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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第七部

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91/115

ゴブリンと太古の夜に光る星

 雨上がりの空の下、巨豚が引く幌付きの荷車をゴブリンが操っている。

 荷台の上には鍋や束ねられた野菜といった日用品や食料が雑多に積まれ、それらの安価な品にまじって希少な香料樹脂やまじないめいた性的象徴物が防水をほどこした木箱に収められている。

 そして野菜や木箱の間に嬉々として挟まっているのが、エメリが命の危機もかえりみぬほど心酔し、シャルラードがその全財産を投じて助け出した大地の豊穣神。エヴェトラ=ネメス=フォイゾンである。


「……」


 バザウはこの愚かな神を自分の思惑どおりに動かすべく計画を練っている。

 エヴェトラの手足をもぎとっていったのはルネとチリルだ。


(その因縁を焚きつけ上手く誘導してやれば……。俺の進む道先の景色は、ずいぶんとさっぱりした爽快なものへと変わることだろう)


 順調に進んでいた荷豚車が不快な揺れと同時にとまる。ぬかるみにはまったようだ。

 ブチの巨豚は何度か踏ん張った後、助けを求めるようにバザウに鳴きかける。獣の不安をなだめようとバザウは穏やかな低い声で応えた。


「すぐに調べます。そのままお待ちください」


「いえ~。手分けしましょう」


 神は荷台から地面に降りた。ぬかるんだ大地にその足を沈めることになんの躊躇いも覚えていないようだ。


「私が地面を見るので、あなたは手綱を持っていてください」


 エヴェトラの手際は熟練の農夫のように良く、そしてどんな農耕馬よりもタフで力持ちだった。

 泥から脱して動き出した荷車にエヴェトラがゆっくりとした動作で乗り込む。

 バザウはエヴェトラに体を拭く布をさし出した。


「……お手を煩わせてしまい申し訳ありません」


「お安いご用ですよ!」


 エヴェトラはバザウがしる他の神々とは色々な面で違っていた。

 あんな風に苦労も惜しまずに手助けをするなんてルネなら絶対にありえないことだ。気位の高いシアだってしないだろう。

 そして話しやすい。ゴブリンと神という認識の差、理知的と短絡的という思考力の差で、多少やりとりがチグハグになることはある。けれどこちらを軽んじる高慢さや、脅していうことをきかせようとする威圧感がない。

 その中でもバザウが最も注目している差は物質世界に顕現した時の神の形態だ。


「……」


 バザウはチラリと後ろの荷台を振り返る。

 質素な日除けのローブの下に白い薄衣が見え隠れする。

 その身はまさに豊穣の神として祀られるのにふさわしい豊かさを備えていた。

 大地の恵みを体現した胸のふくらみ。肉付きの良い腰回りに思わず指を沈めてみたくなる。ふくよかで女性的な体つきだ。


 これまで見てきた神は性別を断定できない容姿の者ばかりだった。なのでバザウは神は中性的な存在なのだと思っていた。

 ルネはケバケバメイクの性別不詳。胸はない。

 シアは少年にも少女にも見える性別不詳。胸はない。

 ニジュは青白く痩せている不健康な性別不詳。胸はない。


(……女神との二人旅も悪くない)


 実際にはバザウは女神と二人旅をしているわけではないのだが、その幸せな思い違いを指摘する者はいなかった。




 道沿いの大木が作り出す影の中での一休み。ブチ柄の巨豚は鼻先で器用に地面をほじくり返して草や虫をあさっている。


「バザウさんの望みは神の知識の伝授でしたね」


「はい」


 バザウがわざわざこの神に近づいたのは、ルネとチリルを出し抜くのに必要な情報を得るためだ。あわよくば手足を奪われた因縁を持つエヴェトラを戦力として利用できないものかと期待してもいる。

