ゴブリンとお芝居の開幕
「ああっ、これが恋というものなのかしら? あの人のことを考えると、幸せで胸がいっぱいになってしまうわ。とってもステキで、格好良いんだから。頭が良くて、なんでもできちゃって、頼りになるの。ちょっぴり野生的なところも、ドキドキしちゃう。いっしょにいると、いつも新しい発見があるの」
ルネは辛抱強くジョンブリアンの長口上を聞いていた。
「本人は否定したけど、ワタクシにとっての王子さま。毎日がとても楽しくて幸せよ」
ふとジョンブリアンの顔が曇る。
「でも……。この幸せがずっと続くわけじゃないんだって、気づいてしまった」
「そのとおり」
占い師に扮したルネはほくそ笑む。
(そうそう。そうでなくてはね)
この気持ちを引き出すため、幸福な少女に愛の破滅を見せてやったのだ。
スモークの死を。
「時間は刻一刻と流れていく。状況は変化していく。そういうものだ」
少女の胸に宿った小さな不安を炊きつける。
「どれほど色鮮やかな花も、どれほど香り高い花も、いずれは萎れ、朽ち果てよう。だが……」
ルネ=シュシュ=シャンテは、ガラスのドームを取り出した。
中には小さなブーケが保存されている。
「変化をとめる方法もある」
ガラスのケースを外し、ジョンブリアンに花を見せてやった。
「ステキ……。キレイね」
「美しいだろう? だがその花はとうに死んでいる」
「え? このブーケは生花ではないの? ドライフラワーでもなさそうだし。あ、もしかして、本物そっくりの作りもの?」
「本物の花さ。いや、元、本物というべきかな? 特別な加工を施してやれば、こうしていつまでも花は美しいままでいられるのさ」
押し花。ドライフラワー。プリザーブド。
花を残す方法は数あれど、いずれも共通しているのは、一番美しい状態で花を刈り取り、殺すこと。
「永遠を手にするのだ」
「永遠?」
ジョンブリアンは、ガラスドームの花にそそいでいた視線をルネに戻した。
「鮮やかな今を永遠にしたいとは思わないか? 一番美しい姿を、一番幸福な時間を。永遠にとどめたいとは思わないか?」
ルネは少女に手を伸ばす。
長い爪には毒々しい色彩が塗られている。
「そうなったら、ステキよね。はあ……。でも、占い師さん。そんな魔法みたいなこと、できるわけないじゃない」
ジョンブリアンは幼くて夢見がちなところはある。
しかし愚かな娘ではない。ロマンスを愛してはいるが、空想と現実の区別ぐらいはついている。
「秘密の方法があるのだよ。永遠の愛を手にする方法が」
「……永遠の愛が、手に入る……?」
恋の病は人を愚かにして死に駆り立てる。
「お前が愛している男は、いつまでもお前のそばにはいないよ。あの男はいずれ去ってしまう。そういう運命なんだ」
「バザウは、ワタクシをおいていったりなんか……!」
そう主張する少女の声は、途中から弱々しく消えていく。
「あの男の心の一番深いところ。そこにお前の姿はあるのかな?」
ジョンブリアンは、うつむいたまま黙っている。
「そこにあるのは……、死んだ少女の面影なんじゃないのかい?」
「でも……、だって……。バザウは、優しいから……。その子のことをちゃんと覚えているのは、わ……、悪いことじゃないわ」
ルネは目を輝かせた。
「本心から、そう思うのか?」
「っ……」
ジョンブリアンは引きつったように空気を吸いこんだ。
細いノドからヒュッと音がした。
「そう、ね……。……羨ましいな、って思ったわ」
ふるえるノドから吐き出される、本音。
(あっはぁ……、たまらないねぇ)
少女がかかえた切実な思いは、混沌の神の手に蹂躙される。
(色んな思いが入り混じって、このドロドロのグチョグチョに錯乱した心! じつに甘露ぉ、甘露だねぇ……)
