ。

 わたしがそう言うと、ディアス様は苦笑した。わたしの言葉が、誰のものかすぐにわかったらしい。


「セシリア様は、とても愛らしい。当然のことをしただけの男を、こうして寛大に迎えてくださる」


 わかりますわかります、お嬢様とっても愛らしいですよね。わたしはディアス様の言葉に大きく頷く。

 セシリア様はお嬢様のことだ。このお家ではみんなお嬢様と呼ぶから、わたしはしばらくお嬢様のお名前を知らずにいて、奥様が呼んでいるのを聞いたとき初めて知ったのである。

 お嬢様のお名前を呼ぶ人が増えたなあと、なんだか気持ちがふわふわした。

 そして、そんな暢気なわたしをよそに、目の前の男の人は急に思いに耽ってしまっているようだ。


「……私のような気の利かぬ者では、不釣り合いとわかっているが」


 さっきはうれしそうだったのに、今度はしょんぼりしてる。顔には出てないし、なんなら怒っているように見えてしまうくらい。でも、どうしてかわたしには肩を落としているようにしか見えなかった。

 ため息をついて、着心地悪そうにずれた上着を直して、またため息をついて。

 この人も、恋をしている人だ。恋煩いって大変なんだなあ。しみじみと思いながら、わたしはバサリと羽を鳴らしてから、ディアス様を見上げた。


 ディアス様、そんなことないですよ。お嬢様はとっても素敵だっていつも言ってましたよ。

 ピルルル、ピーィロロ。

 ディアスさま、とってもすてきだわ。

 目をまんまるにしたディアス様がわたしを見ている。本当ですよ、いつも頬を薔薇色にして、お手紙読んでますもの。

 ピィピィ、ピロロロ。

 ディアスさま、とってもすてきだわ。

 うっとりしたため息と一緒に、想いがこぼれているのをわたしはいつも聞いているのだ。


「ディアス様、お待たせいたしました」


 淡い黄色のドレスは、花の刺繍がされていてお嬢様によく似合っている。レースのリボンもひらひら揺れて素敵だ。やっぱり、今日は一段とかわいらしい。

 侍女と一緒に部屋に来たお嬢様は、ディアス様がわずかに顔を赤らめてわたしを気にする様子に、一度首を傾げたけれど。すぐになにがあったのか思い至ったようだ。


「ロチカ、あなたまさか」


 顔を真っ赤にしたお嬢様。

 なぁに? そんなにあわててどうしたの? かわいいかわいい。お嬢様とってもかわいい。

 ピィピィ、ピーィロロロ。

 あなた、かわいいわ。


「……もう、ロチカったら」


 ピルルル、ピィーロロ。

 あなた、かわいいわ。

 困ったように笑ってから、お嬢様はディアス様へ椅子を勧めた。こほんと咳払いしたディアス様も、先程までのそわそわは嘘だったみたいに落ち着いた様子でお礼を言っている。

 せっかく会えたのだから、素敵な時間になりますように。

 わたしはふたりを眺めながらご機嫌に歌を披露する。

 ピィピィ、ピーロロ。ピルルル。

 もっとたくさん練習して、喜んでもらいたいなあ。恥ずかしそうに会話をするふたりは、とてもとてもかわいらしかった。


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