 ゴブリンの黒い思惑に気づいているのかいないのか、エヴェトラは得意満面で神の知識をお披露目しようとする。


「では今日はあなたに井戸掘りの指南を」


「いえ、そういうことではなく……」


「! ……ああ、なるほど。そういうことですか。あなたが欲している知識というのは……Hな話ですね!」


「違います」


「えっ? ええぇ~!?」


 神は大いに動揺した。


「農業でもなく交接でもないとなると~。他に私が教えることができる知識なんてありませんよ!」


 無駄に凛々しい表情でなぜか誇らしさすら感じさせる堂々さで宣言した。

 エヴェトラは気の良い神ではあるのだが、この様子からして到底知的とはいいがたい。


「あ~、もしかしてミミズの生態についてしりたいとか? あの柔らかい体でどうやって固い土を掘っているのか不思議じゃありません? 良いでしょう! じつは秘密があって……」


「……俺がしりたいのは神々に関する基本的な事柄です。不死性などの神が持つ特性や重大な事象について……。そういった知識を得たいのです」


 一番の目当てはルネとチリルを出し抜く手がかりだ。そのために情報を集めている。

 しかしここであの二柱の名を口に出して良いものか悩んだ。

 ある意味ではバザウとエヴェトラの共通の敵でもあるのだが、バザウはチリルの研究とルネのイタズラで偶然生成された被造物ともいえる。

 今は穏やかに見えるこの神も何かのきっかけで豹変しないとも限らない。長き時を生きた神々の逆鱗はどこに隠されているのかわかったものではない。


(好戦的ではなかったニジュ=ゾール=ミアズマが、エルフの巫女のたった一言で激昂したようにな)


 妖精族の始祖にして守護者だと思われていた神が、実際にはそうでなかった。その間違いに対するニジュの反応は非常に激烈だった。それまで封印への侵入者にも物静かに振る舞っていたニジュが激情にかられて大声を出す。ニジュは妖精族に向けてこう言い放った。


禍星まがつぼしの末裔……と……)


 この世界で禍星まがつぼしと呼ばれている星はただ一つ。忌まわしき千匹獣座の他にない。


(……このところ、その不吉な名をよく聞くものだ……)


 アルヴァ=オシラの根源世界に起きた原因不明の異変にも千匹獣座の影が不気味にちらついている。


 バザウは黙り込んでいるエヴェトラに慎重に眼差しを向ける。

 そこにあったのは気の抜ける間抜け面。頭の上では黄色い二頭のチョウがひらひらと追いかけっこに興じている。


「あ~、もうちょっと待ってくださいね~。何から話そうか考えをまとめているところです~」


「……」


 間延びしたへろへろ声で多分に脱線と冗長を含みながら、神々の基本的な特性について語られる。


「色んな神がいて力の差もあったりするんですが、どんなへっぽこな神でもええと一、二、三……四つの特性を必ず備え……産まれ持っています! 自己変異、瞬間転移、不死性、万物との会話です」


 エヴェトラは、どんな神でも必ず備えている、といおうとしたのを途中で訂正した。


「自己変異は好きに姿を変えられるってことです。私のこの姿も本来の体とはかけ離れたデザインですからね」


(姿を自在に変えるのは厄介だな……)


「神は瞬間転移でパッと消えてひょいっと現れます。かかる時間はそれこそ一瞬。移動範囲は~……」


 エヴェトラは腕を大きく広げた。左手代わりに巻いている自在に動く不思議な包帯がしゅるしゅるとほどけて伸びる。


「この惑星のどこへでも!」


 惑星という表現はバザウにはピンとこなかったが、どうやら大地をさしていることはわかった。


「……そんなことができるならこんなにゆっくりと移動しなくても良いのでは?」


「緊急の用事はないですし。それにバザウさんを転移で連れていくことは無理で……無理? 無理と決めつけるのは早計では? 普通の命は死んじゃう危険がありますが妖精族なら? 一度試してみるのもアリ……アリなのでは!?」