占い小屋のある裏路地。
ふらふらとした足どりで家路をたどるジョンブリアンの華奢な背中。
その姿は大通りへと消えていった。
「ネグリタ=アモル。しばらくあの娘に憑いていってあげなさい」
当然のように指示を出す。
テントの影からモヤのようにふっと出現した童女の影。ネグリタだ。
「あの娘の魂に、お前の真理をよぉく刻みつけてやると良い」
不安にとらわれたジョンブリアンの心に追い打ちをかける。
ネグリタ=アモルは、ずっとささやき続けることだろう。
彼女の真理。死の愛のすばらしさを。
「はい。ありがとうございます。ルネさまのおかげで、また新しく永遠の愛ができますね」
もうすっかりルネを信用している。
機会さえ狙えば、ルネがネグリタに直接危害を加えるのはたやすい。
(でも、それじゃあ意味がない)
創世樹の宿主を傷つけても、創世樹の成長は止まらない。
根源となる意志そのものを消滅させない限り、どんな攻撃も無意味だ。
樹が養分としているのは、宿主の命でも肉体でもなく魂の力だ。
強固な信念。不変の価値観。
創世樹を枯らすにはこれを否定してやれば良い。
(もっとも逆境に直面すればするほど、その意志を石みたいに固くするバカもいる。もうちょっと柔軟で気楽な態度で生きりゃあ良いものを。アタシみたいに!)
「ルネさま?」
ネグリタが少し不思議そうな顔でルネを見る。
「ああ、いや。ちょっとした考えごとさ」
なんでもない顔をしてごまかした。
「それじゃ、アタシは一足先に真実の愛の箱庭に戻っているよ」
大小二つの人影も。
妖しい占いテントも。
一瞬で路地裏からかき消える。
「バザウー! 大変だー、てぇへんだー!」
ドタバタとわざとらしく騒ぎ立てながらの、ルネの出現。
バザウは特に驚くことはなかった。
机のイスに座ったまま、混沌の神に振り返る。
「お前の大事な少女漫画ちゃんが、ピンチだぞ!」
(……ついにきたか)
予期していたはずの言葉なのに、バザウの心は不穏にざわめいた。それを理性でなだめる。
混沌の神の口車に乗せられてはいけない。
まずは、冷静でいなければ。
「バザウ! お前の出番だ、ゴブリン王子! チリル=チル=テッチェの悪の手先ネグリタ=アモルを倒して、少女漫画ちゃんを華麗に救い出すのだー!」
(創世樹の宿主は、ネグリタだったか。だが……、ビアンキの異常な挙動も気にかかる)
「おいおい! どうした? 何考えこんじゃってるんだ? ほらほら! アタシと協力して、憎きネグリタ=アモルをやっつけようじゃないか!」
いけしゃあしゃあと味方面するルネ=シュシュ=シャンテ。
「自作自演もたいがいにしておけ。大根役者」
芝居につき合わされるのは、うんざりだ。
「そうかな? 我ながら良い筋書きだとは思うんだけどねえ」
悪だくみを看破されたというのに、ルネはふてぶてしく居直った。
バザウはジロッと睨みつける。
「そう怖い顔するんじゃないよ。アタシはお前に、これ以上ないとびきりのモチベーションをプレゼントしてやったってのに」
「余計なお世話だ」
ルネは肩をすくめる。
「ただ命じられたことをこなすなんて、お前の性に合ってないだろう? アタシにあーしろっていわれて、適当にそーしただけじゃあ、創世樹の宿主には勝てっこないのさ。ものごとをなしとげるには、それなりの動機と覚悟が必要だ」
「……」
「逆にいえば、たとえアタシがお膳立てした状況でも、お前が本気で挑めるのなら、それで万事OK」
そういう意味ではルネ=シュシュ=シャンテの行動は効果的だった。
バザウは秩序の神による心の統一には反対だ。
だが話が漠然としすぎていて、自分自身でも神と対立しているという実感がわかずにいた。
(ジョンブリアンの危機……。俺はそれを何としても回避したい)
