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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第六部

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ゴブリンと森の罠

 この森にある最も古く、最も巨大で、最も儚い白い網。神器を介してエヴェトラはそういった。

 次にエメリと森に入る時には、白い網を重点的に調査することになっている。


「森の中で白い網というと……、パッと思いつくのは霧藻。木の枝に垂れ下がっているもやもやしたあれだな」


 バザウはまず樹上地衣類を調査の候補に挙げた。


「他には……神が作った封印であるなら、自然のものではなく未知の材質でできているというのも考えられるな。……美味しい、っていうヒントは役に立つんだろうか……」


「俺はガチなネメス信徒だけどミミズさんの味覚まではわかんないぽよ……ぽよ……」


 二人で考えられる可能性や問題点を一つずつ確かめていく。

 エメリにはこれまで森に潜入してきた経験があり、バザウには新しい視点から物事を見つめて疑問を見つけ出す思考力があった。


「封印の在処はエルフの守りが特に厳重な場所が怪しいが……、そうなるとその地点に近づくだけでも一苦労だな」


「ヤツらの居住地以外に定期的な番人のいる場所ってのはなかったなー。特定の一ヶ所を厳重に見張るんじゃなくて、森全体を移動しながら見回りしてるね」


「考えられるのは……。封印は居住地にある。エルフどもにも正確な封印地点がわかっていない。封印は森の中を移動する。高度な隠蔽がほどこされていて、警備を厳重にするとかえって目立ってしまう……。こんなところか」


 エメリの仮面の奥からゆるーい称賛の声が聞こえてきた。


「へー! 居住地にある説は俺にも思いついたけど、他のは盲点だったよ。バザウちゃん、さえてるー。だてにハゲてなーい」


 二本角の帽子をすぽっとどかされエメリにきゅここここっと雑に頭を摩擦された。バザウの首がガコガコゆれる。なんという愚弄。

 失礼極まりない手をむんずとつかんでひねり上げてやった。


「やめて! 器用に動くエメリハンドは俺の大事な商売道具なのよ! 許してくださいバザウさん、大変申し訳ありませんでした」


 下げられた頭に、バザウは一つの質問をぶつける。


「なあエメリ。……成功すれば二柱の神という大きな力が解放されるわけだろう。そうなった時に世界がどう変化するか……きちんとしっておきたいんだ」


 仮面の男はバザウの視線から逃れようと顔を伏せる。

 沈黙の後でぼそりと乾いた声で。


「……ネメスの信徒以外は息絶える」


「っ……!?」


 エメリは両手を上げてぴゃーっとジャンプした。


「というようなヤバい事態は起こりませーん!! ……これで安心した? バザウちゃん」


「……おい、エメリ。真面目にきいているんだぞ」


「いやー。さも不安そうだったからここでシリアスぶって脅かしたら面白いだろうなーと思って。まあそこまで心配することはないのよ。この世界には今も有象無象の神々がわちゃわちゃしてて、そこにネメスが元どおりに戻るってだけなんだから」


 平気平気ー、とエメリは気楽に手首をひらひら動かした。

 エヴェトラが復活することでオークたちにいくらかの利益がもたらされるのかもしれないが、世界全体のバランスを大きくひっくり返すほどの変化は訪れない。


(もし本当に世界規模で危険な事態になるなら、あの目障りな極彩色の鳥がちょっかいをかけてきているだろうし……)