 楽しいことを思いついた子供みたいな笑顔でエヴェトラがバザウににじり寄る。


「何事もチャレンジです! 潜るのと~飛ぶのと~、どちらがお好みですか?」


「遠慮しておきます」


 不確実な移動実験で旅が終わりになるなんて悲しすぎる。


「それは残念。え~と~どこまで話しましたっけ?」


「……神は四つの特性を産まれ持ち、自己変異、瞬間転移、不死性、万物との会話がある、ということでした。変異と転移についての説明をお聞きしたところです……」


「ああ~、そうでした。私は生き物から生じた神ですが生き物のような寿命はありません」


 不死性。神を殺害できるのは神だけだという情報はすでにバザウもしっている。


(俺が直接ルネとチリルに危害を加えるのは不可能だが……、神器を手にすることができれば……。あるいはやはりコイツをけしかけてヤツらを……)


 木漏れ日がちらつく頭上を仰ぎながらエヴェトラが一つ新たな情報を付け足した。


「本当に死ぬわけではないんですけど、私の場合は強いお日様の光でガーッと照らされると死にそうな気持ちになります。本調子が出なくなるといいますか……。天敵や苦手なものの影響はあるみたいです」


 日除けのローブを目深にかぶり直す。


「最後に万物との会話ですね。……これは神の特性というよりは、大昔にあらゆるものが持っていた当たり前の力が失われて神々だけが今もその力を使える、という風に理解してくださればよろしいかと」


 ちょっと意外だった。

 はるか昔にはあらゆるものが同じ言葉を使って会話ができたということだろうか。

 バザウはわくわくして聞いてみた。


「それでは遠い昔にはゴブリンと森狼が話していた時代もあった、ということですね」


「あ、それはありえないです」


「……」


 いっていることが違うではないか。

 

「そういうことになったのはあの忌み星のせいでもあるのです」


 それからエヴェトラは、怖いオバケの話を子供に聞かせるのをためらう大人みたいな顔をしてバザウにわびた。


「ごめんなさい。いきなり不吉な名を出してしまって」


(また……千匹獣座か)


 あの森では様々な出来事が起きた。

 アルヴァ=オシラの根源世界を歪めた不可解な力。

 ニジュ=ゾール=ミアズマが妖精族を禍星まがつぼしの末裔と呼んだこと。

 そしてニジュは生き物を死に至らしめる胞子をまき散らしておきながら、あれだけ嫌悪している妖精をなぜか殺せずに排除できないでいる。

 バザウはエヴェトラの反応をうかがいながら尋ねた。


「怖れをしらぬ愚かなゴブリンのたわ言をどうかお聞きください。……千匹獣座……についても教えてほしい、と申したらいかが思われますか……?」


 千匹獣座。その名をバザウが口にした時、神の淡い紫色の瞳が見開かれた。

 右手がゆるやかに挙げられ、しなやかな五本の指がゆっくりと動いて……。

 気さくなサムズアップが形作られた。


「バザウさんはとってもラッキーですね! この世にあまたに存在する神々の中で、私はあの星について……二番目、いや三……」


 神は真剣な顔つきで右手の指を折って数えた。

 そして眉毛をキリッと上げて得意げな顔。


「五番目に詳しいのですから!」


(この世にあまたに存在する神々ってのはたった五柱しかいないのか)


