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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第五部 あるいは 補部

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七空学園とお昼の時間

 窓際最後尾の席がバザウの居場所。七空学園の転入生はみんなこの位置に座らされる。

 転入生の隣の席は誰のものか決まってない。その時のメイン担当者によって変わるから。つまり今は私の席ってこと。


 教室内で他の座席を埋めているのは色のないぼんやりとした人型のシルエット。いてもいなくても変わらないモブ。

 見た目のイメージからモノクロのダレカって呼ばれてる。

 モノクロのダレカには個人の人格は必要とされてなくて、ただ学園生活を彩るための行事やイベントを成立させるためだけに存在してる。影や幻みたいなもの。

 ティモテ学園長の術中にあるうちは、その存在の不自然さに転入生が気づくことはない。どれだけ賢くてもね。


 四時間目の授業が終わったからお昼の時間!

 学園にはパンやおにぎりを扱ってる購買部と、カフェテリア形式の学食がある。お昼はどちらかで買って食べることになっている。

 転入生にはお弁当という選択肢はないわ。だって帰る家がないのに用意できるはずがないでしょ。




 この前はゴタゴタしていっしょにいけなかったカフェテリアに、私とバザウはきていた。

 七空学園の設備はムダにキレイで充実している。開放的な空間。洗練されたインテリア。それでいて機能性も損なっていない。

 ティモテ学園長の出身地が美食文化の栄えた場所だったらしくて、味は保証付き。和風好みのヤコや様々な土地からスカウトしてきた転入生の好みも考慮して、カフェテリアには色んな国の料理が並んでいる。


「おっ、おお……! すごいな」


「好きなものをトレーに乗せて、あっちのお会計に持っていけば良いのよ」


 なお転入生にはお金の心配はありません。プラスチック製の学生証には、学食、購買部、学園内に設置された各種自動販売機で、代金を支払う機能がついています。

 このあたりのことは初日にレムから説明を受けているはず。


「ここはこの世の楽園か!? こんなにもたくさんの食べ物が選び放題だとは!」


 目をキラキラさせて宣言するようなことでもないと思うけど。

 解放的なテラス席に出るガラスのドアの前でバザウがピタリと足を止める。


「ここには食べ物があって……それに……出口のない穴に閉じこめられてもいない……」


「ねえ、バザウ。夏限定のメニューだって」


 私はバザウの注意を壁のポスターへとそらす。

 海の写真を背景に夏らしいメニューを特集したポスターが、カフェテリアの壁に張り出されていた。夏野菜と海鮮のカレーライスだとか、ハーブが香るムニエルだとか、潮風シーフードドリアだとか。

 その中でも、淡いブルーのゼリーを見てバザウは目を輝かせていた。ゼリーの中にはオレンジの星型の寒天と缶詰でシロップ漬けにされていたパイナップルが入っている。


「これも食べ物なのか? 宝石みたいだな。本当にこんな豪華なものが食べられるんだろうか……?」


「ゼリーなら冷たいデザートのコーナーに置いてあると思う。あとで案内するわね」


「そっ、そうか!」


 バザウがこんな子供だましみたいなデザートであんなに喜ぶなんて、ちょっと意外な発見だった。

 購買部でチョコレートバーを大量買いしたこともあったし、バザウは食べ物絡みのことになると知能指数がガクッと下がるのかもしれない。ゴブリンだなあ……。


「これが海か……。もっと泡立つメロンソーダみたいなものを漠然と想像していたが、ずいぶんと青い」


 ポスターの背景に使われている海の写真にバザウはその手を置いた。


「キレイだな。こんなに青い水たまりとは珍しい。茶色や緑でにごったやつならよく見かけるが。青い泥でも溶けこんでいるのか」


「違うってば。海の水は本当は透明なんだけど、遠くからだと青く見えるだけよ」


 バザウは少し考えた後、降参するように手を広げた。


「謎かけか? わからないな」


「詩的表現でも謎かけでもなく、これは科学的な理由よ。……ええと。海の水が青いのは……」


 海の水が青く見えるのはどうしてだっけ。

 本を読んだり情報端末を使えば、私は素早く様々な知識にアクセスできる。たしか海の水に関する知識も、前にどこかで見聞きしてしっていたはずだ。

 軽く読み流した深く身につくことはなく、私はバザウの簡単な質問にも答えられなかった。


「海の底には青い石があるのかもしれないな。ラピスラズリの原石だとか」


 未知のものへの素直な反応。それが私には羨ましくもあり直視できない。

 私が勝手に、しっていた、と思っていた知識って、すごく不確かで曖昧な情報でしかなかった。


「この学園に本物の海はあるのか? 潜って底を確かめてみたいんだが」


「海はないわよ。プールならあるけど」




「そういえば、学食のオススメメニューってなんだったんだ?」


「よくぞ聞いてくれたわね」


 嬉しさのあまり眼鏡をくいっとしながらバザウに振り返った。

 私には愛してやまない好物がある。その日のメインディッシュが洋食だろうと和食だろうと麺類だろうと丼ものだろうと、とにかく絶対これをそえるのが私のジャスティス!