 そこまで考えてバザウは頭を横に振った。

 腐りきったルネの性根には嫌悪を覚えているくせに、ルネの干渉を無意識に期待する自分の考えが気に入らなかったからだ。




「明日はー遠足ー。お買い物ー。……バザウちゃん、何かいうことがあるんじゃないの?」


「……? 任務を頑張ろうな! ……とかか?」


 エメリは何もない場所でこけるフリをして、プンスコと地団太を踏んだ。


「違うよ! バナナはオヤツに入りますか? っていってほしかったんだよ!」


「バナナは……あればありがたく食べるが、危険な場所に持っていくほど好きというわけではない」


「ネタに真剣に返さないで!」


 森への潜入にむけて、貪欲の市場でバザウとエメリは役立ちそうな道具がないかと見て回った。

 エメリが買ったのはロープや装備品の手入れに使う油などだ。

 どこの店で扱っている商品が良質かエメリは細かく覚えていて、安物には飛びつかない。普段はおどけてばかりいても仕事道具の選択には真剣だ。


「使う道具にこだわるのはさすがベテランだな」


「ん? エメリさんは世界一のウルトラスカウトだって? もっと褒めても構わないよ!!」


「……すぐ調子に乗る……」


 一とおりの買い物を済ませた帰り道。エメリは露店を見つけるとバザウを手招きして、てってけてーっと商品に近づいていった。

 敷き布の上には、面白い形の石やキラキラした石、手頃な宝石の未加工原石や磨き加工石、そんなちょっと珍しい石が並べられている。


「別に森では必要ないものだけど、バザウちゃんの知的好奇心を満たせるのではないかと思いまして」


 店の前でしゃがんだエメリが一つの白い欠片を指さしている。


「これも鉱物の一種なのか? 動物の骨のように見えるが……」


「うん、骨だからね。人間の神の骨だといわれているありがたーく胡散臭ーい商品だよ。俺は勝手にインチキボーンと呼んでる」


「ああ、これが……」


 コンスタントがいっていたインチキ商品だ。


「仮面をつけたお兄さん。少しは歯にも衣をつけておくんなさいよ」


 露天商のコボルトはへっへと笑った。ところどころ毛の薄くなった犬人型コボルトで、長い犬の鼻先のシルエットはどことなくトカゲや小さな竜の頭部に似ていた。


(いや、その逆もあるか。小さな痩せた竜が犬に似ているのかもしれない……)


「だいたいこの世に出回ってるインチキボーンを全部かき集めたら人間の神どんだけ大きいんだよ! って話だよ。赤ん坊サイズの骨から老人並にすかすかな骨まで混ざってるし。偽物にしたってそういうディティールが雑なのは良くないっ」


「俺の友達も同じことをいってたな」


「友だ……っ!? うわー、会話ができる友達がいるとかバザウさんの存在が遠すぎてつらーい」


「なんだ急に……。会話ぐらいお前ともしてるだろ」


 現に今こうして話しているのはなんだというのか。会話じゃないとでも?

 あるいは、バザウのことを友と認識していないのか。

 少しあきれた顔でバザウが一歩近づくと、同じ分だけ下がるエメリ。

 手袋におおわれた両手を仮面の前でパッと広げて、エメリはバザウの視線をシャットアウトした。


「いや、普通に友達がいらっしゃるバザウさんにソロでアウェイでぼっちの状態異常がついた俺なんかが話しかけるとか、怖れ多くてできませんのでー、のでー、のでー」


 自力でエコーの演出を作りながらエメリはバザウから距離をとり、目当ての石がないかコボルトの露天商に尋ねた。


「ねーねー。陰陽石の取り扱いはございませんの?」


「……ないよ」


 まるで闇と光のパワーを秘めた宝玉のような名前だが、エメリが探しているのは男女の体の性的な部位を象った石のことである。

 エヴェトラ=ネメス=フォイゾンへの捧げものに厳格な決まりはないが、豊穣神という性質から農作物や性的な象徴物が供物にされることが多い。


「丸い石を複数組み合わせて、おっぱいを作れないかなー」


 ネメス信徒がバカなことで悩んでいる間、バザウは他人のフリを兼ねて黙々と商品を見ていた。


「こっちの石は小さな矢じりみたいに鋭いな」


「ああ、ゴブリンのお兄さん。それはですね、化石ですよ」


 商人がいうにはこれはサメという海にいる大きな肉食魚の歯なのだという。


「すごいな、面白い……。サメは石の歯を持っているのか」


 違う違う、と笑いながら手を振ってあしらわれる。


「たいていは死ぬと腐っていくもんですが、何かの条件で体が腐らず長い長い時間をかけると死んだ生き物の体は石みたいになっちまうんでさ」


「……冬が十回訪れるくらいか?」


「へっへ、百回季節がめぐったって足りませんや」


 バザウは空を見上げた。

 貪欲の市場に花壇や街路樹なんて気の利いたものはない。緑といえばもっぱら店先に並んだカブの葉やカボチャくらいのものである。

 季節を締め出したようなここでも、空の色と吹く風が季節を告げてくれる。

 少し白みがかった控えめな青い空。太陽は明るく照っているが刺し貫くような鋭さはない。吹く風は体温を奪う。そんな季節だ。


「前に一度疑問に思って……それでも答えが出なかったことなんだが、山や石はいつからどうやって世界に生まれたんだろうな」


「あっしがガキの時分に親から教わった話では、すべての山は太古の巨人の亡骸で、すべての石は太陽に当たったトロールの死体。でもま、それは子供騙しのお話。鉱石を求めて地下に潜り込む暮らしをすりゃあ実感できるでしょうが、地面の下には過去が眠っているんでさ。たしかにトロール族は光を浴びておっ死≪ち≫ねば石にはなるが、その辺にあるありふれた石ころってのはきっと……」