それはバザウにとっての具体的かつ強固な行動原理になる。
「運命を操作する方法は大きくわけて二つあると思うんだよね」
ルネは人さし指を立てたり下げたりしてみせた。
「一つは、旗。運命の決定的な分岐点」
次に親指と人さし指で歩くマネ。
いや、段を登る仕草だろうか。
「そして、階段。条件をつみ重ねて、規定値まで到達したかどうかで判別する」
「ジョンブリアンは……」
ルネはククッと笑った。本当に、こういう嫌な笑いが似合うヤツだ。
「少女漫画ちゃんは、ネグリタ=アモルのささやきで破滅の階段を登っているところだよ。まだ最上段にはついてないけど時間の問題かな? さあ、どうするんだい? バザウ」
彼女の心に何が蓄積されていったというのだろう。
共にすごしたというのに、バザウにはまるでわからない。
(……ならば彼女の口から聞くまでだ)
バザウはイスから立ち上がった。
上品な造りのバックルつきブーツを脱ぎ捨てる。
裸足になったバザウの足には、黒く鋭い爪が生えている。
豪華な衣服に別れを告げる。
これからバザウは本来の姿に戻る。
衣装棚の奥を開ける。
ずっとしまいこんでいた毛皮のマントと二振りの短剣。
着慣れた服はすっとバザウの肌になじんだ。
「コボルトの娘が、死んだ時に着ていた衣装だね」
「……フズとわかり合えた時にも、着ていた服だ」
バザウの力では、どうしようもない出来事があった。
バザウの力で、解決できた問題があった。
いつも上手くいくとは限らないが、けっきょくのところ、やるべきことは一つなのだ。
自分の道を歩き続ける。
「舞台に上がる準備はOK?」
「ああ。できている」
イカれた神が作り出した三文芝居から、大切な者を取り戻す。
(そのために、今はただ……。巨大な手の平の上で踊ってやろう)
その決心はすでにできている。
「お前の愛する少女は、ネグリタ=アモルがささやく偽りの真理にとらわれてしまった! 救い出す方法は!」
「創世樹の宿主が信じている真理の否定……、だろう」
「そゆこと」
軽々しい調子でルネがうなづいた。
(……冷静に考えれば、まだ望みはある)
ルネ=シュシュ=シャンテは、別にジョンブリアンを殺したいわけではないのだ。
良くも悪くもバザウを思いどおりに動かすための、布石の一つとしか思っていない。
(ルネの目的は、あくまでも創世樹計画を失敗させることだったな……)
バザウは頭を働かせる。
どうすればあの少女の命が摘み取られずに済むのかを。
「ジョンブリアンが、無事でいることを願う……」
計算されたセリフではあると同時にバザウの本心でもあった。
「もし、俺の力が及ばず……、あるいはどこかのむこう見ずな鳥のせいで、あの娘が……命を落としたら」
ルネに視線をむけてから、独り言のようにつぶやいた。
「……俺の意志は砕け、ネグリタ=アモルの世界に取りこまれてしまうかもしれないな……。そうなれば、かえって創世樹計画を後押ししてしまうことになるが……」
「!!」
極彩色の羽毛をまとった鳥は顔を青ざめさせた。
「そ、そそっ、それは困る! ルネちゃんの悪だくみプランには、そんなルートは想定してありません!」
(焦っている)
ルネは油断ならない相手だ。
あれこれ暗躍するのもお好きなようだ。
だが、その大ざっぱな性格ゆえに計画に穴が多い。
自分本位の思考回路。何事も上手くいくという前提に立った作戦。
その穴をついてやれば、ゴブリンが幸運をつかむための活路が見つかるかもしれない。
「ああ、俺にとっても最悪の事態だ」
実際にその光景を想像すると、バザウの心臓は痛み出す。
だからすぐに不敵な笑みを形作った。
弱い顔をしたところで慰めてくれるような心優しい者は、ここにはいないのだから。