 


「私が自身を持ってオススメする一品、ワカメの酢の物よ!」


「……」


 バザウ、引き気味の顔をしている。

 良いところをアピールしなくては!


「これも海で育ったものが食材になってるの! そこに並んでるエビの煮物ポシェとかタイの蒸焼ポワレと同じようにね」


 こう説明すると、バザウもいくらか警戒心を解いたようだ。


「ああ。だから珍しいのか……。よく見ると、葉野菜を茹でたものに似ている……ような気もする……。というか、そう思うようにしよう」


 いまいちな反応で目をそらされた。


「何よ、その反応は……。薄々気づいてはいたけどやっぱり好物としては微妙なのかしら」


 和食党のヤコや海産物好きのセーレにも聞いてみたけど、大好物としてそれはない、って断言された。


「もっと可愛げのあるものを好物にした方が良いと思う? たとえば、メロンパンとかチョココロネとかたい焼きとか花丸ハンバーグだとか」


「本人が好きで食べているものに、微妙も何もないのでは?」


 バザウは、いったい何が問題なのか、といった口ぶりでそういうと、自分のトレーに次々と料理の小皿を乗せていく。

 オオウミガラスのゆで卵サラダ、油採られ済みヘルシー鯨カツ、ヒヨコ豆とオスヒヨコ肉のペーストなどなど。


「好きだという思いは……他の誰かからの横やりで簡単に崩れるようなものではないと思うが。たとえ周りから、それは悪いものだから嫌いになれ……と命令されたとしても……本当に好きなものなら、手放せないし見限れない」


