ゴブリンとソーセージの木
産まれてこなければよかった。どこに生きる希望があるというのだ。
ゴブリンは常々そう思っていたが色々と残念な頭脳では思考や感情を明確に認知することもできず、ただイライラするだけだった。
「オレは族長の息子なのに。オレは族長の息子なのに」
それがさも特別な立場であるように繰り返した。彼のいる群れでは産まれる子のすべてが原則的に族長の子供なのだが。
今日の襲撃は失敗だった。人間が操る馬車の積荷を狙ったは良いが、乗り込んでいた用心棒に仲間が切り殺された。盗るものも盗りあえず命からがら逃げおおせた、という次第。がむしゃらに走ってきたので群れの居住地にはたどり着けず、人間の追跡におびえながらの単独行動だ。
空腹はむなしさを倍増させる。
世界がもっと優しく楽しいものだったらよかったのに、とゴブリンは不満に思う。欲望一つ満たすのもままならないこんな世界ではなく、望みがなんでも叶う楽勝ステキワールドだったなら。
「チクショウが、寒ぃ……。寒ぃよぉ」
夜空を見上げる。新月なのはちょっとだけラッキーだった。人間はゴブリンほど夜目がきかないのだと群れの誰がいっていた。こうこうと明るい満月の晩だったなら人間でも夜が見わたせてしまう。
月の輝きがない分だけ星が目立つ夜だった。これも群れの古参がいっていたことだが、昔は千匹獣座という恐ろしい星座が空に輝いていたそうだ。今ではそれらしきものは見られない。
「よう。良い夜だな」
「ほんぎゃぁあああああ!!??」
突然話しかけられて肝をつぶす。
声の主は同族の若者だった。
「な、なんだ……。ケッ! 脅かすんじゃねえよ、クソッタレが」
「それはすまなかったな」
しらない顔のゴブリンだ。臭いも普通とは違っている。ゴブリンらしい臭いもたしかにするのだが、ほんのかすかに花を咲かせた樹木のような香りも感じる。コイツは森を縄張りにしているんだろう、と適当に解釈した。
「なあ、おめぇ。腕は立つのか?」
「……どうかな。まあそれなりに……」
パッと見たところ鍛えられた筋肉がついている。腰には二本の短剣もたずさえている。
一人では心細い。人間に追われているかもしれないことは隠してゴブリンの戦士をこの場に留めようとする。
戦士はバザウと名乗った。
バザウは気前の良いヤツだ。腹が減った腹が減った空腹で死にそうだ空腹なんだもう嫌だ最悪などとひたすらぼやいていたら、荷物袋から食料を取り出してこちらによこした。初めて見たが臭いで食べ物だとわかった。
気が変わって引っ込められないうちにそれをひったくり口につめた。ガツガツと咀嚼してヨダレをぬぐう。
「おーっ! これはイケるな! イケる!」
「そうか、気に入ったか。それはソーセージ。木に実る」
「あの木から落ちてくるか?」
近くに生えている木を手当たり次第に指差して尋ねる。バザウはそのどれにも首を横に振った。
「……いや。少し変わった木なんだ」
「これまだあるか? くれよ」
おかわりをせびった。こんな美味しいものをタダで分け与えるなんて何か裏があるに違いない。ゴブリンは怪しんだ。そして恐ろしい裏の事情が判明する前にもっとソーセージを食べておこうと知恵を働かせたのだ。
手渡された追加のソーセージもボルボルと噛み砕いて腹の中に収める。それを七回ほど繰り返した後いよいよゴブリンは真相を尋ねる。もう腹はいっぱいになっていた。
「おめぇの卑劣な魂胆はお見通しだぜ。じゃなきゃ美味いものを分け与えたりはしねぇ、しねぇだろうが」
バザウは少しの間なぜか黙っていた。言葉を整理していたのだが、考え事をする習慣のないこのゴブリンにはバザウが何をしているのかわからず奇妙に映った。
「……ずっと望んでいるのに奪うことでしか得られなかったものをやっと自分で作り出せるようになったからな」
意味がよくわからなかったがゴブリンは気にしなかった。相手の言葉が理解できないなんてよくあることだ。
「俺が感じた嬉しいのおすそ分け……とでも思っておけ」
「ふーん。まあ美味ければなんでも良いけどよ」
バザウは不思議なゴブリンだ。
どんな年寄りよりも深い時をすごしてきたようにも見えるし、産まれたての子供よりも真新しく見える瞬間がある。
自分や群れのメンバーとは異質だと感じるが、同じ空間と時間をすごしていて不快ではない。森の木にゆったりと背中を預けてもたれかかっている時に似た気分だ。心が落ち着く。
ゴブリンは大口を開けてあくびをした。
「眠ぃぃ……」
ずっと起きているつもりだったが、このまま睡魔に身を任せて寝てしまおうか。
バザウに見張り役を押し付けてぐっすり眠れるチャンスだ。見張りの役割分担の話題が出る前に狸寝入りを決め込む。
本気で寝入る前にバザウが口を開いた。
「お前の帰る場所は東にあるぞ」
「ふわぁ……。ヒガシってなんだよ」
ゴブリンが疑問を持った点はそこだった。
「朝に太陽が顔を出した方面だな」
「忘れてなけりゃ覚えておくよ」
朝日が昇る頃にはバザウの姿はいつの間にか消えていたがゴブリンは気にしなかった。何かを見落とすなんてよくあることだ。ただそこにある何かを。
***
「愚かしいことだ。自己犠牲などとは」
青白く儚げな容姿をした神が緑肌の小鬼に話しかける。
「別に俺は自分を犠牲にしたつもりはないんだが」
同じようなことを他の神々からも何度も言われた。キツネやオオカミやカラスが取り仕切る質問攻めにあった。