 コボルトは品物の中から石を一つ選び取りバザウに見せてくれた。


「その一つ一つが、途方もない時間で押し固められてできたこの世界の欠片なんでしょうよ」


 それは完全に石になった虫だった。

 大きさは指の爪ほど。ダンゴムシをもっと平たくしたような見た目。

 頭部の位置がはっきりしていて、背中の中心の線だけが少し盛り上がっている。


「これも石になった生き物……」


 バザウはこれとよく似たものを見たことがある。

 高山でデンゼンと会うその少し前に、巻貝を中に閉じ込めた奇妙な石があった。


(完全に謎を解明できたわけではないが、これで関連性は見つかった。……この世界の混沌とした不思議を秩序立った法則として理解した時、俺の体は喜びで熱くなるんだ……)


 連想でデンゼンと彼の末路のことが思い出され、バザウはそっと目を閉じた。


(旅をしていると色んな出来事があって……やりきれない気持ちにも襲われるが、それでも俺が息と歩みをとめないのは……何かをしる楽しさを探し求め続けているからなのかもしれないな)


 しんみりとした内観は急を告げるエメリの声で終わる。


「大変だ! ちょっとこれを見てくれ!」


「どうしたエメリ!?」


「見て見て。おっぱいストーン。いやー、クズ石コーナーを探せばあるものだね」


「……」


 その手に掲げられているのは、おバカな子供が粘土細工で作ったような真ん丸おっぱい。

 粘土ではないし、石を加工してそんな形にしたわけでもない。

 妖精の埃石。特に利用手段のない脆いクズ石だ。

 ただその形状が面白い、という一点だけに遊び的な価値を見出されている。妖精の埃石はすべてユニークな形状だ。歪な犬だとか、下手くそな花に似た形だとか、落書きみたいな魚だとか。そういう面白い形をしている。

 太陽を浴びて死んだトロールは石になるが、埃石も元は妖精だったといわれている。

 フェアリーよりもさらに原始的で、ちょっとしたことで――たとえば妖精なんていないと誰かが口にすること――消えやすいある種の古い妖精は死ぬとこの埃石になると伝えられている。その瞬間を目撃した者は誰もいないが。


(この話のバカバカしさは、妖精なんていない、などといったいどこの誰がいうんだ? というところだな)


 ゴブリンが畑を荒らし、フェアリーが道に迷うまじないで旅人を危険にさらし、エルフが森の枝を折った人間の骨を生きたまま砕く世界では、妖精の存在を否定する言葉は意味をなさない。


(たしか……創世樹の宿主たちは別の世界から連れてこられたんだったか……。別の世界。妖精は衰退しました、って世界なら、そういうことをいうヤツもいるかもしれん)


 バザウが考え事をしている間にエメリは会計を済ませていた。

 ネメスが復活した際の供物として捧げるつもりらしい。




 禁足の森への二度目の潜入を遂行中。

 自由奔放すぎるエメリの振る舞いには閉口してしまうが、スカウトとしての優秀さには目を見張るものがある。

 森にはエルフが仕掛けた無数の罠があるが、バザウもエメリも引っかからない。

 エルフの本拠地の真っただ中。そこをエメリは勝手しったる他人の家、というように平然と移動している。


「麦の花言葉は裕福、繁栄、そして希望です」


(……ダメだな……)


 神さまラジオは今日も調子が悪い。

 エメリは神の言葉に耳を澄ませる至福の時間を早めに切り上げ、前回の神託で得た情報を頼りに森を探索することになった。


(以前よりも巡回の見張りが多い……)


 もしもエルフに見つかれば矢の雨で後天的なハリネズミになるか、そうでなければもっとひどい死体をさらすはめになるだろう。

 だがバザウが底しれぬ恐怖を抱いたのは、エルフよりもエメリに対してだった。

 物音を立てず痕跡も残さずに移動する。気づかれる先に相手の姿を見つけ出す。今ここに自分がいることを誰にも悟らせない。


(森の中でエルフを出し抜ける者など……いるはずがないと思っていた。この男に会うまでは)


 頼もしい味方の存在をありがたく思うと同時に、その常人離れしたスカウトとしての能力に戦慄する。

 バザウがエメリを視認できているのは、エメリが姿を見せても構わないと思っているからにすぎない。

 戦闘技術はバザウに分があるが、森での生存で重要となる隠密能力と索敵能力についてはエメリにはるかに及ばない。


(……エメリの足手まといにだけはなるまい。組んだからには、対等な立場でありたい)


 精神の層を伸ばして周囲を探る方法を取り入れて、バザウはようやくエメリについていける。

 だがその方法はかなりの気力を消耗する。まだ長時間は継続できないし、森全体といった広範囲を一気に探ることもできない。

 エメリは最小限の動きしかしないが、バザウはエルフを警戒するあまり視線をムダにあちこちに配ってしまう。

 背中にいきなり矢が突き刺さるのではないかと不安になって、つい何度も後ろを振り返る。


(……?)


