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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第八部

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ゴブリンと真理

「いや~、助かりました~! ありがとうございます」


 死の危険をかいくぐったとは思えない穏やかな表情で、エヴェトラはバザウとルネに礼を述べた。

 ニジュは体にかかった負荷が大きく地中に菌糸の繭を作って休んでいる。


「体調が回復したら話がしたいとニジュに伝えておいてくれないか」


「わかりました!」


 物陰からの視線に気づいてエヴェトラがきょとんとした顔で振り返る。

 少し離れた場所でブルネルスが様子をうかがっていた。

 エヴェトラは彼女の華奢な体つきを放っておけないようだ。近づいていって声をかける。


「お嬢さん、お腹が空いているのではないですか? 私がお腹いっぱいにしてあげますよ!」


「やめろ。ニジュのところにいってろ!」


 痩せ細ったブルネルスにフォイゾンを注入しようとするエヴェトラをバザウが制止する。




「無事に戻ってこられたみたいで嬉しいよ、兄弟」


 そう労った後でおずおずと尋ねる。


「元の世界はどうなってた?」


「俺達がしっている世界ではなくなっていたな」


「……そっか」


 落胆の色をにじませてブルネルスがうなだれる。

 改めて妖星に侵食された世界の変貌を目の当たりにしたバザウだが、その面立ちには絶望も悲観も宿ってはいない。


「いつまでもこうしているつもりはないがな……」


「何か手立てが?」


 バザウは静かに頷く。

 妖星侵蝕が早く起きてしまったために頓挫したが、もともと練っていたのは創世樹で作り出した世界に現実世界の命を避難させて保護するという計画だった。

 それができなくなった今バザウは別の方法を模索している。現実世界にやってきている妖星すべてを創世樹内に収めてしまえないだろうか。上手くいくかはわからないが、と前置きをしてバザウはそのアイディアをブルネルスに打ち明けた。


「でもそれは……。根源世界は宿主の心を反映するものなんでしょう? 大量の妖星を入れたりなんてしたら、この世界もバザウの心もめちゃくちゃにされてしまうんじゃ……」


「俺はそういった心配はしていないな」


 禁足の森でアルヴァ=オシラの創世樹に起きた異変をバザウはしっている。

 だが、何が起きようともバザウの創世樹はその礎となる真理をひっくり返されることはないと確信していた。


「バザウの真理って何なのか聞いても良い?」


「掲げる真理など何もない」


 わざわざ声高に掲げるようなものではないのだ。

 真理とは何か特定の価値観ではない。


「……真理なんてものは望んでもないのにここにあり、逃れることも壊すこともできない……」


 堕落と克己の中に、宮殿とスラム街の中にも、ソーセージと骸の中にも存在するもの。

 真理は誰かの意志に左右されることはなく、たとえ世界中のすべての意志が消えても変わらずにあり続ける。

 これまでの旅の中でバザウが感じ取った真理とはそういうものだった。バザウが感じた魂が震えるほどの無上も無情も無常も、たった一つの真理へと集約される。


(それだけの答えを出すのに長くかかってしまった……)


 バザウがハドリアルの森に産まれ落ちて以来ずっと漠然と感じていたものに、旅で得た数々の経験が少しずつくっきりとした認識を与えていき、ようやくそれを拙いながらも言語化することができた。




 ニジュの具合が落ち着いたとエヴェトラから報せがあった。

 パステル色ではない自然な星空の下。菌糸の繭は地上まで広がり、純白の寝床の中でニジュが上半身を軽く起こした姿勢でバザウを待っていた。


「我に話があるそうだな」


「俺はこの空間に妖星を呼び寄せようと思っている。成功させるための助言がほしい」


 ニジュは顔をしかめる。あんなものを呼び寄せるなんて正気の沙汰とは思えない。だが現実世界から妖星を排除できるのなら少しは清々する。


禍星まがつぼしの末裔たる汝に話して聞かせるにはいささか気が重いのだがな」


 そういいながらもニジュはバザウに協力してくれた。

 それだけ大量の妖星を一ヶ所に集めたいのなら、一匹一匹を地道にとらえるのではなく、妖星の間に情報を流すのが良いだろうというのがニジュの意見だ。


「ヤツらは明確に個であるわけではない。個体として振る舞う時もあれば全体として大きく動く時もある」


 個として存在しているこの世のすべての命に同じ情報を伝えるのは非常に困難だが、全でもある妖星に情報を広めるのはそれよりは簡単そうだ。


「妖星どもを受け入れる場所など、どこにもありはしなかった。現実世界からの排除が目的とはいえ、自分たちがいても良い居場所が開放されているのならあの浅ましい星どもは喜んで飛び込んでくるだろう」