 私はバザウの横顔を見ている。

 彼の視線は私に向けられておらず、美味しいものを探す任務に従事している。

 デザートのゼリーを乗せた時にはバザウのトレーはもはや飽和状態寸前って感じだった。




 座る席は大きな窓に面したカウンターが良いかな。バザウとテーブルで向い合って食べるのって、まだちょっと緊張しそう。

 その点、窓辺の席なら話題がとぎれても窓の外の風景で気を紛らわせることができるし。

 カフェテリアの窓の外には、灼熱の青空を仰ぎ見るヒマワリが植えられていた。


「ああ、でも……何かを好きになるのは自由だが、その熱意を理解するよう他者に強要することはできない。第三者はもちろんのこと……好意を向けている対象者であってもだ」


 熱心に太陽を追いかける黄色いヒマワリの花。

 太陽はヒマワリが咲こうが枯れようが、その軌道を変えることはない。


「好きだという思いが強ければ強いほど……悪意ある者に、自分の中の感情を利用されることもあるだろうしな……」


 バザウの目は遠くの方を見ていた。

 あてどもなく、途方もなく、遠い彼方を。

 そういう時の彼は夏の中で一人だけ真冬の薄明にいるみたいに、距離感があってさびしそうで儚い。


 食べ物の話……じゃないわね。もうこれは。好意を向けてる対象者っていってるし。

 多分これはバザウが現実世界で経験したことの話。好きだって気持ちを悪いヤツに利用されたことがあるんだと思う。学園ヒロインの私がいえることじゃないけど。

 ティモテ学園長の魔術で現実世界の記憶は厳重に封印されている。

 何かのきっかけで記憶の鍵が開きそうになっても、三つのセキュリティが機能してすぐに封印がかけ直される。

 さっきは何かの拍子でバザウの現実世界の記憶がよみがえりかけたんだ。

 それで、あんなに苦しそうな、つらそうな顔をするぐらいなら……。いっそ……。




 ***




 大型の緑の机。並んだ試験管。三角フラスコ。人体模型。

 理科室には独特の空気がある。この空気は心地良い。

 ゴーレムとして設定されている私には、各種のセンサーが搭載されている。

 聴覚センサーが理科室へと近づいてくる歩行音を補足した。足音の波長のデータはどの学園ヒロインのものとも一致しない。

 理科室のドアから彼が姿を現す前に、私はそれが誰なのか把握していた。

 予測どおり転入生2657番。


「邪魔するぞ」


 この前の会議の結果、2657番はあのフニンキが担当することになった。

 特に関わり合うメリットは私にはないが、無視をするのも不自然なので反応する。


「何か用?」


「理科室の設備を見学させてほしい」


「ご自由に」


 システム上でそう決められている。転入生は禁止区域以外であれば自由に移動ができる。

 2657番は注意深く理科室を歩き回った。


「……すごいな。これだけ充実した器具がそろっていれば、ソーセージ栽培の糸口もつかめるかもしれない」


「ソーセー……? それは何?」


 彼の言うソーセージ栽培がいったいどんなものなのか理解できなかったので、説明を求めた。

 転入生2657番は饒舌に語ってくれた。食品のソーセージを植物のように培養する試み。彼はそれに挑んでいるようだ。真剣かつ大真面目に。

 私は理解した。彼はバカだ。


「その実験に使う道具を貸してほしい」


 私には理科室の設備に関する権限も与えられていた。


「許可するわ」


 どれだけソーセージを土に埋めたところで栽培が成功することはないだろう。

 しかしそれで構わない。あらゆる手段や条件下でも栽培に失敗した、という結果も、実験から得られる知である。


「ありがとう」


 転入生はメモ帳を片手に、ソーセージの栽培実験に必要な道具や手順を具体的に記載していった。


「……海が青い理由も……いずれ解明しなくてはな」


「海の水は青くない」


 その謎は転入生がどれだけ熱心に海水をルーペで調べてもわからないだろう。ポイントは光にある。


「私たちは物体そのものの色を知覚できているわけではなく、物体が反射した光の色をとらえているにすぎない。光は七つの色からなっていて、そのうちの青い光は水に吸収されにくい性質をそなえている。それが水を青く見せている秘密」


 他にも詳細な説明の仕方はあるのだろうが、少なくとも私の知識データベースにはそう記録されている。


「興味深い話を聞かせてくれたことに感謝する」


 転入生は私の言葉の内容は理解したが、納得はしていないようだった。

 顔の表情筋。声の波長の高低。体のささいな動き。といった三つの点から私はそう判断する。


「雨の秘密を解き明かせる場所に、俺は自分の足でたどり着いた。……いずれ海の秘密がわかる場所にもさえも、自分自身でいけるようになるかもしれない」


「……」


 転入生の発言は学園世界での体験ではない。現実世界での記憶を元に話していた。これは好ましくない兆候だ。

 しかしティモテ学園長の魔術の手腕はこの転入生よりもはるかに上であり、完全に記憶が戻るような事態は発生しないだろう。というのが私の計算結果だ。

 ティモテ学園長は三種の記憶封鎖を転入生に施した。

 なんらかのトラブルで、一つの封印が一時的にゆるむことはあるだろう。だが、そういった事態はティモテ学園長も想定している。たとえ転入生に施した一つの鍵が開きかけたとしても、他の封印が残っている限り、速やかに矯正作業にとりかかる。

 お互いの補完し合う三つの鍵は、動作、名前、意味。

 この優れた仕組がある以上、転入生は学園せかいに与えられた擬似記憶から逃れられない。




 ***




 理科室に用があるというバザウとはいったん別行動で、私は図書室の様子を見にいった。

 私が不在の時に図書委員役を務めるモノクロのダレカが、ぼんやりとカウンター席に座っていた。

 よしよし、特に異常はなさそう。教室へ戻ろう。

 テクテクと廊下を歩いていく。すれ違うモノクロのダレカたちは、夏の暑さが見せた陽炎のようだった。


 学園の外でバザウがどんな体験をしてきたのか、そこで彼が何を感じたのか。私は深く詮索する気はない。

 つらいことなら忘れてしまえば良い。この学園には楽しいことがいっぱいある。現実の世界でバザウにさんざん嫌なことをしてきたヤツも、この世界にはいない。


 教室。窓際。一番後ろの席。

 バザウはそこでノートに何かを書いていた。


 後ろからバザウに近寄って目隠しをした。

 すぐに当てられる。

 それでも私は彼の目を覆う手をはずさなかった。


 カフェテリアで目にしたバザウの悲痛な表情。

 彼はもう悲しみが沸き起こったことも覚えていないかもしれないが、私の記憶にはしっかりと刻まれている。


 七空学園の虹の娘の一人として、メイン担当ヒロインとして。

 最大限の努力をもってこの幸せな作り物の世界で、バザウの命を溶かしてあげようと思った。

 溶けてなくなる前にバザウには楽しい思い出をいっぱい作ってもらいたい。

 大丈夫。怖くない。私が優しく殺してあげる。

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