 振り返った時、そこに矢を構えた怖いエルフはいなかった。だが風景に違和感がある。

 視界に映っているのは変わり映えのない森の景色だ。霧がけむる中で色も形も多様な菌類が、葉を樹皮を同じ菌類をゆっくりとむさぼっている。


(……あんなところに霧藻なんてなかった。さっき通過した場所だ……)


 いぶかしがりながらバザウが森の一ヶ所を見ていた時だ。

 風もないのに、サルオガセのベールがそわりとゆれた。

 何もなかったはずの枝から新たにサルオガセの垂れ幕が作られる。地面に達するほど長い。

 こんな突然の急成長は自然界ではありえない。

 バザウは先行するエメリを手で引き止め、異常事態の発生を教えた。


 エメリは少し驚いたが、取り乱さずに潜入を続行する。

 引き返そうにも帰路はすでに異常なサルオガセにふさがれていた。


(魔法が使われる時の臭いはしない……)


 硫黄。瀝青。粘土。腐った卵。人間は気づかないが、ゴブリンの鼻では魔法が使われる際にそんな微弱な臭いを感知することがある。

 バザウは魔法の臭いだと思っているが、実際は精霊を封じた鉱物から発せられるものだ。絢爛豪華な鉱物の牢から逃れようと精霊がもがき苦しみ、その力が鉱物と反応する。

 エルフが使う精霊術では宝石は用いられないため、鉱物臭気は発生しない。

 オークが開発させた魔技型マギケも特有の臭気はない。閉じ込められた精霊には宝石の中でもがいて暴れるだけの自由さえも許されていないからだ。


 淡い水色をした一匹のリスが不思議なサルオガセにうっかり触れてからめとられていた。

 数回じたばたしても逃げ出せないとさとるとリスは光の粒を撒き散らしながら分離した。

 ファンシーカラーのリスは消え去って、代わりに迷惑そうな顔をしたフェアリーがついっと上空に抜けていく。


 フェアリーは翅で飛んで避けることができる。

 森を熟知したエルフは安全な場所に待機しているのだろう。

 サルオガセの包囲網にかかるのは地を這う侵入者、バザウとエメリだけだ。

 

(霧藻の増殖のペースは歩くスピードよりも遅いが……。このままでは確実に一ヶ所に追いやられる)


「バザウちゃん」


 エメリが声を出した。森に入ってからは一言も発さなかったのに。それは隠密行動の解除を意味する。


「もしかすると、これがネメスが俺に教えてくれた最も古くて巨大な白い網なんじゃ?」


 事前の相談でも、バザウはサルオガセを調査候補の一つに挙げていた。


「……どうだろうな。条件には合致するが……」


 腑に落ちない点もあった。

 森に頻繁に市場勢力の侵入者がきている中で、これほど神々の封印が目立つ状況への対策が見張りの増員だけだとは思えない。あまりにも忽略だ。


「……エルフの罠かもしれないぞ」


「ネメスの加護かもしれないじゃん」


 慎重なバザウの判断とは別の可能性をエメリは提示する。

 何かを信じている者の迷いない言葉だった。


「この森にいるのはエルフが祀るゾールだけじゃない。神託の内容に合わせて、ネメスがこの現象を引き起こしてるのかも」


「……」


 バザウは要領を得ないたわ言を垂れ流すうねうねした神を手放しで信じる気にはなれなかった。

 せめて何か理屈にそった根拠がほしい。

 陶酔気味にエメリが熱弁する。


「ネメスは豊穣神だ。植物を急成長させるのは得意だよ」


「か……」


 会話もままならない封じられたポンコツにそんな芸当ができるとでも? といつもの皮肉な調子でいいそうになり、バザウは慌てて口をつぐんだ。

 熱心な信奉者の前で口に出して良い言葉ではない。


「か?」


 エメリは首を傾げた。

 きょとんとした様子で脅すような気迫はまったくないのだが、ネメスを侮辱しかけた後ろめたさからバザウは若干萎縮した。


「か……。構わないぞ」


「よしきた!」


 エヴェトラ=ネメス=フォイゾンの力を受けた大鎌で、エメリは白くて巨大なサルオガセの網を切り裂いた。

 豊穣神が授けた農具は植物を刈り取るのに絶大な効果を発揮した。広範囲の霧藻がたわいなく払われる。

 それと同時に。

 獣の声とは違う、声なき声とでもいうべき不快な音波が森中に響き渡った。

 サルオガセに宿っていた精霊がエルフたちに危険を告げる警報音だ。


挿絵(By みてみん)


「ごめん。……なんか外れだったっぽよ」


「……だな」


 森中のエルフが集結するまで、そう時間はかからないだろう。

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