 以前に現実世界を侵食した妖星の一部は、受肉し地上の生き物と同じ土俵で生きることを選んだ。

 ゴブリンを含む妖精族の末裔はだいたい現実世界のルールで生きてはいるが、時々ボロが出る。

 自分たちが短命なのか長寿なのか、思い込み次第で容易く変わってしまういい加減なゴブリン。

 同一の種族でありながら、竜に近いのか犬に近いのかで外見がまったく異なるコボルト。豚の妖魔か緑肌の巨漢かといった同一種族での差異はオークにも見られる現象だ。

 森のエルフは強く恐ろしいものだが、人間と生活圏が近く人の目や意識を浴び続けたエルフはじょじょに筋力が衰え気性も平和的になるという。

 ホブゴブリンを家事や農作業を手伝う小柄で温和な祝福妖精≪シーリー≫だと人間が認識していればそうなるし、ホブゴブリンは巨大な体躯のゴブリンの上位種の呪詛妖精≪アンシーリー≫だと人間が見なせばそうなっていく。

 そんな存在の曖昧さと歪さを抱えながらも、妖精族は生き物のフリをしてこれまで生きていた。

 バザウもまた同様に。


「……」


 存在の由来は別のところにある。それは揺るぎのない事実だ。

 それでも命として産まれ落ちたこの残酷な世界が好きだ。異質な優しさで塗りつぶされていくのは見ていられない。


「妖星とはいったい何なのだろうな」


 前にも口にした疑問が自然と口をついて出た。

 単に目の前に立ちはだかる問題としてではなく、彼らがいったい何者なのかバザウはたびたび考えていた。

 記録者イ=リド=アアルの黄金のアシ原にも記されておらず、研究を進めたチリル=チル=テッチェにもわかっていないこと。


「……我にはあの禍星まがつぼしがどういった存在なのかわかっている」


 千匹獣座の果てから飛来した流れ星の直撃を受けたニジュの身に起きた変容は、妖星の光による影響を受けた他の者たちとは性質が異なる。

 光の影響は妖星を否定することで元に戻せる。変容に苦痛が伴うようにも見えない。影響を受けているものの妖星そのものと同化しているわけではない。

 星の直撃は否定、療養、時間経過でも解除されない。不可逆の変容は耐え難い苦痛をもたらす。いわば妖星との一体化。


 痛みと吐き気にもだえる悪夢の中で。束の間の安寧のまどろみの中で。

 ニジュはおぼろげに妖星が持つ記憶を垣間見ていた。


 リ-9界。ア-36界。イ-1界。それ以外にも複数の宇宙が存在している。

 一つの宇宙が成り立っているのは、その宇宙の万物を動かす根本的な法則に最適な数値が当てはめられているからだ。この最適な数値はただ一つの正解があるわけではなく、正解はいくつかある。リ-9界もア-36界もイ-1界も、数値は違えど正解にいきついた宇宙だ。

 その数値は何らかの意思が正解の数値を丁寧に設定したのでもない。偶然でもあるが必然でもある。無限の数値からなる無限の試行の中で、たまたま適切な値を割り振られた宇宙だけが形をなした、というだけだ。


「形をなす……」


 妖星の光は形と承認を求めている。強い願いを叶えるのも形と承認を得るため。チリルがそんなことをいっていた。


「……妖星たちが形を求めるのは……」


「無限の試行の結果、形をなすことのなかった膨大な失敗作。宇宙として機能するだけの可能性を秘めながら、そうならなかったものの残骸。それがヤツらの本質だ」


 バザウは妖星の話を聞きながら、ある存在を連想していた。

 不幸な死に見舞われたフズというゴブリンの子供。その魂を核として作られたゴブリンの幼子の死霊の集合体、スクランブル=エッグのことを。

 産まれてすぐに死んだ命。産まれる前に死んだ命。産まれることも死ぬこともできなかった宇宙。それらがバザウの中で重なった。


「我からも聞いておくべきことがある。妖星を呼び寄せるというからには覚悟はできているのだろうな?」


 妖星に願いを叶えてもらうのではなく、妖星の願いを聞き届ける。

 ニジュ=ゾール=ミアズマは妖星に望まれて元来の形を失ってしまった。


「安心するが良い。覚悟といっても死にはせぬ」


「……死ぬよりつらい重苦が、終わることなく続くってことか」


「わかっているではないか」


 消滅するとすれば連動している妖星が潰えた時だ。ニジュの場合はそうだった。

 今回の妖星侵蝕が起きた後、憎しみにかられて妖星を消して回っていたニジュをシアが強引に止めようとしたのは、妖星と共にニジュが消え去るのを恐れたからだろう。

 何をかもをその強大な力で思いのままにしてきたシア=ランソード=ジーノームは、唯一の友の心を失い、ほしくもない妖星に囲まれて、過去に本当に何が起きたのかも正しく認識できず、すっかり甘い幻想に覆い尽くされた世界に取り残された。

 ニジュはシアを少し哀れに感じたが、もうこれ以上自分の苦しみを押し隠してまで友情を維持しようとは思えなかった。


「ククッ……そうか、それは安心だ。大事な場面の途中で、ゴブリンの体がはじけ飛んでもうおしまい、なんて事態にはならないということだな」


「ゴブリンの体がはじけ飛んでもまだ続く、と覚悟しておけ」


「ああ」


 バザウとの話を終え、ニジュは果たして自分が怒っているのか喜んでいるのか、わからずにいた。

 自分が受けた苦痛を軽んじられているような怒りと不快感があるのは否定しない。

 その一方で同じ苦痛の経験を共有できる者が現れることにかすかな高揚も感じていた。

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