「……そうならないよう、互いに力を尽くさなくては……。なあ、良き協力者さま?」
ゴブリンにできる精いっぱいの運命への反抗。
ジョンブリアンは真実の愛の箱庭にいた。
いつもここにくる時は幸せでドキドキしていたのに。
今は不穏なざわめきがジョンブリアンの胸を占領している。
「……」
真っ直ぐバザウの部屋にいく前に中庭に寄り道などしてしまう。
「やあ。ジョンブリアン」
「あ……、ビアンキさま」
箱庭の主は庭園にいることが多い。
雨が降りそうな曇天の空の下、ビアンキは紫色の花を愛でていた。
「……」
ジョンブリアンは黙りこんでしまう。普段なら気さくに会話を交わせただろうに。言葉が見つからない。
「浮かない顔だね」
その様子にビアンキも気づいたようだ。
「物憂げな表情をしている女性を見ると、気になってしまうよ」
優しげな、それでいてどこか悲しげな表情をビアンキ自身も浮かべていた。
「あの、ワタクシ……」
「困ったことがあったら相談してほしいな。君の助けになるよ」
「いえ、そんな……」
ジョンブリアンは、自分を真っ直ぐに見つめる銀眼から目をそらしてしまった。
以前のジョンブリアンなら喜んでその申し出を受けただろう。
そうして友達とのケンカのことや、家でのちょっとした不満を思いっ切り聞いてもらうのだ。
そうやってビアンキに話を聞いてもらったことが何度かある。どんなに不平をいっても甘やかしてくれた。
ビアンキは歳上の同性でありながら理想の王子さまのようで、いっしょにいると充実した気分になれた。
でも、今は。
すべてを肯定するような、その瞳がなぜか恐ろしい。
ビアンキに、この心をさらけ出すなんて、できない。
「ごめんなさい……。失礼します」
逃げ去るように中庭を後にした。
ジョンブリアンに差し出したビアンキの片手はしばらく宙でとまったままだった。
「不思議だなあ」
平坦な声でビアンキがつぶやく。
「どう見ても助けを必要としている様子だったのに。私の手を取らなかった」
奇怪なものでも見るかのように、自分の手を眺めている。
「私は、無力なのかな? この手は、誰も救えないのかな? ……あの人のことも」
ビアンキは両腕の力を完全に抜いてみた。
支えを失った人形がドサリと地に落ちる。
「ごめんね。痛かっただろう」
しゃがみこみ人形を抱き上げる。
「あの人を悪い怪物から助け出すためなら、私はどんなことでもするのに」
顔についた泥を丁寧に拭ってやる。
「だけど、あの人は怪物の魔法にかけられちゃったんだ。私が白馬に乗って駆けつけても、この手を取ってはくれない」
最後に人形の髪をキレイに整える。
「あの人がとらわれた、怪物のお城……。乗りこむ準備をしておく頃かな」
ポツリ、と水滴が人形の顔を伝った。
雨が降ってきたのだ。
「……雨は、嫌いだな。カエルが、うるさいから」
これ以上人形のお姫さまが汚れないうちに、ビアンキは箱庭の回廊へと移動した。
ドアのノックが部屋に響いた。
「バザウ……。いるんでしょ」
か細い声が聞こえてくる。
「ああ」
バザウは部屋のドアを開けて少女を招き入れた。
ジョンブリアンはバザウの姿を見て驚く。その目がハッと見開かれた。
「それって、あなたが旅をしていた時の服装よね。まだ……、残してあったんだ……」
バザウは静かにうなづいた。
その間も、ジョンブリアンから目を放さなかった。
ジョンブリアンはずっと右手を体の影に隠している。
(……片手で持てるような小振りの刃物だ。……果物ナイフか)
バザウは彼女の武器を推測した。
どうして彼女がそんなものを持っているのか。
持つような事態に至ってしまったのか。
隠した武器は暴けても、隠された心まではわからない。
それが悲しいのだった。
窓の外では土砂降りの雨。