 バザウが非常に失礼なことを考えている横でエヴェトラは少し楽しげだ。


「何を隠そうこの私は『本当は怖い!? 妖精の秘密に迫る会』の発足当初からのメンバーなので! 最初の仲間はイさんと……、そしてニジュさんです」




 ◆◇◆◇◆




 これは神話時代の物語。

 まだメロンソーダもアイスクリームもポテトチップも存在していないほど、遠い遠いはるか昔のこと。

 しかしひょっとしたら……ソーセージはあったかもしれない。




 それは植物の萌芽に似ていた。

 湿った土と腐れた落ち葉をかきわけてその神は現世うつしよに顕在する。

 見る見るうちに無数のキノコで構成された動く塔ができあがる。

 ニジュ=ゾール=ミアズマは菌類の精気から生じた神だった。


 太陽が西に傾いていく。太古の夜が来る。

 目玉を持たない木や風の神だってものを見ることができる。音も聞こえるしあらゆる者と会話ができる。

 触覚のように突き出したキノコは外部の情報を集積する。

 鳥は怯えたように木に隠れ、魚は水底まで逃げ込んだ。人間は洞穴の奥で身を寄せ合う。

 ニジュでさえも体中をぞわりと膨らませた。空中に放たれた胞子が、か細い煙のように森に漂う。


 恐ろしいのは夜ではない。危険なのは闇ではない。真に忌むべきは妖星の光。

 後の世でその光は千匹獣座と称されるようになるが、この時点ではまだその名はついていない。

 そして正確には星ですらない。何なのかわかっていない。夜の空で光り輝いているように見えることから星にたとえているだけだ。


 ニジュは狂気の妖星を警戒しながら夜の森をうろつきはじめた。

 足跡代わりに胞子をぱらぱら落としていきながら。


 夜は妖星からの干渉が強まる。

 その結果どういうことが起きるかというと……こちらの世界の自然律が妖星の不条理で捻じ曲げられる。

 反復する時間。朝飯前。

 消失する距離。当たり前。

 これまでに妖星からこうむってきた数々の被害を思い返してニジュはうんざりした。キノコのいくつかが、くたっと萎びてぼろっと崩れた。


 妖星による異変を元に戻すには危険が伴う。

 生半可な者では逆に妖星の力に取り込まれてしまうだけだ。

 対抗するには強い力が必要となる。

 ニジュのように自然の精気を身に宿して生じた特殊な存在。神々でなければ妖星に打ち勝つことはできない。


 ニジュを含めた力ある神々は、不快で無礼な妖星現象を喰い止めるべく協力体制を作っている。

 とはいってもそれは別に正義感からの行為ではない。神々というものは程度の差こそあれ自己中心的なものだ。

 神々が妖星に抗うのは、自分の縄張りがよくわからないものに好き勝手に改ざんされるのが我慢ならない。そういう理由だ。




 夜風にまじってこの世のどんな鳥や獣でも出せないだろう不思議な声が聞こえてきた。

 楽しくて、澄んでいて、それでいて切なくなるような。そんな旋律。

 それこそが妖星が奏でる音色。

 ニジュは不快そうに触覚キノコを小刻みに揺らし、音が聞こえる方へとむかう。

 成長と崩壊を急速に繰り返すことでニジュは進む。ひそやかに。用心して。


 音楽を頼りにたどり着いた場所では、この世界にあってはならない光景が広がっていた。


 ☆☆☆キラキラな光に乗って、地上まで滑り台して降りてきたんだよ。びゅーん。

 お花を一本つみまして、えっちらおっちら、くるっと回って陽気なダンス。

 ゾウさん、ワニさん、ヒトさん、ノウサギさん。どうぞ手拍子お願いね☆☆☆


 飛翔する頭足人。

 妖星からの侵略者は、円形の顔から棒のような手足が直接生えている頭足人の姿をしている。

 頭のてっぺんにシンプルな形の突起が二つあるが、はたしてそれがコブなのか、耳なのか、虫の羽なのか、リボンなのか、髪なのかは一切不明だ。

 彼らの横顔や後姿をニジュは一度もお目にかかったことはない。どの角度や位置から観測してもヤツらは常に正面を向いているように見えた。

 顔、というのさえも本当は曖昧なのだ。この世界のいかなる生物の顔とも似つかないのに、なぜか三点配置された色の濃い部分を顔だと認識してしまう。


 妖星からの侵略者は花を掲げて円陣になって踊っている。

 頭足人の口から漏れ出す音は、パステルカラーの実体を持って空中をふわふわ漂う。

 音と光に彩られた妖星の宴。

 ここにいるのは侵略者だけではない。