いくら説明しても神々は理解を示さなかったのでバザウもうんざりしていたところだが、ニジュになら話す気にはなった。
「俺のしたいようにしただけだ。クソみたいな出来事が起きる成り立った世界のすべてが壊れるのが気に入らなくて、夢みたいなデタラメが起きる成り立たなかった世界のすべてが愛おしく思えたからだ」
ニジュにとって忌むべき苦悶の過去の象徴でしかない妖星を受容したバザウの気持ちまでは理解しかねるが、自分のしたいようにした結果という言葉には頷ける。
神々は誰しも自分のしたいようにしているのだ。変わり種の新参者も。
あらゆるものと会話ができ望む場所にすぐにいける力はさっそく活用した。
チリルが警告していた妖星からの侵蝕があった時、バザウは遠い場所にいる友のもとへ駆けつけることができなかった。今は違う。
親しい者たちの安否を確かめに会いにいったが、不思議な力に自分を塗りつぶされたことは忘れて平穏な毎日に送っていた。ほとんどの者はバザウの変容に気づかずに前と同じように歓迎してくれた。神器の所持者であるエメリとシャルラードは微妙な気配の違いを感じたようだ。
特に、もう二度と会えないだろうと思っていた相手に再会できる望みが出てきたのが嬉しい。強さを真理とする創世樹から解放されたデンゼンの魂はア-36界の自然な輪廻転生の流れへと戻っている。姿を見せたり干渉するつもりはないが、デンゼンが両親に祝福されて産まれてくるのを見守りたい。
数々の友に思いをはせた後バザウは近くにいるニジュへと意識をむける。
「そういえば……姿を元に戻さないのか?」
退廃的で病的な白いゴシックロリィタ服に日傘をコーデしているニジュは相変わらず妖精めいた細身の姿で、本来のぐちゅぐちゅの菌類の塊にはなろうとしない。もう戻れるはずなのに。
「…………これはこれで具合が良いのだ。特にエヴェトラと共にいる時には……」
バザウはげんなりした顔を見られないように顔をそむける。
支配的なシアから距離をおいたニジュだが、エヴェトラは優しく思いやりがあるにはあるのだが如何せん恋人とするには悪い癖がある。
(コイツ、いずれひどい失恋をしてまた引きこもるんじゃ……)
チラッとむけた視線に気づいたのか、ニジュは日傘を傾げレースの手袋をはめた手を顔にそっと当て、静かにしかし熱意を秘めて語る。
「……汝にはわかるまい。エヴェトラはあの奔放ぶりこそが良いのだ! 奪われ奪い返しが何度も味わえる黒いトキメキが病みつきに……っ」
「わかったからもういい」
思った以上に割れ鍋に綴じ蓋だった。
この調子ならニジュのことは心配しなくて良さそうだ。
むしろシアの孤立ぶりの方が深刻か。力と立場が強いため容易く潰されはしないものの、唯一の友を失い身の回りにいる神々からは疎まれている状況だ。これまでずっとシアは弱者の思惑など無視してきた、というより理解する必要を感じていなかった。だからその弱者たちがシアを失墜させようと本格的に画策しはじめた裏の動きを読むこともできずにいる。
「……」
かつてのシアはバザウの命など簡単に消し飛ばせる気まぐれで恐ろしい神だった。今のシアはワガママな性格で友達から見捨てられて打ちひしがれている子供に見えてくる。
神々の勢力図が今後どうなるかはわからないが、いずれにしても頃合いを見てシアを尋ねてみようと思う。気晴らしくらいにはなれるだろう。
「姿といえば汝はそのように変容したのだな。我の時と異なり、さほど大きな変化は生じなかったようだが」
バザウの外見は通常時は元の容姿と変わりない。小さな変化として、時々感情の動きに連動しその緑肌に淡く発光する文様が浮かび上がるようになった。
他の神々が持っている自由自在な変身能力は身につかなかったが、命たちの目に見えない存在になることぐらいはできる。
「これで良かった。俺は俺が産まれ持った形を気に入っているからな」
チリルでもルネでも妖星でもなく、自分をこの世界に吐き出した一人の女ゴブリンのことを思いながらバザウは笑う。
***
パステルカラーの星空も下で金色の海が鮮やかに輝いていた。空からタラリと滴るミルク。それが海に落ちると白くて柔らかい大地となる。
どこからともなくゆったりとした音楽が聞こえる。明確な言葉ではないのに、何か意味のあるささやきであるかのように思えてくる。
空気は懐かしい香りで満たされている。ある者は晴天に干された洗濯物の、またある者は休日に家族が焼いたクッキーの、別の者ははじめてであり一番の友達だった今は亡き犬の匂いを感じることだろう。
奇妙ではあるが穏やかなこの世界の中央に一本の木がそびえている。微笑んでいる太陽も、踊っている風も、歌う雨も、世界のすべてはこの木を中心にして回っていた。太陽も風も雨も大地も空も海も、この木が大好きだ。居場所をくれた。存在しない自分たちも存在して良いと認めてくれた。
静かな声で歌ったり、疲れ果てるまで一緒に踊り続けたり、面白い幼馴染ゴブリンの物語を話してくれるところも大好きだ。
木は枝に鋭いトゲを持ち、曲がりくねりながら天を目指す。ゴブリンの耳に似た形の葉の合間に、ゴブリンの目に似た黄色と緋色の花の合間に、いくつか実がなっているのが垣間見える。
結実したのだ。
木の実が。
バザウというゴブリンが惑いながらも選び歩んできた道の果てにあるものが。
それはまごうことなく完全無欠にして永遠不変の真実。ソーセージだった。