 音楽に合わせて笑顔で手拍子を打っている者達は、元はこの地に生息する生物たちだ。

 妖星現象により本来の姿から変容し、やたら丸っこくてファンシーな外見になっている。


 平和で優しいけれど、異常な世界。

 この世界にあってはならない光景。


「……」


 かすかにため息のような音を立ててから、ニジュは妖星現象ですっかり歪められた領域に菌糸を伸ばす。

 現実と幻想。二つの力がせめぎ合う。

 パチパチと何かがはぜる音。カラフル☆な火花がキンキン☆☆シャン☆シャン☆飛んでいく☆ ☆  ☆


 やがて☆パチン☆というひときわ大きな断裂音と共に、ニジュは妖星の領域に入り込んだ。

 侵入したとたん、膨大な数の優しさと悲しみの粒子がニジュの自我に直接ぽこぽこぶつかってくる。

 たいていの生物はひとたまりもない。またたく間に意識を喪失し、妖星がもたらす恍惚と安寧に自己のすべてを投げ出す。

 妖星の影響下にある危険地帯でもニジュは自分の形状と意思を保っていられる。

 神は現実の物質や現象と強く結びついている。この世の非情な道理を体現する者だ。


 パステルカラーでほんわかぷにぷにの侵略者。

 この姿は妖星の光が地上で仮初の形を得たものだ。

 賑やかな音楽はとまり、きょとんとした無邪気な瞳の数々がニジュに向けられている。

 敵意はまったく感じられない。


「……い」


 キノコの傘裏のヒダが細かく振動し、ニジュのかすれた声が押し出される。息には青白い胞子が混ざっていた。

 口ずさむのは忌まわしき妖星の輝きをこの地から追いやる呪言。


「――ようせい なんて いない――」


「☆ぷぴぃ☆」


 面白おかしい音を立てて全ての侵略者の体が一瞬で吹き飛んだ。泡よりも儚く。夢よりも滑稽に。

 あれほど愉快でのどかで狂った宴会は、あっけなくお開きとなった。

 言葉による存在の否定。

 こうすることで妖星の干渉を阻止することができる。

 もっともこれが一時しのぎにすぎないことはニジュも理解していた。

 天空の妖星本体がある限り、あれはいつまでもこの地を不条理でむしばむことだろう。

 妖星が作り出した幻想の世界にとらわれていた生き物たちは、サイズの小さな者からじょじょに正気を取り戻しはじめた。

 甘く優しい幻想から無慈悲な現実へと引き戻されていく。

 どこかくらくらと混乱した様子を見せながらも、正気になった生き物たちはその場から立ち去った。




 しかし妖星の影響が消えた後も、まだその場にとどまり続ける者があった。

 人間の子が二人。戸惑った表情を浮かべている。

 まだ幼くて二人の性別はよくわからない。

 震える華奢な肩。少し怯えているようだ。

 向かい合わせにへたり込んで、両手を固く握りしめ合う。

 双子だろうかとニジュは思った。行動の息がぴったりで二人の容姿はあまりにも似ている。


 背丈も顔つきもそっくりな二人だったが、ただその瞳だけははっきりと異なっていた。

 一人の目は、虹彩の部分がオウムの羽のように色とりどり。

 もう一人の目は、白目のところがほとんどなくて黒目がち。


 双子は怯えたように互いを抱き合いながら、ニジュに視線を釘付けにしている。

 二人の眼差しには恐怖だけでなく、怒りと悲しみが含まれていた。

 唇がかすかに震えて、二人分の舌から小さな言葉が押し出される。


「……どうして?」


 人間はそうニジュに問う。

 この時代はまだ言葉はあらゆるものの間で共通していた。

 狼と鳥のように鳴き声が違っても、魚や石のように声が出せなくても、言葉は通じる。そういう時代だった。


「どうして楽しい時間は永遠に続かないの?」

「どうして理想の世界を壊してしまったの?」


 ただの哺乳類風情の質問にいちいち答えてやる責務などニジュにはまったくない。

 ほとんどの神は、きっとこの取るに足らない問いかけを無視しただろう。

 荒ぶる神ならば、耳障りというだけでも命を奪うには充分な理由になる。

 自由奔放な神は、わざと神経を逆なでする言動で相手を弄ぶのが好きだ。

 だがニジュは他の神々に比べて穏やかで慎み深かった。無視もせず、殺しもせず、侮辱もせずに小さな二つの命に生真面目に返答する。


「この世がムジョウであるゆえに」

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